
左の画像は、先だってエラク話題になった、キザシとアウディの比較広告の画像。
キザシの方が旋回性は良いわ、停止距離も全然アウディなんて目じゃないというスズキの自信が満ち溢れているCMなんだが、昔のスズキを知るものとしては隔世の感があるモンだ。
正直、クルマ造りと言う点では、企画性とスポーティさで「軽」自動車という範疇では面白いクルマを作っていたが、すべてのジャンルを考慮して、再び眺めて見ると、正直、その荒さや完成度と言う点ではまだまだの感が強かった。
それが、現代ではとうとう、欧州の名立たるメーカーともタメを張れる様になったのだ。これは、正直、スズキ信者でなくとも嬉しい事である。
さて前置きが長くなってしまった、スズキ歴史館の二階で、クルマ造りの世界を堪能した後は、三階へと足を運んでみた。
三階は、スズキの懐かしいクルマ達や、スズキと言うメーカーがどの様にして歴史を刻んできたかの展示がされている。
階段を上がりきると
懐かしいスズキのクルマやバイクに、貴重なスズキ発祥の自動織機が。。。
実に懐かしいクルマやバイク、そしてスズキと言うメーカーがここからスタートしたという「自動織機」が所狭しと展示されていた。
鈴木式自動織機の実物。自動織機の金属加工などのノウハウがクルマ造りへと生かされた。
もともと、自動織機から始まり、そこで得た金属加工などのノウハウから二輪車へと、そしてクルマへの世界を広げた訳だが、考えてみると、トヨタも最初は「トヨダ式自動織機」の発明から始まり、そこからクルマ造りへと進んだ様にスズキも、自動織機からクルマの生産へと歴史を刻んだのだが、トヨタがクルマへとスグに進んだのとは異なり、スズキの場合には、最初にホンダと同じ様に、戦後の自転車用補助動力(エンヂン)ブームによる補助動力装置から二輪車、そしてクルマと言うように、トヨタとホンダの歴史の流れを合わせた様な歴史を辿った事は興味深い。
スズキのクルマの始めといえば、スズライトと言うことで、
懐かしいスズライトの勇姿。日本初の本格的な軽自動車として殿堂入りしている。
独逸の「ロイト(若しくはロイド)」を模倣したと言われるスズライトが展示されていた。
自動車殿堂にもなっている「スズライト」。
本格的な「軽自動車」という事であるが、まぁ、それまでは、「コニー」や「ニッケイタロー」、ミスターK事、日産の片山氏も加わった「フライングフェザー」など、言い方は極端だが、とにかくクルマぽいモノから大きく進歩し、本格的なクルマと呼べたのが「スズライト」だった。
実際には、自動織機や二輪車のノウハウしかなかったスズキが、自社でできうる加工技術を組み合わせて、ようやく出来たと言うのが実情だったが、逆にそれが功を奏して、部品点数が少なく比馬力の大きな2ストを採用する事になり性能を確保できた。
そして足回りも、板バネのノウハウが無く最初からコイルスプリングを用いるなど、無い無いづくしが独立懸架を産み、それらが相乗効果として、本格的な四輪車への形作りになったのだった。
三階に展示されているクルマたちを全てご紹介したいのだが、結構な数で、それぞれに思い入れがあるので、ここでは、特に印象的だったクルマたちに絞ってご紹介したい。
殿堂入りした「スズライト」の次ぎに紹介するのは、
コークボトルラインのフロンテ。微妙な曲面と曲線で構成されたデザインは今見ても新鮮だ。
スズライトの正統な後継に当たる「フロンテ」の二代目だ。
このモデルは、フロンテとなって二代目となるだが、確か、このモデルから「スズライト」という前置きが無くなったと記憶している。
ボディデザインも、スズライト、スズライト・フロンテから大幅にレヴェルアップし、当時の国産車に多く見られた、ボディ・サイドが大きくうねった「コーク・ボトル・ライン」が採用され、一気に現代的になった。
エンヂンも2ストながら三気筒が奢られ、360CCながら25PSとなかなかのスペックを誇っていた。
そうそう、後に「SS」と呼ばれるハイパーモデルがラインナップされ、たった360CCしか排気量が無いのに、どうして、こんなに早いのかなどと宣伝されていた。
それが「アウトストラーダ・デル・ソル」伊太利亜の高速道の長時間高速テストでのCMであった。
フロンテの時代が、これから長く続いたが、どんどん馬力競争は激しくなる、装備も豪華になる、しかし、環境問題もあって、それまでの小さな排気量でも馬力を稼げた「2スト」では軽自動車は生残れなくなり、国民の生活レヴェルの向上もあって、軽自動車の存在意義が薄れてしまった。
ある意味で、現代以上に軽自動車の存続が危ぶまれた時に登場したのが、1979年春登場のフロンテの「4ナンバー(軽ボンネットヴァン)」、「アルト」であった。
「アルト」は、少々オーヴァーデコレイト気味だったエクステリアを、シンプルでクリーンなモノとし、そのスクエアーのデザイン故の居住スペースの向上と、思い切った低価格で一気に軽自動車の存在感を復活させた。
その現代に続くアルトの中でも、僕は
回転ドライヴァーズ・シートも驚いたが、まさかスライドドアが出てくるなんてねぇ
確かに、もっと色々な懐かしいスズキのクルマたちが並んでいたが、その中でも僕的に印象深かったのが、三代目のアルトなのだ。
初代アルトで、絶滅の危機に瀕していた日本の軽自動車を蘇らせていたが、ライヴァルのダイハツが1.5BOXカーというコンセプトで、デザイン性とユーティリティを追求した「ミラ」を出すと、スズキは二代目アルトで、本来の乗りやすさ、女性を意識した「回転ドライヴァーズシート」を登場させ、さらにデザインを洗練させた、この三代目アルトをリリースし、その中で確か「スライドスリム」と呼ばれる、このスライドドアを採用したモデルを登場させた。
正直、このサイズで、2BOX,、いやいや1.5BOXスタイルで「スライドドア」が出てくるとは夢にも思わなかった、衝撃のモデルであったのだ。
この他にも、色々な懐かしいクルマたちが並んでいたが、決して派手さや、展示品の多さでは、その他の博物館には適わないかもしれないが、
「無料」 で、しかも「クルマ造り」というポイントまでも紹介しているスズキ歴史館は、ある意味で、
「メセナ」 という企業思想で言えば、特上の博物館であるといえると思う。
もちろん、展示に拘った博物館は多くあるが、クルマ造りへの愛情、クルマを理解して欲しいと熱意に関しては、トヨタ自動車博物館にだって負けていない、いや、ある部分では超えていると言っても差支えないだろう。
本来なら、国産車の歴史と、実は膨大な歴史的なクルマを所蔵している
日産 が、こうした国産車の歴史と、クルマ造りへの正しい啓蒙の為に、率先してこのような博物館などを建設すべきなのだが、まぁ今の儲けしか考えていない企業体質では、お金儲けを別にしてなんて気持ちは毛頭ないだろう。
そうした意味で、スズキには失礼だが、その企業規模を考えれば、こうした建造物を作り上げた事は賞賛に値するし、もっと日本の他のメーカーも、歴史観、クルマというものの知識の啓蒙といった観点から汗を流すべきだと僕は大いに感じている。
そういった努力がないから、クルマへの興味も薄れ、販売台数の激減や、海外での国産車の地位の地盤沈下が進んでいると思うのだが。
色々な意味で、ここは、これからのクルマの姿を考えさせられる博物館であったと僕は感じて、あとにした。