
コロナコロナで、早朝かクルマで移動くらいしか安楽の場所もなく、結局は家で大人しく PC をイジッテいるのだが、あまりにもリヴィングで固まっているとカミさんの視線も厳しく・・・(笑)
溜まりに溜まった、画像のライブラリーの整理をやっているのだが、ここのところ レストア のハナシを立てつづけにしているので、ここは 先月開催されていた
AUTOMOBILE COUNCIL の、僕が子供の頃、フツゥに眺めていた国産車たちのハナシをしてみようと思う。
振り返ってみれば60年代は、それまで欧米のクルマの模倣に近かったモデルが多かったのだが、その中でも日本ならではの国産車の花が咲き始めた頃だったと思う。
まぁ僕は、裏切られても転んでも日産車が好きなので、最初にご紹介したいのは、アッと、ここでは AUTOMOBILE COUNCIL で出展されていた三重県の「 ヴィンテージ 宮田自動車」さんの展示車両で昔を懐かしむ事にしたい。
まずは初代セドリック30系の派生車「セドリック・スペシャル」だ。
50型と呼ばれる30型セドリックのストレッチ・リムヂンが「セドリック・スペシャル」だ。
1960年に日産のフラッグシップとして、30型セドリックは 1500CC で生を受けた。グルリと、フロントスクリーンがAピラーに巻き込まれたデザインに、当時の亜米利加車の影響を感じるものだ。
1959年の Pontiac Catalina 4-door Vista このカタチで4ドアでしかもハードップ!!一番アメ車が輝いていた頃だ。(クリックで拡大 ぜひ隅々まで当時のアメ車の実力を見て欲しい)
当初は「縦目4灯」だったが、あまり人気が出ず、1962年に「横目」に変更され、翌63年には、「50型」と呼ばれる、ホイールベースを約200mm、全長も約350mm ストレッチした、K型 2,800 ccエンジンを積む「スペシャル」がリリースされた。
ここに展示されていたのがそれで、後にスペシャルから「プレヂデント」に発展したのはご存知の通り。
リヤ周りもアメ車の影響を受けた縦長のテールランプを採用。とにかくトランクが広いというより「広大」の一言。
戦後国産車初の「3ナンバー」車でもある。
内装も当時は鉄板剥き出しが当然だったが、木目調の落ち着いた雰囲気にデザインされている。
一方のトヨタは、セドリックより5年早く、ブランドして「クラウン」は生まれていた。俗に RS型と呼ばれるモンだが、「観音開き」と言った方が通りが良いかもしれない。
初代クラウンと言えば「観音開き」と直感される人が多いだろう。
当時、日産では オースチンA50 をノックダウンで生産しており、一方のトヨタは純国産で高級車をという事でクラウンが開発された訳だ。
初代クラウンが「観音開き」を採用したのは、ショードファブリンの思想に他ならず、初代セドリックが後席も重視しながらドライヴァーズカーを目指していた事からも、その後の日産とトヨタの立ち位置が明確になって面白いモノだ。
メッキを多用したフロント。厚みを感じさせるデザインで高級感、クルマを大きく見せようとしたデザインの意図が見える。
今回の展示モデルは、1962年式というから、1960年に国産車の小型車枠が大きくなったことに伴う、1900CC「3R型」エンヂンを搭載した「デラックス」であると思うが、レストレーションによって ナヴィゲーション が装着されていたのには驚いた!!
インパネの中央に ナヴィゲーション のモニターが装着されているのには驚いた!!
トランクを見なかったが、リヤトレイに吹き出し口があったので、恐らく「リヤクーラー」が付いたモデルじゃないかととも思う。
ここで国産60年代の両雄を、じっくりと眺められるとは実に興味深いモノであった。
ちょっと、ここまで濃い味付けのクルマばかり見て来たので、少しお口直しに、
ど初期の「出目金」と呼ばれている スバル360 でホッと一息。
スバル360 の初期型も並べられていたので、昔を思い出して眺めてみた。実は我が家にも初期型では無かったが、「ドン亀」が住み着いていた時代があった。
僕のファーストカーがこれだ。ウチには スバル360 が親父のクルマとして活躍していた。
初期型なので吸気口のスリットも独特のモノ。「小豆」と言われたテールがカワイイモノだ。
スバル360 については、これまで幾度となくブログしたので再度読んで頂けると幸いなのだが、
先取 スバル360にワゴンがあったって知ってましたか?
→ https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/180020/
驚倒 スバル360がサーキット激走!!
→ https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/184919/
一本 ワイパーのスバル360初期型を知ってますか?
→ https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/1383084/
国民車構想に基づいて、多くのメーカーが、その思想にチャレンジしたが、土台、お役人の無理難題な構想で、どのメーカーも行き着けなかったが、その中でも「国民車構想」に一番近かったと言われたのが スバル360 であった。
その スバル360 も今ではコレクターズアイテム・カー となりエラク高くなったもんだが。
現代のクルマには無い、機能美と優しいデザインに癒しを感じるのは僕だけだろうか。
当時の高級車と大衆のクルマを目指した3台を眺めながら、さらに弩級のクルマを間近で眺めるのであった。
Posted at 2021/05/03 11:57:49 | |
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