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STAGのブログ一覧

2013年11月16日 イイね!

《第12回》Wiki Lite - さらば大きな翼 ~ ボーイング747退役迫る -

《第12回》Wiki Lite - さらば大きな翼 ~ ボーイング747退役迫る - どもっ!旅客機の代名詞といえばボーイング747だと思う雷帝王です。ボーイング747ってのはかつての日本航空の「日の丸ジャンボ」だったり、「政府専用機」だったり色々あります(そう言えばエアフォース1もそうですね。ボーイング747-200B)が・・個人的に年代がばれますが・・「スチュワーデス物語」が印象的でした。この頃の日本航空・・JALは日の丸ジャンボ、鶴丸塗装のボーイング747で・・当時小学校だった私でも凄く印象に残っています。

まぁなんでここでWiki Liteと言う非常に古いカテゴリを引っ張り出したか?って言うと・・明日・・広島空港にボーイング747が飛来してきます。これが・・広島空港におけるボーイング747のラストフライトとなる模様。「747里帰りフライト」と言って、かつて就航した日本全国に一日のみの飛来を行うということで・・かつて就航していた空港に飛来するプランがあり・・広島空港が11月17日と言うわけで・・

明日は消防訓練や町内会の公園掃除行事と忙しかったのですが、当然全てキャンセル。この日を逃すと747もそうですが、広島空港に4発機が飛来することはまず無いだろう(あとはエアバスA380が飛来してきたら・・って無理だろうなww)と考え、明日複数人で747最後の雄姿を撮影して来ようかと言う事で・・

そんなこんなもあり・・とりあえずボーイング787シリーズお疲れ様って事で特集をしたいと思います。

~ ボーイング747関連Wiki

○初飛行は1969年2月9日で44年前。

○上記に付き、ボーイング747は2013年現在も生産されている(新型の開発もしている)が、747でも100-300までは「747クラシック」と呼ばれる。現在の747-400シリーズは「ハイテクジャンボ」と呼ばれ、外観こそ似ているが、航空機関士すら必要の無い最新鋭機(2名での運用が可能となった)。ハイテクジャンボとクラシックの操縦免許は全く違うものである。(どちらかの免許を取って乗れるものではない。)

○名称は日本航空では「スカイクルーザー」、全日空では「テクノジャンボ」、シンガポール航空では「Megatop」などがある。(ゲーム全般をファミコンと呼ぶようにワイドボディ全体をジャンボと呼ぶ位の知名度がある。)

○生産数は2013年7月で1526機

○合計発注機数世界一は日本航空で113機(現在は全機退役済み)

○最大客室数は550席と最多だったが、エアバスA380が近々600-800席(!)の機体を準備中。現在の座席数は530席前後と747と同等のものが多い。

○貨物機としても成功している。(747はノーズが開いて収納が可能だが、A380は不可能で競合の対象となり得なかった。)

○日本航空が使用していた747-100SRの1号機は、退役後NASAのスペースシャトル輸送用として運用された。(JA8117→N911NA)スペースシャトル、チャレンジャー号の事故後の話である。

○製造数が多い事もあり、航空事故も多い。
・機体損失事故→30回
・死者数2843人
・その他原因6回→死者数857人
・ハイジャック29回→26人死亡

○ボーイング747の1号機は「シティオブエバレット」と呼ばれ、現在もエンジンが外され静態保存されている。エバレットはボーイング社の工場があるワシントン州の都市。

○747SR-100のSRは「Short Range」の略で、短距離路線専用モデルであり、日本向けに開発された機体だが、伊丹-グアムなどの国際路線の就航もあった。日航ジャンボ墜落事故もこの機体。

○「スチュワーデス物語」の主人公「松本千秋」は、本当は小泉今日子が演じる予定であったが、スケジュールの都合が付かなかった為、堀ちえみとなった。

・・
・・・

まぁ最後はちょっと関係ないような感じがしますが、実際に堀ちえみが演じてなかったら、多分堀ちえみはあそこまで有名にならなかったのでは?って思ったりして、なんか大映マジックって感じですね。ま・・そりゃいいとして・・

