
ちょうど、この日はお昼前に打ち合わせが入っており、銀座の駅に降り立つと、5分ほど時間に余裕があった。
僕は、もう足早にそこに向かっていていた。
NISSAN CROSSING
そう、そこには、懐かしいY31シーマの優雅な佇まいを再び見る事が出来るのだ。
伊藤かずえさんのレストアされたシーマが待っているのだ。
一階の GT-R なんぞ目もくれず、エスカレータの昇って行く速度ももどかしく、僕は2階の彼女を目指したいた。
彼女は、優しい冬の日に照らされながら、優しく31年という時を隔てて、微笑で僕を迎えてくれた。
「ひさしぶり」
そう語り合いながら、彼女のそばへと向かった。
彼女の型式が 31 だから31年ぶりなのかななんて(笑)
ずいぶん久しぶりに彼女の顔を見たような気がする。
目鼻立ちは意外な程しっかりしているが、そこには気品があふれている。
実は目鼻立ちがシッカリしているんだけど、とても優しく気品があふれていた。今見ても変わっていないね。
無駄な「線」などそこには一本も無く、気品漂うまろやかな面と優しい弧を描くエッヂだけなのにシーマだと分かる
今のトヨタ、レクサスを見てごらんなさい。個性というもっともな理由から、無駄な線が、ボディの面に踊り、とても忙しく乱雑で気品など微塵も感じない。
それが彼女はどうだ。無駄な「線」が一本も無く、まろやかな面と優しい曲線は弧を描く様に描かれているだけなのに、何処から見ても、すぐに彼女だと分かるし、そこには「気品」すら感じるものだ。
500万円を超えようかというクルマのテールランプじゃねぇと櫻井眞一郎も懐疑的だった。
後ろ姿も、無駄な線や面が無く、当時の常識では考えられない、シンプルな造形のテールランプが並んでいる。
当時、多くの日産の関係者からは、そう、あの櫻井眞一郎氏さえも、500万円を超えようかというクルマのテールランプじゃねぇと懐疑的だったが、多くの日本人は、この奇をてらわないシンプルな造形に逆に気品と、新しい高級車の姿を見出していた。
しかし、そこには実はデザイナーの秘めたる思いが隠れていた。
アカンサスを模したオーナメント。実に複雑で質感の高い造形だ。
トランクリッドに輝く「アカンサス」をもしたエンブレムは、複雑な造形でありながら高級感が漂い、その質感は、小さなパーツなのに、クルマ全体の雰囲気をも変えてしまうオーラが漂っている。
オーナーとなった人は、こうしたひとつひとつのパーツの出来栄えに高級車たる造作の優雅さと質感に所有欲が満たされるのだ。
アカンサスのボンネットフードマスコット。優雅で流麗だ。
それはボンネットの先端にさり気なく添えられた「アカンサス」のボンネットフードマスコットからも伝わってくる。
今の複雑怪奇である事、複雑で、造りが大変に見える造形が、高級だと勘違いしているトヨタやレクサスのデザインを見て、このシーマを見ると、そのデザインの実力の高さが分かるモノだ。
無駄のないシンプルな造形なのに、何処から見ても「シーマ」と分かる面構成は秀逸としか言いようが無いモノだ。
実は、もっと彼女との濃密な時間を過ごしたかったのだが、あっと言う間に時間を過ぎてしまい、約束の時間が迫って来ていたので、再び街の雑踏の中へと足を運ぶことになった。
平日だというのに多くの人が、それも老若男女、シーマを見る為に集まっていた。
伊藤かずえ さんのという事も事実あるのだろうけど、でも、これだけ多くの人の心を魅せるのは、シーマの持つ、本当のヒトの琴線に触れるデザインが優れているからでは無いだろうか。
線や面の切り返しにばかり頼って、クルマの基本的なディテールが煮詰まっていない今のクルマが、30年の月日が経ってみたらどうなのだろうか。
シーマは、日本車のデザインがつまらなくなってしまった真の意味を無言で語っている様に思えてならないのだ。
また会いたいものだ。
Posted at 2021/12/15 17:53:15 | |
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