
クルマ産業が喘いでいる。
あの歴史と伝統を誇る米国のビッグ3でさえ、自己資金が底をつこうとしており、「倒産」という二文字が現実味を帯びてしまっている。
振り返れば日本だって同じ状況だ。
少し前まで、GMと生産台数で一位、二位を争っていた「トヨタ」でさえ、円高の影響もあって「赤字」に転落しそうである。
確かに基幹産業と呼ばれるモノは、生々流転、栄枯盛衰、時代と共に変わってきた。
「鉄の時代」あり、「繊維の時代」があって、「自動車の時代」となった。
しかし、今のクルマは果して時代にマッチしているのだろうか?
CO2の問題や化石燃料の枯渇・・・そう考えれば、今のクルマの進化は正常なんだろうか?
そう考えると、米国議会でビッグ3のひとつが言った、「エコカーの開発を怠っていた」という言葉が胸をつく。
日本では日産がいい例だろう。
ひたすら、北米、海外市場ばかり見てきた日産のクルマたちは、デザインの自由度とか、安全性の向上とか、性能向上という「大義名分」の下、ブクブクと巨大化、大排気量化に邁進してきた。
たしかにデザインの流麗さ、動力性能の激しさは、日産の大きなクルマに於いて、ある意味追従を許さないものになったと思う。
しかし、小さな排気量やサイズの小さなクルマ造りに於いて、日産のラインナップはどうだろうか?
小さくとも、過去の凝縮されたような「山椒は小粒でもピリリとした」様なクルマが皆目無くなってしまったと感じるのは僕だけだろうか?
日産ばかりではない、ある意味でトヨタだってしかりだろう。
つい最近、新しいZが登場した。
排気量3700ccに、タップリとしたボディサイズ。
迫力もあり、動力性能も十二分に長けている。
しかし、それが「Zフィロソフィ」だろうか?「Zイズム」であろうか?
限られたスペースの中に、必要かつ十分なメカと装備を詰め込み、人間の五感の届く範疇でまさに操る楽しさがあったような気がする。
正直240Zの様な高性能車もあったが、S30なんて、そこそこの性能しか持ち合わせていなかったが、その雰囲気や操る楽しさでZを所有する楽しさを堪能できた。
スカイラインだって同じだ。
日産の事に付いて多く裂いてしまったが、どこのメーカーも似たり寄ったりで、大きくなってしまったその身を、いきなり「リーマンショック」という 「気象変動」に対応できなくなってしまっているのではないだろうか?
いやいや、「サブプライム・ショック」という、隕石の衝突の衝撃に大きく揺さぶられているのかもしれない。
自動車産業は生き残れるのか?
クルマが売れなくなったと言われて久しいが、その問題の原点が今の自動車産業の衰退の根本の原因なのかもしれない。
確かに豪華に高性能になった。
それでも、過去のそうでないクルマ達が輝いているのは何故だろう?
週末に、家族や彼女、彼氏と、「さぁ!クルマに乗って何処かへ行こう!」というワクワク感が無くなったのは、ネットを始めとするその他大勢の刺激が増えたからだろうか?
今のクルマを取り巻く環境や、青色吐息で喘ぐメーカーの姿に、それこそ環境の変動に追従できなくて、滅んでしまった「恐竜」の様に感じてしまうのは、単純な幻影なのだろうか?
どんどん巨大化し、突然居なくなってしまう。
クルマがそいうならないとは誰が言えるだろうか?
僕は心配で心配でたまらないのだ。。。
Posted at 2008/12/19 00:36:24 | |
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