ボーイング747と言うのは・・実は私も結構思い出があったりします。日航ジャンボ墜落事故が、ちょうど小学校高学年の時に起きてしまい、その頃のトラウマと言うと大変なものでした(Wiki Liteとして書こうか書くまいかと悩みましたが、今書かなければ恐らく日の目を見る事はないので・・)。思えば、日本航空もボーイングもあの事故以来、大変な苦痛を背負ってきたのは言うまでもないですが、あの事故を教訓として今の航空機の安全性が確保出来ているものだとも思います。アイルトン・セナのサンマリノでの急逝も然り・・

それが、数年後にちょっとした事があり、海外に行くことになり、乗った機体がノースウェスト航空のボーイング747でした。当時の海外旅行はジェット機が主流になり、経由しなくても西海岸に行けると言うのは画期的な事でしたが、航続距離を稼ぐ為、その為にパワーが必要な為にジェットエンジンが4機必要な時代もありました。その前は尾翼に一つジェットエンジンが付いている3発機なんてのもありましたが・・

現在の主力(と言うか殆ど)は双発機です。エンジンの性能と効率が飛躍的に上がり、燃費も良くなり航続距離と省燃費を両立した環境エンジンなので、恐らく747のような4発機は今後存在しないでしょう。A380を除いては・・・

で・・丁度海外に降り立った所がワシントン州シアトルで・・エバレットはその近所でした。そこら辺に行くと本当にボーイングの従業員さんが多かったような気がしますが・・

ボーイング747の魅力を上げると・・・個人的には「ノーズの上が平ら」な所ですかね?あれですぐに747と分かります。あとは4発機なのですが・・こないだ羽田空港で撮影した時には4発機が結構飛来してきていた(大韓航空やら・・アジアでは747は未だに現役な所も多いと思う。)ので、そこら辺に住んでいる人はまだ見れるでしょうけど・・地方の空港ではもう4発機自体が観れなくなる・・そう言うのは寂しい限りです。

ピカチュウジャンボは既に退役し、後はANAカラーのみかと思います(日本航空の747は既に退役。ローンチカスタマーだったのだが、123便墜落事故やJAL自体不況の煽りを受けてしまっていたので、しょうがない所かもしれない。ちなみに、JALは脱ボーイング機を目指しているようで、エアバスA350の発注を始めた模様。)が、初日の出フライトなども予定されているようなので、興味のある人は是非最後のフライトを楽しんでみてはどうですか?

何はともあれ・・一つの時代がまた終わりつつあるなぁ・・と、やや涙腺が緩い私ではありますが、明日は楽しんで来よう。(9時25分頃飛来して来る模様です。)

滑走路にたたずむ747-400
滑走路にたたずむ747-400 posted by (C)STRATOSPHERE

羽田第2
羽田第2 posted by (C)STRATOSPHERE

大韓航空 747-400(HL7494)(3)
大韓航空 747-400(HL7494)(3) posted by (C)STRATOSPHERE

陽炎の果てに
陽炎の果てに posted by (C)STRATOSPHERE
Posted at 2013/11/16 23:35:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | ウィキペディアLite | 日記
2011年08月07日 イイね!

《第11回》Wiki Lite - 66年目の夏 広島への原爆投下を纏める -

《第11回》Wiki Lite - 66年目の夏 広島への原爆投下を纏める -どもっ!今日は昼に本家で親戚の焼肉に誘われるがまま行って腹いっぱい・・今月分の肉を平らげてきた夢幻のジャッカロープなんですが・・いかがお過ごしでしょうか?その後、PC(のOSが立ち上がらないので)を観に行ったりして現在に至りますが、今日も暑くて忙しかったorz

さて・・昨日は8月6日。世界で始めて戦争目的で原爆が投下された日でもある。私は勿論その惨状を知るよしもない昭和末期生まれではありますが、広島では原爆関係の教育が当然盛んであり、まぁここは風化させてはいけないものと考え毎年ブログでは特集を練っているわけなんですが・・今年も書こうと思います。

ちなみに、画像なんですが、原子爆弾の規模の比較と言う事で、もちろん世界最大なのはソ連のツァーリボンバー(世界最大の水爆・広島に投下された原爆の3300倍。)なんですが、それと比べて広島の規模と言うものは豆粒みたいなものです。しかしながら、その豆粒のような規模の原子爆弾で、推定14万人の人が無くなったという事実。「抑止の為の原子爆弾の保有」と言う話もあるのですが、正直世界中が、戦争は別として原子爆弾の製造をやめれば、ここまでの脅威になろうはずも無く、やはり原子爆弾保有の意味と言うものはとてつもなく大きいのでしょう。そう言うわけで、今年は箇条書き形式で書きたいと思います。

