
この3日間は、久々にネットにハマってしまった。
そうそう、例の豪州での PULSER SSS ネタの為なんだが、色々と彼の地や、亜細亜でのクルマの接し方を覗いてみると、なんだか懐かしい70年代や80年代の日本の姿が蘇ってくるようだった。
センス、ウンヌンは別にして、セダンがこうも熱く接しられている様子を見て、なんだか羨ましくなってしまった。
日本じゃ、ただの親父クルマの扱いの G10 シルフィなどは、まぁ、知人友人には、センス良く、モディファイやチューニングをしている人も身近に多いのだが、殆どが大人しく姿形が変わることなく街中を走っている様子しか思い浮かばない。
それが豪州や東南亜細亜地域では、TOP 画像の様にヤンチャなエアロなんて、普通にあったりするし、実際に、なかなかのセンスでエクステリアをまとめた姿も散見できた。
意外に、僕好みな外観のまとめ方だ。エアロ解禁世代なので、こうした姿に憧れてしまうんだろう。
省みて、今の日本はどうだろう。
どのクルマも、必要以上に性能が良くなり、自分でイジルにも、特にエンヂンなどはマネージメントが複雑になって、オーナー自らが楽しむ余裕が無くなってしまった。
外観も、それなりに完成度が増して、大きく変化する弄り代が少なくなってしまった様にも思う。
そして、何と言ってもクルマは、
ミニヴァン みたいな風潮が蔓延してセダンなんぞ見向きもされなくなってしまった。
さらに、そうした売れセンのクルマばかり造り、数の出にくくなったセダンに、メーカーも熱意をもってクルマ造りをしなくなった。
これは、成熟したモータリゼーションの姿なんだろうか。
僕は、本当のモータリゼーションとは、スポーツカーアリ、セダンアリ、ワゴンアリ・・と多種多様のクルマが、使う人の日常や用途に合わせて揃えられており、ユーザーも流行の大小は有っても、すべてが同じ方向に特化せず、ライフスタイルに合わせてクルマも選ぶと言う姿を想像していたのだが、日頃、一人しか乗らないのに、歳を経て、大人数で乗る機会も少ないのに、大きな空間を後ろに従えて、一人ないしは二人だけで、ミニヴァンを道路で引きずっている姿を見るにつけ、大きな違和感を感じざる得ないのだ。
元々、1700 ミリ 以下の幅で設定されたこの国の道路なのに、グローバル化と言うもっともらしい言葉で、幅広のクルマばかり、つまり、この国にマッチし辛いクルマばかり作ってしまう、数が出なければ造らないという、儲け一点主義のメーカーの姿勢も、この国のモータリゼーションを変な方向に曲げている様に思えてならない。
間違って解釈されては困るが、僕は何もセダンを造れとか、社外エアロを華やかにしろとは言っていない、多用途性のあるクルマ社会であって欲しい、多くの個性を認め合うクルマ社会であって欲しいと思っているだけなのだ。
派手なエアロや、セダンをピシリと決めて乗っている海外のクルマたちを見るにつけ、なんだか、懐かしくもアリ、羨ましくも思えている今日この頃なのだ。
Posted at 2012/10/22 00:34:30 | |
トラックバック(0) |
クルマ | クルマ