
パーソナルカー、アーバンクウペなどなど謳い上げて、結局は生涯9,600台余りしか売れなかったマツダの孤高の名車 「エチュード」。日産の
「スタンザ・リゾート」 と共に、メーカーが忘れて欲しいクルマ の二の舞は・・・・と当のマツダも考えていただろうが、イヤイヤ実はマツダは再び歴史の過ちを犯す寸前だったのだ。
1991年、ターセル/コルサをベースに、安価なパーソナルクウペとして、トヨタから「サイノス」がリリースされた。
まぁ元々は、北米での 「セクレタリーカー」 として企画され、向こうでは確か 「パセオ(PASEO)」 というネーミングで売り出され、結構な数が売れたと記憶しているのだが、それっを見ていたマツダも、
「ウチじゃぁ、エチュードちゅう大先輩を出したちゅうのに、なんであっちが売れるんじゃい」
と憤慨したかどうかは不明だが、北米でのツゥドアクウペの意外な人気で、例えばNXクウペとか、前出のパセオの成功を見て、北米マツダが 「ウチでも、あんなのが欲しい!」 という事で、本社に切望した・・・・のが、「プレッソ」誕生の原動力となったのだ。
北米での、それらのツゥドアクウペの成功の秘訣は
「安い」、「格好が良い」、「意外に人が乗れる」
という、これまた実はクルマを作る方としては悩ましい要求によって、「プレッソ」の企画が始まった。
「安い」となれば、既存のシャーシなどを流用すれば良いという事で、じゃぁ「ファミリア」っを使おう!となり、「居住性良し」となれば・・・ああぁ3ドアハッチで、そうそう、やっぱり「ファミリア」をベースに・・となり、結局は、
歴史は繰り返す・・これじゃ「エチュード」の二代目じゃあないですかという感じで。。。
二代目の「エチュード」の様な、如何にも、まぁソコソコ売れそうだけど、NXクウペには勝てそうだけど、パセオにはブランド力で勝てそうにも・・・というデザインが完成してしまった。
よし!あとは量産試作を開始するぞ!という段階になって、バブルと「ユーノス」という販売店を勢いで作ってしまったマツダの思惑が、歴史を動かした!
「ユーノス」を立ち上げたけど、下は「ロードスター」、上は「コスモ」というラインナップで、如何にバブルとは言え、
数が売れるクルマが欲しい
と販売店がメーカーに泣き付いて来ており、折角だから、そこでも売れる、少々コストがかかっても、海外でも売るから、もっと個性的なこれぞマツダという パーソナルクウペ を作ろうという声に後押しされて、何と!量産試作直前まで進行した
「二代目エチュード!?」 の案はボツになり、開発し直しが決定されたのだ。
やはりバブルの勢いは、メーカーも金銭感覚を麻痺させてしまい、本当に、いちから開発をやり直してしまったのだった。
そして、それまで北米のマツダ・デザインスタヂオ主体でデザインされていたモノが、マツダ本社でリデザインされ、確か「岡崎 純」氏のデザインをベースに、「プレッソ」のデザインは完成した。
「二代目エチュード」の雰囲気は微塵もなくなった。。最初からこうすればは禁句だろう。。
それまで、ある意味で北米の「セクレタリーカー」とか、国内の「エントリーカー」という姿が、「ユーノス」 は
「プレミアム・ブランド・チャンネル」 だ! という自負と、売れるクルマを作らなければという現実的な要求から、実は 「プレッソ」 は誕生したのであった。
Posted at 2011/08/16 07:56:01 | |
トラックバック(0) |
クルマ | クルマ