~ 広島に投下された原爆について

○実戦で使われた世界最初の核兵器である。

○一発の兵器により当時の広島市の人口35万人(推定)のうち約14万人が死亡したとされる。

○広島に原爆を投下したB29の機名は「エノラ・ゲイ」。これは、機長であるポール・ティベッツ大佐の母親、エノラ・ゲイ・ティベッツ (Enola Gay Tibbets) からとったものである。しかしながらこの号機の指令であるロバート・A・ルイス大尉(原爆投下任務時は副機長を務めた)は運命的であるこの作戦に母親の名前を付ける事に強い不快感を示した。

○現在エノラ・ゲイはスミソニアン博物館別館に展示されているが、スミソニアン博物館に設置する計画は、米退役軍人団体などから抗議の強い圧力がかけられ、その結果、展示は原爆被害や歴史的背景を省くこととなり規模が縮小された。(破壊活動等が懸念される為、厳重なセキュリティーをかけている模様)

○リトルボーイは爆弾倉を離れるや横向きにスピンし、ふらふらと落下した。間もなく尾部の安定翼が空気を掴み、放物線を描いて約43秒間落下した後、相生橋よりやや東南の島病院付近高度約600メートルの上空で核分裂爆発を起こした。(よく落下傘にて落ちてくるという描写があったが、あれは間違い)

○強力な熱線により屋外にいた人は、内臓組織に至るまで全身の水分が蒸発・炭化した遺体が道路などに大量に残された。

○爆心地を通過していた路面電車は炎上したまま遺骸を乗せて、慣性力で暫く走り続けた。吊革を手で持った形のままの人や、運転台でマスター・コントローラーを握ったまま死んだ女性運転士もいた。

○原爆ドームは、正式名称「広島県産業奨励館」。1919年(大正8年)日本で始めてバウムクーヘンが製造販売された場所である。その製造したドイツ菓子職人がカール・ユーハイムと言う人物で、神戸に本社を置く株式会社ユーハイムの創始者である。

○原爆ドームは「二度と同じような悲劇が起こらないように”との戒めや願いをこめて」負の世界遺産と呼ばれている。(現在は数度修復されて、凄惨な過去の遺産として、数多くの世界各国の人々が観光に訪れている。)

○爆心地から500メートル以内での被爆者では、即死および即日死の死亡率が約90パーセントを越え、500メートルから1キロメートル以内での被爆者では、即死および即日死の死亡率が約60から70パーセントに及んだ。さらに生き残った者も7日目までに約半数が死亡、次の7日間でさらに25パーセントが死亡していった。

○爆発の瞬間の爆発点の気圧は数十万気圧に達し、これが爆風を発生させた。爆心地における爆風速は440m/s以上と推定されている。これは音速349m/sを超える爆風であり、前面に衝撃波を伴い爆心地の一般家屋のほとんどを破壊した。比較するとこの風速は、強い台風の中心風速の10倍である。原爆の爆風は、エネルギー比では台風の暴風エネルギーの1,000倍の爆風であった。

○核分裂で出現した火球の表面温度は数万度に達した。比較すると、爆心地の地表が受けた熱線は通常の太陽の照射エネルギーの数千倍に相当する。

○原爆投下後、広島赤十字病院の地下に残っていた未使用のレントゲンフィルムが放射線によって全て感光していたため、広島へ落とされた新型の爆弾は原爆と決定付けるものとなった。

○原爆投下は8月6日8時15分に爆発したと言う話が定説だが、実はこの話は諸説ある。

○広島原爆には約50キログラムのウラン235が使用されており、このうち核分裂を起こしたのは1キログラム程度。

○広島に投下された原爆はウラニウム型原爆であり、長崎に投下されたのはプルトニウム型原爆である。

○枕崎台風・・・原爆投下から1ヵ月後に昭和3大台風と言われている枕崎台風が広島を直撃。当然焼け野原で建物もままならない状態だったので、全国で死者2000人を超す大惨事(行方不明者合わせると約3700人)となった。しかしながら、この台風が焼け野原を放射能を除染して、人が住める土地になったとの見解もある

○パラシュート・・・先述の通り、広島への原爆投下はパラシュートにより落下したものではないが、投下されたのは原爆投下後の風圧などを探るラジオゾンデの見間違いによるものである。

