(注:画像は1986年サファリラリーのもの)
数々のアイディアで
丸首 史上最強の心理作戦!1970年サファリの秘策とは!?
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DATSUNを勝利に導く難波靖治が、次ぎに手を打ったのが人種の壁を逆に利用した心理戦だ。
1970年のサファリラリーでのDATSUNチームのサーヴィスポイントは
「32ヶ所」 、日本人サーヴィススタッフは7人で、サーヴィスカーは4台しかなかった。
さすがにこれでは、32ヶ所のサーヴィスは不可能なので、17人の人員と5台のクルマを現地で用意した。集まったのは、印度人、仏蘭西人、英国人と様々であった。
それを見た難波は、あるひとつの作戦を考えた。
5台のサーヴィスカーには、
「白人・日本人・印度人」と異なった人種三人でサーヴィス隊を構成したのだ!?
正直、ココに来た日本人のスタッフは3人を除いて英語が出来ない!!それなのに何故?
サファリラリーが始まる3月26日の6日前、すべてのスタッフを集め初めての会議を行った。席順はサーヴィス隊と同じ
「白人・日本人・印度人」 の順番に並べられ、まずは昼食から始まった。
まずは最初に隣の日本人に仏蘭西人や印度人、英国人が話しかけるが、上手く言葉が通じない・・・仕方無しに日本人を間に挟んで白人と印度人が会話を始めるが、それもゆっくりとしたペースになっていた。
それを見た難波は不安ではなく「しめた!」と思った。
難波は過去の経験から、わざと違う人種でサーヴィス隊を作ったのだ。何故なら、狭いクルマの中で5日間も、時間のロスとミスの許されない緊張感で神経がイライラしてくる。
そうすると本当にちょっとした事で喧嘩が始まり、ロクなサーヴィスが出来なくなってしまっていたのだ。
そこで思いついたのだが
人種混合作戦 と言う訳なのだ。
極限状態になると、口をついて出てくるのは間違いなく母国語。
日本人は日本語、仏蘭西人は仏蘭西語、印度人はヒンズー語で、怒鳴ったり、怒ったりするが、後の二人には通じない・・・最初はカッカッしているが、さすがに一人で怒っているとあっと言う間に冷めて冷静になったのだ。。。
もちろん言葉が通じないので、事前に作業手順を決め、どんな場合でも対応できる順応性、間違いの無いように訓練が必要だが、その手間よりラリー中の仲違いの方が、これまでの経験上、致命傷になる事を難波は身をもって知っていたからならではの作戦であった。
普通は言語のギャップを考えて同じ言語の人種を組み合わせるものなのだが、逆転の発想で、事前の訓練と、日本のクルマ産業では当たり前の「作業の標準化」という工業的手法で、裏方でのサファリラリーの成功へと導いたのだ。
ラリーの勝利。
無論、マシンの戦闘力も必須だが、それに加えて如何に知力がモノを言うかという現実を、DATSUNは、難波は世界に示したのだった。
Posted at 2009/05/30 14:29:54 | |
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