
10年前、子供が生まれるのを期に家を建てることにした。
そして、僕は家を建てたら、どこかにコニファーを植えるんだと決めていた。
実は、僕が生まれて、やはり今は二人とも天国に行ってしまったが、両親が家を建て、その玄関先に二本のコニファーを植えたのだ。
二本のコニファーは大きく育ち、実家の入り口で、家族の行き来を見つめていたが、実家が空き家になり、ある時、一晩でごっそりと抜き去られてしまった。
大好きだったコニファーや、そのほかの庭木が抜き去られた事に少なからずショックだったのだが、月日が流れ、その気持ちもどこかへ消えそうになっていたのだが、自分が両親と同じ立場になった時、鮮明に実家のコニファーを思い出したのだ。
自分が建てた家の庭先の一部は、最初からコンクリートを打たずに、土の地面のままにして、そこに小さな花壇を自分で造った。
そこに近所のホームセンターで売っていた小さなコニファーを三本買って来て植えた。
そして10年。
一昨年までは自分で、伸びた枝葉を刈っていたが、流石に2メートル近くに育ったコニファーは僕の手に負えなくなって、業者に剪定を頼むことにした。
今年も、いつもの業者にお願いして、庭先のコニファーの選定を終えた。
丸く小奇麗に選定されたコニファーを見て、あんなに小さかったコニファーがこんなに・・・10年という月日の流れを実感した。
コニファーを植えた時は、子供の病気の事なんて努々考えていなかったが、二十歳まで生きて行けるか・・・と宣告を受けてから3年の月日が経ってしまいました。
本当は子供の成長を喜ぶべきなのですが、その成長が逆に寿命を縮めてしまう、なんて不合理な節理なんでしょうか。
今は、医者が驚くほど、病気の進行が滞っていますが、いつまで、頑張れるのか・・・・
コニファーの成長を見ながら僕は思います。
コニファーの成長と同じように、子供の成長を喜びたい。
あんなに小さかったコニファーが、こんなにまで大きくなった様に、素直に子供の成長を、大きく元気に育ってほしいと思いたい。
実家にあったコニファー、そして、新しく、すくすくと大きくなって行く、庭のコニファーを見ていると、何かの「縁」というモノを感じられずにはいられない・・・そう感じるのです。
来年も、素直にコニファーと子供の成長を喜びたい。
今はそう願うばかりなのです。
Posted at 2013/11/04 23:01:17 | |
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