・・・まだまだ書きたいことがありますが、とりあえず人が立っていられないほどの爆風と熱、そして放射能汚染があったようですね。数字を列挙していても、漠然としていてそれがいかに凄いものなのかが良く分からない事がありますが、恐らく広島県人はある程度教育はされているので分かる部分もありますが、現在は風化もあり難しい部分もあるかもしれません。

今回は広島に原爆が投下された本筋ではなく、余り知られていない事も含めて書いてみましたが、これを機に原爆投下という行為がいかに凄惨なものだったか?を再認識していただければ幸いです。

来広出来ない人のために、今年最初に原爆資料館に行って写真を撮ってきたのでスライドショーにて雰囲気を味わってみてください。

Posted at 2011/08/07 21:19:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | ウィキペディアLite | 日記
2009年01月21日 イイね!

《第10回》Wiki Lite -世界のサーキット②-

さて・・第2回を書きたいと思いますが・・ちょっと不思議に思ったことがありまして・・私の・・特に印象に残っているサーキットの一つに・・

「バサースト:Bathurst」

・・なるコースがあります。GRIDの前身であるTOCAでのバサーストは「当たり前」のように入っているコースなんですが・・ここがもー、「鬼コース」で・・とにかくサーキットの中間にツイスティなブラインドコーナーが複数あり・・よくクラッシュしたものです。ちなみにこのバサーストは・・多分FD3S・・RX-7の特別仕様車の名前にも使われた事があるので・・知っている人もいると思います。まぁそんな感じで今日もご愛読くださいまし。

⑤ スパ・フランコルシャン

「1924年に第一回のスパ24時間レースが開催される。ヨーロッパグランプリは1925年に開催。F1ベルギーGPを始めとする各種の大きなイベントが開催される。

レースが開催されるようになった当時は全長14km以上ある長い公道コースだったが、スピードが出過ぎるために開催を中止しコースを改修、現在のコースの原型は1978年に造られた。サーキットはレース専用の部分(Les Combes - Stavelot間)と公道(Stavelot - Les Combes間)が混在していたが、常にレースが開催できるように公道部分にバイパスが作られ、現在は完全なレース専用のクローズドサーキットである。難易度の高い高速コーナーが多い事から、ドライバー達のコースに対する評価は高い。

2003年にはEU圏のたばこ広告禁止により、F1が開催中止となったが、2004年には復活を果たし、その際、バスストップシケインが改修された。2006年はピットレーン周辺の問題からF1が開催されなかったが、2007年に再びバスストップシケインとピットレーン施設を改修し復活した。

コントロールラインを過ぎるとすぐに訪れるのが1コーナーの右ヘアピンラ・ソース(La Source)。コントロールラインからコーナーまでの距離が短く、右に鋭角に切れ込むヘアピン状のコーナーであるため、決勝スタート直後に度々ここでクラッシュが起こる。以前はコーナーの立ち上がりのアウト側に縁石があったが、ナイジェル・マンセルがさらにその外側を走るラインを見つけて以降、ほとんどのドライバーが彼のラインをトレースするようになったため、その縁石は取り除かれたが、2007年の改修により再び縁石が設けられた。過去の縁石の配置ではコース外に出ても縁石を踏まずにコースに復帰できたが、2007年の改修ではコースに復帰するためには必ず縁石を越えなくてはならないように縁石を配置したため、コースをはみ出して大回りすることはタイムロスにしかならないようになった。

これを過ぎると、左、右、左と上りながら小刻みに曲がる世界のサーキット屈指の名物セクションオー・ルージュ(Eau Rouge、フランス語で赤い水の意)がやってくる。300km/h近いスピードで駆け抜けるこのセクションは、ドライバー視点からは壁のように見えるといい、現在世界中に存在するサーキットの中で、最も度胸が試されるコーナーのひとつと言われている。イモラ・サーキットでアイルトン・セナらが事故死しF1の安全性が問われていた1994年には、オー・ルージュは危険性低下を目的としてタイヤバリアの敷設したシケイン状のコーナーになったが不評だったため、翌年からランオフエリアを広げることで元の形に戻された。なお、オー・ルージュ(赤い水)とはコーナーの近くを流れる川の名である。日本の温泉地にも時より見られるもので、川の水に鉄分を多く含み、赤く見えることに関係している。

