
V6エンヂンという飛び道具まで駆使して、サイノスやNXクウペの様な「安クルマ」ではない!と誇示していた「ユーノス・プレッソ」。しかし、今、再び振り返ると、元々のコンセプトである、コンパクトで安価なパーソナルカーという顔が、このクルマの脈略までも絶ってしまったかもしれないと感じているのだ。
さて、このクルマのハイライトである、1.8L V6エンヂンである「K8-ZE」であるが、ファミリアベースのパッケージに詰め込むのだから、かなり思い切った設計がされている。基本はV6の王道でもある「60度Vヴァンク」を採用しているが、そこからコンパクトにするために、数々の工夫と涙ぐましい努力の跡が見られる。
コンパクトにして、フォーキャム、フォーヴァルヴ、マルチシリンダーを具現化した K8-ZE エンヂン。一代限りのバブリーな心臓だ。
まずは、シリンダーブロックだが、
オールアルミニウム、三気筒をまとめたサイミアーズ構造を採用。軽量にしてコンパクトだが無理のできない心臓でもある。
三気筒ずつを一まとめにした「サイミアーズ構造」を採用して、このクラスであれば、100ミリを超えるであろうボアピッチを100ミリ以下の 「97ミリ」 に抑えている。ボアストロークは 75 × 69.6 のショートストロークを採用していた。
さらに幅を狭めるために、吸気と排気のヴァルヴの挟み角度は、30度を切っていたと記憶している。その構造はまるで、この時期のトヨタの似非ツインキャム、「ハイメカツインキャム」のように、キャム間は、歯車で排気キャムを吸気キャムで、吸気キャムで排気キャムを駆動していた。
最高出力は140PS/7000min-1、最大トルクは 16Kgm/5500min-1 を発揮して、僕の記憶が正しければ、どっかーんと加速したり、ビュンビュンと回ることは無かったが、えらくフラットトルクで、スムウズなフィーリングを堪能できるエンヂンであった。
一見するとファミリアチックな下回りなんだが、殆どの部品はプレッソ専用になっている。
足回りは、ぱっと見た目はファミリアであったが、部品の一つ一つや、サーヴィスマニュアルを見るとジオメトリーは別物になっていた。つまり、足回りもプレッソの為に専用設計が成されていたのだ。まぁ、これは205/55R15という当時としては幅広のタイアを履く為に色々と手を入れていたんだなぁと今となって感じている。
上が国内仕様で、下が輸出仕様。輸出仕様は、もろにファミリア用を流用している。
面白いのは、インパネで、国内仕様のプレッソはまったくの専用設計なんだが、輸出仕様になると、なんとファミリアそのもののインパネが流用されていたのだ。
こうしてプレッソは、専用のエンヂンや足回り、インパネを持って、まさに プレミアムチックな「ユーノスブランド」に呼応した内容で出来上がっていたのだが、振り返ってみると、以前頂いたコメントにもあったが、別口でオートザム店用に、四気筒1.5Lエンヂンを搭載した AZ-3 や、輸出仕様でも 1.6L の四気筒モデルが搭載されていたりした。
さらにややこしいのが、モデル末期になると、プレッソにも廉価版?にAZ-3用の四気筒ヴァージョンが、AZ-3には上級版としてV6モデルが追加されるなど、当初の思惑とは異なったエンヂンの追加がされたのだ。
そしてV6モデルも、恐ろしくスムーズネスで振動の少ないエンヂンに対して、幅の広いタイアを履いた影響もあるのだろうか、いや、エンヂンが静かでない四気筒モデル(V6モデルと比較してだ)でも、そうだったからやはり、そうなのだろうが、酷くロードノイズを拾って賑やかなクルマだなぁと感じたのも事実だ。
お口直しに??すべて本の 「吉田 由美 さん」。。。かわゆい・・・閑話休題
そうしてみると、やはり元々は、手頃でスタイリッシュなクウペというコンセプトだったけど、もちろん、とびっきりデザインまで仕切り直してスペシャリティ感を出したけど、やっぱり サイノス などと同じ類のクルマだったんだ、まだまだ幼い学生の女の子が、背伸びをしてお化粧や着る物を選んでいる様な感じだったんだ・・・と感じてならないのだ。
マツダも、国内仕様は当初からV6の「プレッソ」のみにして、四気筒の「AZ-3」なんて出さなければ、もっとプレミアム感が出ただろうし、さらに、売れないと、それぞれに廉価版を出したり、上級グレードと言ってV6を設定したりと、ますます混迷の度合いを深めた戦略には、大いに迷いが見えて仕方ないのだ。
果たせるかな、プレッソ(AZ-3)も含めて、然したる数も出ず、エンヂンも足回りも、これ以降、他車に流用されることもなく歴史の闇に消えてしまった。
ユーノス店というブランニューの為に、プレムアム性を出す為に、仕切り直しまでしてリデザインしたのに、国内の多チャンネル(店舗ブランド)対策として、四気筒ヴァージョンを出してしまった事で、ユーザーはプレッソを高いクルマとは見ず、所詮は手ごろな他所のメーカーが出しているパーソナルクウペと同じと見切ってしまった事が、悲劇の始まりだったのかもしれない。
そうしたイメージの点での戦略の悲劇を別にすれば、メーカーの意気込みや、メカニズムの面白さが際立つクルマだったのに・・と感じてならないのだ。
ここから、メーカーが何かを感じて、次の一手を考えてくれたら大きく未来は開けたかもしれないが、バブルに踊らされて、販売ブランドを乱立し、雨の後の竹の子の様に、バッヂを変えただけの兄弟車を乱立させたコスト高の反動で、バブル崩壊後は、逆にそれらがメーカーの重しになって弱体化の加速、クルマの無個性化が進んだのは記憶に新しい事である。
ユーノス・プレッソは、そんな日本のクルマ文化の歴史の、物言わぬ生き証人だったのかもしれないと僕は思っているのだ。
Posted at 2011/08/20 04:51:51 | |
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