
日本グランプリ勝利の為に造られたR380シリーズ。
スカイラインGT-R用S20エンヂン開発のベースとなった、GR8ツインキャムエンヂンを搭載したR380や、空前絶後のエンヂンと言われたV12気筒排気量5954CC、最高出力580PS/7200min-1の「GRX-Ⅲ」エンジンを搭載されたR382の事は語りつくされているが、
撃破 ポルシェを撃破!ワークスを破った日産R382
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能力 上司とはかくありたいものだ・・・
https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/1187287/
R381に付いてはあまり語られる事が無い様に思える。
確かに資料的にも少ないのだが、手持の画像等で振り返ってみたいと思う。
正式名
「ニッサン・シヴォレーR381」
意外に思われるかもしれないが、これがR381の正式なグランプリでの呼称であった。
1968年5月3日に行われる、第五回日本グランプリに向けて日産も大排気量レーシングマシンの開発を急いでいたが、エンヂンの開発が間に合わず、ムーン社がチューニングした「V8シヴォレーエンヂン」を購入してR381に搭載した。
これは、ライヴァルであるトヨタがヤハマ発動機が開発したV8、3Lのトヨタ7で、タキレーシングはローラT7MKⅢと合わせて、ポルシェ・カレラ10で参戦するとの情報に基づいていた。
それらに対抗するには大排気量のエンヂンが必要との判断であった。
その為に「ニッサン」の後に「シヴォレー」が付いたと言う訳である。
このムーンチュニングド・シヴォレーエンヂンのスペックは
最高出力460PS/6800min-1、最大トルク54.5Kg-m/5500min-1
を誇っていたが、ムーン社が想定した以上の加減速の差が激しいFISCOというサーキットという場所的な要因と、さらにエアロスタヴィライザー(後述)による強烈なGの影響もあってトラブルが連発した。
潤滑油の噴出し、偏りによるヴァルブ系・ピストン等の焼付きに手を焼き、遂には日産は自前でこのエンヂンの大改造を施すに至った。
元々は市販車用のエンヂンであったので、潤滑方式は「ウエットサンプ」であったのを「ドライサンプ」にし強制的に潤滑油をエンヂンに供給する様にした。
エンヂンプラグひとつにしても、ムーン社は「チャンピオン」を指定してきたが、日産としてはこれまで使った事の無いチャンピオン製のプラグに不安を持ち、密かにNGKのプラグを使用していた。。。
それでも予選では、義務周回数を走行した直後から砂子一義の乗る、ゼッケン19のR381は、ピストンの吹き抜けを起こしシリンダーライナーをかじらせてしまって白煙を上げながらの予選となってしまった。
そんなエンヂンの耐久性に不安を抱えながらも、日産のレーシング・エンヂニアリングの櫻井眞一郎の知恵でR381は、高橋国光のR381が1分50秒88でトップを取り、二位には北野元が1分52秒21で続き、
3位 長谷見昌弘 ローラT70MKⅢ
4位 酒井 正 ローラT70MRⅢ
5位 田中健二郎 ローラT70MKⅢ
6位 福沢幸雄 トヨタ7
に続きエンヂン不調という悪条件の最中、砂子一義のR381が「7位」に入った!!
不調のエンヂンを持ちながら、上位予選通過を果たさせた「櫻井眞一郎」の秘策とは・・・
Posted at 2009/06/14 00:59:52 | |
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