オー・ルージュの出口にある左コーナー ラディオンを越えると、ケメル・ストレート(Kemmel)に入る。長いストレートである事と、オー・ルージュの抜け方によって最高速度が大きく変わる事から、オーバーテイクが頻繁に行われる。2000年、ここでミカ・ハッキネンが周回遅れのリカルド・ゾンタを挟んでシューマッハをオーバーテイクしたことがある。このシーンは各メディアで「20世紀最高のオーバーテイク」と言われるほどスリリングで驚異的なものであった。」

・・・ラ・ソースのヘアピンから脅威の登り坂のオールージュ・・そしてケメル・ストレート・・スパのすごい所はこの前半のコースレイアウトですね。あと・・天候が非常に変わりやすく、当然路面変化も刻々と変わるので・・オールージュは屈指のコースレイアウトだと思います。私もTOCAなんかで走りますが・・とても怖くてorz

⑥ ニュルブルグリンク(南コース

「第一次世界大戦に敗れたドイツで、当時の政府が失業者に職を与えるために建設した。1927年の開設当初は全長が22.8kmの巨大な北コース(独:Nordschleife)と全長7.7kmの南コース(独:Südschleife)の2つに分かれており、現在は北コースが20.8km、南コースが5.1kmとなっている。

当初の名称はNürburg-Ringだったが、1933年にナチスがドイツのモータースポーツ全体に資金援助を行った事で改修され、このときに名前からハイフンが取られNürburgringとなった。

1950年代のF1創成期からその開催地として利用され、幾度かの中断やレイアウトの変更を重ねながら、現在もホッケンハイムリンクと共に、ドイツ国内でのF1の開催地に名を連ねている。また、名物であるニュルブルクリンク24時間レースの開催地としても有名である。
なお、ドイツ語の発音では「ニュルブルクリング」が、より正確である。」

・・・ゲームで有名なのは・・多分北コースでしょうね。全長20キロ以上で・・舗装路のつぎはぎがあるコースですが・・R35 GT-Rをはじめ・・多くの市販車がベンチマークとして北コースを走ってきました。・・・がっ!私はあえて南コースを上げます。これはDTMなんかで非常に名物なコースなんですが・・コースレイアウトが本当に自然で・・走りやすいしオーバーテイクの見せ場もたくさんある・・個人的にはかなり好きなコースです。ちなみに・・南コースは日本のゲームで出ることはほとんどありませんが・・これまたTOCAで走ることが出来ます。北コースはクルマのベンチマーク同様、ゲームとしてのリアリティの限界に挑戦するように各社こぞって収録してますが・・・さすがに難易度が高いために嫌いな人のほうが多いですね。・・・GT4のリアル24時間は泣きますよorz

⑦ マツダ・レースウェイ・ラグナ・セカ

「マツダ・レースウェイ・ラグナ・セカ(Mazda Raceway Laguna Seca)はアメリカ合衆国のカリフォルニア州モントレーにあるサーキット。マツダが筆頭スポンサーであるため、その名が冠されている。ラグナ・セカとは『渇いた内海』の意。

1957年に造られ、急激な下りを伴ったS字コーナー「コークスクリュー」で知られる(図の7・8・8Aにかけての区間)。1987年に現在のコースレイアウトに改修。近年はチャンプカー、A1グランプリ、MotoGP、アメリカン・ル・マン・シリーズなどの開催地となっている。」

・・・個人的には嫌いなコースの一つですが・・まぁ有名どころを上げておかないとって事で・・。GTとかやってるとずっと「MAZDA」の看板がいたるところに見えるのですが・・やっぱりマツダがメインスポンサーということみたいです。コースが細いのにルマンのLMPクラスがばんばん走っているのはちょっと驚きますね。

⑧ モンテカルロ市街地コース

「F1モナコGPはインディ500、ル・マン24時間レースと並ぶ世界3大レースの1つであり、コートダジュールの海岸沿いをガードレールをかすめて走り抜けるモンテカルロ市街地コース(3,340m)を舞台に行なわれる。モナコ王室の協力を得て、1929年に開催された国際レースを起源とする伝統の市街地レースである。F1にもチャンピオンシップがスタートした1950年から名を連ねており、いくどかの中断をはさみ、2008年で66度目、F1GPとしては56度目の開催となる。

