
ちょっと、相変わらずなんでこんな構造なのという NV に思うところがあって、横浜都筑区にある 匠
植木モーター へNVを走らせた。
植木モーター と言えば、部品がない、ほかで断られたといった、旧車や外車が駆け込んでくる板金塗装屋で有名なんだが、今回も、久々に懐かしい名車に巡り合えた。
ジョルジェット・ジュジャーロ の初期の名作である、いすゞ 117 クウぺ のド初期の「ハンドメイド」だ。
いすゞが、ほぼコンセプトカーそのままに市販を開始したため、当時のいすゞ社内のプレスでは、堀の深い造形が絞り切れず、職人がハンマーとハンダで仕上げたという実に手の込んだ造りのクルマだった。
まぁ考えてもみれば、この 117 のちょっと前の国産車は、自社のプレスの性能や能力が量産には向いていなく、日産やトヨタでさえ、三菱などに外板のプレスを外注していたくらいだ。
DATSUN 210 までは、全車ではないが、外板のプレスを三菱に依頼していた。
仮に社内でプレスしても、品質が一様ではなく、パネルを溶接してもピッタリと合わず、常にラインの中で手直しをしていた。そんな実情だから、117に至っては、特にリヤ周りの複雑で彫の深いプレスだと、シワが寄ったり、プレスし切れなかったりと、造り込みは困難を極めたに違いない。
彫が深く、複雑な造形のリヤ周りは当時の国産メーカーには造りが込みが困難だった。バンパーも一体成型で仕上げな職人任せだ。
一台一台、手仕上げなので、微妙に一台ごとの形状が異なり、例えばリヤ周りを ぶつけて、純正のパネルを持ってきても、微妙に合わない・・・という事が当たり前のクルマだった。
その他にも、もう、何十回も見て来たはずなのに気付いたのが、フロントボンネットの固定が、欧州車流儀の Wストライカー であることに気づいたのだ。
アウトバーンなどを高速で移動することが当たり前だった欧州車はボンネットの固定を強固にするために W ストライカー だった。プロトタイプを伊太利で作った 117 も W ストライカーだったのだ。
さらにヘッドライトを眺めてみると、いやぁ懐かしいヘッドライトが付いていた。
ロービーム CIBE 、ハイビームは昔ながらの小糸のシールドビームが・・・
ロービームの CBIE は、僕も 510 に付けていて、

徳小寺 無恒の"幸せの1400 こと 日産 ブルーバード 510
小糸やスタンレー、東芝と言った当時のシールドビームの ボヤっ と前を照らすランプとは違って、沃素ガス(ハロゲン)の醸し出す、当時としては「白い」灯火色とカットラインの出る配光にはえらく驚いたもんだ。
しかし、当時の車検は「純正以外は NG」、「明るすぎる」という不合理な約束のため、毎回、車検の時には純正戻しをしていた。
CBIE のロービーム。当時としては白い灯火と、スカッとカットラインの出る配光には驚いたもんだ。
小糸のシールドビーム。単純に言えば「白熱電球」。灯火色もオレンヂというかボヤっとしたもので、カットラインなんて望むべくもなかった・・
シールドビームは、レンズを含めてガラスで一体で作られていた。言うなれば巨大な白熱電灯だ。
細かい作業の内容は時間が無かったので聞くことができなかったのだが、また、旧車のオーナーが
植木モーター を頼ってきていたという次第だ。
この 117 も、発売から3年後には、いすゞが GM と提携を結んだこともあって、GM の技術供与もあり、若干のデザインの見直しもされて完全に自動化されて中期、後期へと時間軸を進めることになった。
ミラーがタルボ型になっているので、中後期の117クーペだ。
まぁ、最後には、かの ジョルジェット・ジュジャーロ も「何がなんでも角目というのはねぇ、時代の流れとは言え」と嘆かせた角目になった後期と、その生涯を通じて話題を振り撒いたのが 117 クーペ だったといえよう。
そんな 117 を横目で見ながら、今回のミッションを伝えると、あっという間に解決策を提案してくれて、ソク作業に入ってくれることになった。
その詳細は、次回のブログで。
Posted at 2022/08/27 11:35:03 | |
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