
大掃除や連休になると、何故か足を踏み入れてしまう「屋根裏部屋」。
これまでも、数多くの珍品や迷品が発掘されていたが、今回も実に懐かしいクルマのカタログが出てきた。
1977年6月。軽自動車の排気量が550ccになり、ボディサイズも大きく規格が変わった事を受けて、三菱の軽自動車「ミニカ」がモデルチェンジを敢行した。
乗用車は「アミ55」、貨物車は「55ヴァン」と大きくなった排気量を表したネーミングで、当時の軽自動車に良くあったネーミングの手法である。
そうそう、この当時としても少数派となっていた「FR方式」を堅持しており、なかなか素直な操縦性を有しており、あえてミニカを選ぶユーザー層も結構あったと記憶している。
その新装開店となったミニカ・アミとミニカ55ヴァンが、1981年に、まぁ日産流に言えば「ビッグマイナー」を行い、55ヴァンが新たなネーミングとして採用したのが「エコノ」であった。
此処だけのハナシだが・・・表紙の女の子がカワユクテ思わずカタログを集めた事は内密に願いたい。
エコノ、スタート時のラインナップは3グレード。
当時から女性を意識してカラーリングは華やかなモンが多かった。
「S」、「E」、「L」とされ、特筆すべきは全てのグレードにATが用意された事だろう。
独特のシフトパターン。そして段数が2速しかない!!。
この頃から女性のユーザーが爆発的に増え、ATの需要が増していたことは事実だが、このAT、2速しか無く、発進時はまるで鈍行の電車の如くの加速で、Dレンジのままでは、交差点の右折時には余りの鈍足ぶりに身の危険を感じた程だ。
さらに70Km/hを超えると、この世の終わりか・・・と思うくらいのエンヂンの回転が上がり、悲鳴にも似た激音を奏でていた。。。どだい、コイツで(当時の軽自動車のAT全て)高速を走ろうなんて努々思わなかった。
薄いボディ厚、鉄板剥き出しの室内に、ハッチを支えるダンパーはひとつ・・・
ATも採用されたが、とにかく載せましたという具合で、洗練度とか使い勝手なんて、まだまだの時代。ちょうど、このミニカは、次ぎの時代へと変革する過渡期の軽自動車と言っても過言では無いだろう。
ちなみに装備は
今じゃあ考えられない、ワイパーの速度が1速!!しかないグレードも・・・
上級グレードの「L」は、そこそこだったが、下位グレードになると、まさに必要かつ最小限しか無く、ワイパーは「1速」、パッセンジャーサイドのサンバイザーなんて有る訳無いでしょう!、ドアのアームレストなんて必要無いです!とキッパリとユーザーを突き放した装備状況が、時代を感じさせてくれる。
そんな質実剛健なミニカ・エコノだったが、当時でもFRの軽自動車なんて希少で、エンヂンのパワーはさて置いて、なかなか素直な操縦性で、さらにリヤには5リンクリヂットが奢られていたので、乗りやすかった事は事実だった。
これで、もっとエンヂンに活気があったらねぇ・・・と言われ続けていたら
軽自動車初の過給機付きで、さらにカブレーションだったのが珍しかった。。。
ターボ・フルラインナップを謳っていた当時の三菱は、「世界最小乗用車過給機採用」と銘打ってミニカ・アミとエコノにターボ搭載車を設定してしまった!!
出た当初は、これでミニカも他のクルマと同等以上に走れる・・・と大いに期待していたが、旧態依然、古色同然の「バルカンエンヂン」では、同等以上ではなく、ようやく 「並」 のレヴェルでしかなかった事に落胆したモンだった。
このエコノを含めて、四代目のミニカは、さして目立つエクステリアでも無し、駆動方式は軽自動車ではユーティリティが厳しくなるFRを頑なに守り!?地味なクルマだったが、それゆえに、コンベンショナルなFRは故障も少なく、維持管理も容易で、そうした性格からか銀行などの金融機関の社用車として盛んに使われていた様な気がする。
2速とは言え、フルATを搭載し、軽自動車初のターボを載せたこのミニカ。
先進でありながら、デザイン等で魅力の付加価値付けが下手な三菱の姿を端的に現していたクルマだったのかもしれない。。。
Posted at 2010/05/03 01:02:49 | |
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