2003年にはプールサイドシケインの出口からラスカスまでのレイアウトが変更され、路面もかなりの部分で再舗装が行なわれた。

直線はほとんどなく道幅も狭く、ガードレールに視界をさえぎられるテクニカル・コース。コースにはトンネル区間が存在する。

勝者を選ぶドライバーズ・サーキットとして名高く、5連勝を含む通算6勝のF1記録を樹立したアイルトン・セナや、通算5勝のミハエル・シューマッハ、同じく通算5勝のグラハム・ヒルなどは、敬意を込めてモナコ・マイスターと称されることがある。」

・・・モナコマイスターという称号を持つドライバーは世代最強でもある・・って思いますが・・去年のF1モナコGPは「トラクションコントロール装着禁止」って事でもあり・・しかも雨天だったのでそれはまさに地獄絵図のような状態でした。今年も雨が降って欲しい(車速はF1としてはあまり速くないので・・純粋に腕の戦いとなる。)って思うのは私だけでしょうか(笑)

さて・・今日のYOUTEBEをば・・



・・・ニュルブルグリンク、オールドコースのドリフトです。通常やる奴はいません。とっても危ないからorz(っていうか自殺行為だと思うが・・)
Posted at 2009/01/21 21:23:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | ウィキペディアLite | 日記
2009年01月20日 イイね!

《第9回》Wiki Lite -世界のサーキット①-

ども・・久々に名物(?)コーナーを復活させて見ました。・・・思えば前回のカップ・ヌードル以来・・「カップヌードルを書いたら次に書くことが無い」位の勢いのいいネタだったので・・この半年間ずっといろいろ考えていましたが・・ようやく腹ぁくくる覚悟が出来ました(笑)

さて・・復活のWiki Liteのテーマは・・

「世界のサーキット」

レースをする上で最も重要な事は・・「レース場がある事」・・・に他ならず・・日本も当然ですが・・世界ではものすごいコースが存在していたりします。そういうのをちょっとずつ紹介できたらいいですね。・・・ちなみに・・私が最も好きなサーキットは・・多分

「スパ・フランコルシャン」

だと思いますが・・それも追々紹介したいと思いますので・・楽しみにしていてください。(なお・・数回に分けてサーキットを上げますが・・若干個人の主観が入っていたりするので・・ご覧になっている皆さんの御目がねにかかるサーキットは多分紹介しないと思います(あくまでマニアックなもの主体でorz))

サルテ・サーキット→世界3大レース+草レースの聖地

「全長13kmを超える周回コースで行われ、その殆どは一般道で、スタートおよびゴール地点とその周辺は競技専用のブガッティ・サーキットの一部を使用する。各ストレートやコーナーには「ユノディエール」や「ミュルサンヌ」、「ポルシェカーブ」、「フォードシケイン」などの名称がついており、これらの名称は世界的に著名である。

サルト・サーキットの特徴といえばユノディエールという全長6kmに及ぶストレート(右のコース図で言う上のストレート区間)であったが、マシンの進歩により1988年には最高速が405km/hに達するなどしたため、安全上の問題から1990年には二箇所のシケインが設けられた。

フォーミュラ1のモナコグランプリとアメリカのインディ500と並び「世界三大レース」と呼ばれる。またデイトナ24時間レース、スパ・フランコルシャン24時間レースとともに「世界三大耐久レース」とも呼ばれる。1923年に初めて行われて以来、中止されたのはコースが大改修された1936年と、第二次世界大戦の開戦により中止になった1940年から1948年[2]にかけての間だけである。

そして老若男女・国籍・普段走っているカテゴリーに関係なくさまざまなドライバーが参加し、現役ドライバーはもちろん一線を退いたスター選手の走りも見る事ができる。」

・・・ご存知!サルテサーキットです。このサーキットは・・まぁひとえに言うと・・「ルマン24時間耐久レース」が行われる場所。全長13kmとニュルブルクリンク・オールドコースに比べるとやっぱりサーキットチックですが・・なんといっても6kmの直線に2つのシケイン・・これって私・・ゲームで・・

「リアル24時間、ルマン耐久レース」

・・・という馬鹿な企画やったことあったんですが・・12時間経過した時点(とはいっても、ゲーム自体は途中で一旦停止が出来る)でかなりの睡魔に襲われる場所でもあります。昔は直線で・・最高速度が400キロオーバーだったんですが・・シケイン2つ追加されても・・恐らく360キロ程度は軽く出ると思います。コースレイアウトはスピードが乗りやすいんですが・・それ故に度胸が必要なコースだと思います。

