
今回の東京モーターショーは、なかなか話題に乏しいのだが、その中で気を吐いていたのがトヨタ。
特に 「センチュリー」 と共に人だかりのあったのだが 「クラウン・コンセプト」 だ。
これまでの日本的な美的感覚を主体として、かつてはトヨタの、いや、日本のクルマのオーナーカーとしてのヒラエルキーの頂点にあったクラウンも、バブルの時代にはいきなり免許を取った若者でも、所得が豊かになった事もあって、「ハイソカー」として、いきなり所有してしまう「高級車」の一つとなってしまった。
そしてバブルの崩壊に至り、それまではクルマを持つ事がステイタスだった時代は終わり、個性と生活の多様化が進んだ。
3Cと言われた時代から、長らくクルマを持つ事が「夢」だったのが、持つ事の意義を問うようになり、何が何でもクルマを持とうという時代は終焉した。
そうなるとクルマの販売台数は徐々に下降線をたどり、一方、グローバル化の中で、国産車のメーカーは、数を売るとなると、国内向け、海外向けと言った両方とも数が出るから・・という論理では収益が成り立たなくなり、2000年代に入ると、海外の方が数も売れ、粗利も良くなってしまったので、勢い、海外向けの仕様を焼き直して、それを国内向けに投入するようになった。
2L超えても懲罰的に税金が高くなくなり、クルマもちょっと頑張れば買える価格だった・・このクルマから国産車の幅広化、排気量が拡大傾向になった。
折しも、税制も変わり、懲罰的なオーヴァー2Lへの課税も無くなり、さらに衝突安全性が叫ばれるようになって、クラッシャブルゾーンの確保から国産車も長く幅広になって来て、何も1,700ミリの幅に拘らなくても良くなり、それまで幅広だった海外仕様のクルマを抵抗も無く国内へと投入できるようになって来たことも、本当に国内で使いやすいサイズと、日本人の嗜好に合ったデザインのクルマが減った要因となった。
さらに、ミニヴァンが流行り出し、趣味というより「必然」という風潮でクルマを所有することになり、ますます国産車の没個性化、ミニヴァン以外のクルマは売れないから作らない・・・という悪循環に陥ってしまった。
さてさて、かつては「いつかはクラウン」と国産車のヒエラルキーの頂点にあったクラウンも、モデルチェンジを重ねるごとに、ユーザーも年齢が上がり続け、これではイカン!という事で、若返りを何度か繰り返しながら、日本人向けに日本だけを向いて進化し続けてきた。
しかし、天下のトヨタも、この期に及んで国内だけに特化した「高級車」づくりの限界を感じ始めていた。
そんな時に登場したのが、モリゾーこと「豊田章男」が社長になり、これまでのがんじがらめに、しがらみだらけのトヨタの販売戦略の見直しに着手した。これまで日本だけに目を向けていればよかった「クラウン」も、亜細亜地域での需要に応じる姿、それでも緩やかなグローバル化の波を被る事になった。
これまで国内のニーズ、速度で言えば 時速150Km/h 以下の領域で快適であればよかったが、亜細亜地域でも、それでは成り立たないという事で、クラウンで ニュル詣でまで行って新しいクラウンが開発された。
あのクラウンがニュルを攻める。もはや200Km/h のゾーンでも安定して走れる能力がクラウンにも要求される時代となったのだ。
そうしたクラウンの グローバル化 はエクステリアデザインにも反映されることになった。
Posted at 2017/11/05 14:01:30 | |
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