
今日はまったく天気が良く、朝から屋根裏部屋の整理などをやっていた。
ここには、過去から現在まで集めに集めた「カタログ」や写真、510ブルやその後に乗ったクルマたちのエンブレムなどなどが秘蔵された隠れ家なのだが・・・そこで久々に出てきたのがR30スカイラインのカタログ。
懐かし~いなぁと眺めていたのだが、ぶっとい一本スポークのスティアリングの画像を眺めながらフトある疑問が頭を過ぎった。。。
国産車で最初に「一本スポーク」のスティアリングを採用したのは・・・
こうなると、おぼろげな記憶を頼りにカタログやモータファン、ホリデーオートなどを読み漁り1976年に行き着いた!!
まぁそれ以前にも、ニッケイなんとかなど末泡自動車メーカーやオート三輪などで、確かに「バーハンドル」や「一本スポークスティアリング」のモノがあったが、それらを除くとこのクルマが一番に違いない。
この年の暮れも押し迫った12月に発売された「三菱ギャランΛ(A120系)」がそうだ。
この年の5月に登場した「ギャランΣ」をベースに造られた、当時流に言えば「スペシャルティーカー」だ。
デザインは、クライスラーのデザインスタヂオも参画し、それまでの国産車にないスタイリッシュなもので、外観は大きくラウンドしたリアグラスや、これも国産初の角型4灯SAE規格のヘッドランプ、そして斜めにスラントしたノーズがスタイリッシュであった。
このクルマの後に、国産車に「角目ヘッドランプ、スラントノーズ」のデザインが流行り、マイナーするクルマの全てがどんどんそうなる様子を、僕は「角目斜鼻症候群」と名付けたもんだ・・・閑話休題。
内装も目が覚めるような赤がメインで、今では見ることの出来ない「ハイバックシート」が懐かしさを醸し出す。
しかし、以前の国産車にはこんな派手派手な「赤内装」や、酷いモンになると「腹筋が割れた様」なデザインのシートが蔓延していたのを思い出す。。
真紅 !初代レパードにあった真っ赤な内装・・・
https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/153803/
本題の初代Λにハナシを戻すが、実際に乗った感じは、とにかく静かで乗り心地が良く、そしてツゥードアなのに中が広かった事を思い出す。
とにかくΣ同様に良く売れて、北米では 「札幌」 という名前で売られ、これがまた驚くほど売れに売れ当時の三菱の台所を潤おした。
ちなみに当時の価格は「2000GSR」で150万くらい。
前年登場した、マツダ・コスモAPが179万円、翌年登場した二世代目のセリカ2000GT(リフトバック)が167万円。
(ちなみに1973年登場の610ブルーバードUの2000GT-Xは103万円)
一般のクルマに比べると、高い事は高かったが、ライヴァルよりも安かった事もあって、それも販売増に拍車をかけた。
一本スポーク・スティアリングから、Λが出てきて、そして「Λ」というクルマが如何に国産車に影響を与えたか・・・思わず楽しい国産車探訪ができた日曜日の昼下がりであった。。。
Posted at 2008/12/07 21:08:49 | |
トラックバック(0) |
クルマ | クルマ