ドニントン・パーク

「ロンドンから北へ高速道路を2時間半ほど走ったダービーシャーにある、1931年にオープンしたイギリスきっての名門サーキットである。第二次世界大戦以前からトップカテゴリーのレースが開催されていたが、1939年に勃発した第二次世界大戦中はコースが閉鎖され、軍用車の保管場所として使用されていた。

戦後サーキットとしての利用が再開されたが施設が老朽化し、1977年に所有者が変わったことをきっかけにコースと施設の改修が行われ、再びトップカテゴリーのレースが盛んに行われるようになった。

緑の広い丘陵地にあり、煉瓦で造られたピット・エリアと、緑豊かななだらかな起伏のコースが特徴である。1977年と1984年にコースレイアウトが改良された他、1993年のF1開催前に観客席が増設、改良された。また、随時ピット施設や観客席が改良されている。

サーキット内に数百台のレーシングカーのコレクションを擁するミュージアム「ドニントン・グランプリ・コレクション」がある他、近年までは、ジム・ラッセル・レーシングスクールが開催されていた。 

2010年のF1開催に向けて、ヘルマン・ティルケによってレイアウトが改修される。 ピット施設が現在のスターキーズストレートのインフィールドに移され、そこがスタート地点になる他、エッセスシケイン及びメルボルンヘアピンが撤去され、現エッセス~レッドゲートまでが大幅改修され、コース全長は約500m伸びる模様。尚、レッドゲート~コピスまでのレイアウトは変更されない予定である。

現レイアウトのコース全長:4023m」

・・・ドニントン大好きです(笑)理由は・・「個人的に合ってる」からですね。・・・私が尊敬するWGPライダーのK・シュワンツが大変得意としていたコースで、規律正しいRがあると言うよりは、直線と複合コーナーと変則Rと・・これまたスピードが乗りそうなコースです。Rが緩やかなのでスピード調節が結構難しく、ラップタイムを出すのは難しいコースでしょう。

シルクイート・デ・ラ・コムニタート・バレンシアーナ・リカルド・トルモ

「スペイン、バレンシア州のチェステにあるサーキット。サーキットの名前は1998年に白血病で亡くなった地元出身のライダー、リカルド・トルモにちなむ。また、単にバレンシア・サーキットと呼ばれることがある。

2000年に造られ、MotoGPの開催地のひとつとなっている。」

・・・ここはMOTO GPが多いですね。バレンシアはどっちかと言うと「岡国の反対回り」って感じです。インフィールドの出来とかが・・よく似てます。(ひょっとすると真似た??(汗))典型的なサーキットだと思います。

ホッケンハイムリンク

「ホッケンハイムリンク(ドイツ語:Hockenheimring Baden-Wurttemberg)は、ドイツ南西部のバーデン=ヴュルテンベルク州ライン=ネッカー郡にあるサーキット。ニュルブルクリンクサーキットと隔年でF1ドイツGPが行われる。

1932年の開設当初は、今の最終コーナーからさらにホッケンハイムの街側とその反対側に大きくコースが延びる、ほぼ直線同士を繋いだ全長12kmのコースだった。その後、1938年に街の反対側を曲線で繋いでかつてのオスト・カーブとなり、オーバルと直線を合わせた様な全長7.7kmのコースとなった。

しかし、1966年にアウトバーンがコース脇を通ることになったため、更にコースを短縮せざるを得なくなった。そこでジョン・フーゲンホルツがサーキットを再設計し、3つのロングストレートとスタジアムセクションを結んだコースとなった。

2001年のドイツGP終了後に大改修が行なわれ、全長6.823kmから4.574kmへ大幅短縮し、中高速コースへと生まれ変わった。さらに、森の中を時速360km以上で駆け抜けた超高速ロングストレートは姿を消し、よりタイトな近代レイアウトへと変化した。

尚、現在の旧コースは、旧コース入り口の先からオストカーブまで舗装が剥がされ草が生い茂っており、切り開かれた森だけが、そこにかつての高速コースがあったことを象徴している。」

・・・昔のホッケンハイムリンクと言えば・・まず思い出されるのが・・

「'91年のWGP、レイニー VS シュワンツ」

・・ですね。これはネ申レースとして・・単体でDVDも発売されているくらいなんですが・・未だにあの「究極のブレーキング」が脳裏に焼きついてますね。あれだけの超レイトブレーキングをかましたら確実に次のコーナーへのアプローチが遅くなってしまうんですが・・それが・・・と言う感じです。このDVDはいつか買うだろうと思います(笑)あ・・改修されたホッケンはDTMでも有名なコースだと思います。第1コーナーを超えたら直線で・・そこから急激なヘアピン・・そこから最終コーナーまでは真面目なコースだと記憶してます。TOCAのゲームでもなかなか攻略しやすいかも!?

