1971年、日産、いやDATSUNと言った方が良いだろうが、前年の1970年にDATSUN510で、総合、チーム、クラス優勝を収めていたにも拘らず、ニューカマーとなるDATSUN240Zでサファリラリーに挑んだ。
丸首 史上最強の心理作戦!1970年サファリの秘策とは!?
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蛸足 足りないサーヴィスカーどうするDATSUN!
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前年のDATSUNの完全優勝に対して、数々のレギュレーションの変更が行われ、何と平均アヴェレージは100Km/hになり、ステージによっては速度が200Km/hに迫る高速ラリーとなってしまった。
それもこれも DATSUN1600SSS が再び出てくるだろう・・・という憶測からだったが、DATSUNは市販車両のポテンシャルアップの為に、3年をメドに車種を替えようという思惑と、高速化されたサファリでの勝利の為に240Zで挑む事になったのだが・・・
果たせるかな、240Zは、ポルシェ、フォード・エスコートという強敵を駆逐し、見事に再び三冠の栄誉に輝いた。
その時のウイナーが、E・ハーマンとH・シューラ 組なんだが・・・・・
ここまでは、日産ラリー好きにはツトに有名なハナシなんだが、ここからもっと面白いハナシがあるのだ。
まったく、日産というメーカーは宣伝が下手で、一部の人しか知らない・・というとっておきのハナシなんだが、1971年のサファリでウイナーとなった、E・ハーマンとH・シューラ も、恒例の通り日本にサファリウイナーとして招かれた。
と、ここまでは良くあるハナシで、さらに、ここからは、僕がたまたま1971年8月の富士500Kmレースのリザルトを眺めている時に気付き、さらに、何かの雑誌で取り上げられていたので確信したのだが、この両名は、なんと単純にウイナーとしと招かれただけでなく、日本のレースにも参加していたのだ!
幾らラリードライヴァーが優秀だとしてもレースで通用するとは限らないものなのだが、彼らは、日本滞在の数日間内に、高橋国光のレクチャーを受け、レーシング240Zをマスターし、「富士500Kmレース」に出場したのであった。
そして、何と E・ハーマン が総合12位クラス5位、H・シューラ が 総合13位クラス6位 に入賞してしまったのだ。
せっかく、サファリウイナーが健闘したのだから、それを宣伝したら日産も、240Zラリー と レーシング240Z のアピール、布いては フェアレディZの大いなる戦歴の宣伝になる筈だと思うのだが、大して公にせず、知っている人のみ知る秘話になってしまっているのが非常に残念な様な気がするのだ。
そんなものだから、流石の僕も、資料として画像を持っているのが、TOP画像(右下)の一枚のみ・・・
このブログをきっかけに、さらにこれまでに知り得た情報以外の情報は出てくるのか、非常に興味津々な徳小寺 無恒なのだ。。。
(2010年5月23日追記)
このブログを読んで、ブルーバード以来の友人「くまさん」から貴重な資料が送られてきました。この資料によりここで公表したリザルトが異なっている事が判明。
実際には、2ヒートで行われ、
ヒート1
H.シュラーが12位、E.ヘルマンが13位。
ヒート2
H.シュラーが7位、E.ヘルマンが、アクセルワイヤーのトラブルでリタイヤ。
そして、総合順位では
H.シュラーが9位クラス4位、E.ヘルマンが20位クラス7位。
であった。
ここで貴重な資料を送って頂いた「くまさん」に感謝すると共に、ブログでの誤記をお詫びしたい。
訂正 1971サファリウイナー富士500キロを走る!
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Posted at 2010/05/12 00:30:09 | |
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