今日はここまでですが・・話題にあったシュワンツVSレイニーのYOUTUBEを・・。



・・・こんなツッコミされたらたまらんですよorz
Posted at 2009/01/20 21:30:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | ウィキペディアLite | 日記
2008年08月13日 イイね!

《第8回》wiki Lite - Cup Noodle -

こんばんわーっ!紅蓮のヴォルペルティンガーでーっす!!
・・さて、あまりにも足の筋肉痛が痛いのですが・・やっぱり今日も夜中のウォーキングに行って来ました。まぁ今日は1.6キロ程度なのでたいしたこと無いですが・・やっぱり最近は汗かかないと寝れないっす。

さて・・久々にwiki Liteやってみたいとおもいます。今日のお題は・・皆さん好きな「カップヌードル」ですねっ!全世界で愛されているカップヌードルですが・・何がどうなったのか??もっとも、コカコーラよりはオープンに書かれていると思います(あれは意外とセキュリティーが強すぎ!)が、ちょっくら掘り下げてみたいと思います!

- 概要 -

○世界初のカップ麺とされるロングセラー商品で、時代とともに食の多様化によって様々な風味の商品や、「ミニ」や「BIG」などの異なるサイズの商品も発売されている。熱湯を注いで3分で食べられるよう、麺は細く扁平で、発泡スチロール製のカップの中には粉末スープとフリーズドライ化された具材が入っている。

○今日ではありふれた食品だが、大量生産に当たって様々な工夫が凝らされている。後に様々なメーカーから同種の食品が発売されたが、カップヌードル自体は最初に登場したカップ麺という事で、定番化したが故に先行者利益から大きなアドバンテージを得ており、特にオリジナル(しょうゆ味)は現在においても世界中で好まれているカップラーメンにおいて人気第1位を維持しており、第2位はカレーが選ばれている。

○日本国内向けは「CUP NOODLE」だが、日本国外では「CUP NOODLES」である。

- 開発 -

○時の日清の社長でチキンラーメンの開発者である安藤百福が、紙コップで食べられるラーメンをと発案して作られた。

○元々は1966年にチキンラーメンの海外進出を目指してアメリカ人バイヤーに売り込んだ際、これらの人々が砕いたチキンラーメンを紙コップに入れ、これに熱湯を注いでフォークで食べていた事がヒントになっているという。ラーメンが丼と箸という枷を逃れて海外進出するための戦略商品だった。

○当時の紙コップはロウを使ったパラフィン紙を利用していたため、売り込みから戻った同社長はホテル内で試したが「紙コップ臭くて美味しく食べられなかった」と後に述べている。このため、他社で発泡スチロール製容器が紙コップに置き換えられた時期でもカップ素材は変更されなかった。

○日本向け製品で用いられているアルミ箔と紙を貼り合わせた構造の密封性の高いフタは、安藤がアメリカから帰国する際の機内食で出されたマカデミアナッツの密封パックで使われていたものをヒントにしている。

- 構成 -

○発売当初から続くパッケージのデザインは、1970年の日本万国博覧会のシンボルマークをデザインした大高猛によるもの。発泡スチロール製の容器に乾燥麺をつめることにより容器自体の強度を上げたりと、梱包方法一つをとってもさまざまな工夫の積み重ねと試行錯誤の繰り返しにより決定された

○麺は「瞬間油熱乾燥法」と呼ばれる方法で製造されている。一般の袋入りインスタントラーメンの麺は厚みが3cm程度であるのに対し、カップヌードルの麺はカップの形状に合わせた円錐台形

○カップの底に空洞があるのは、「出荷時の麺割れを防ぐ(中空保持構造)と同時に、湯をそそいだ時に対流を発生させ、時間の経過とともに徐々に麺の重心が下に移動することにより、3分後の完成時には何もしなくても全体が自然とほぐれ食べやすくなり、その時にスープの水分も密度の高い上分と下部でまんべんなく行き渡るように計算されている

- 具材 -

○具材の加工法として、当時では珍しかったフリーズドライ製法を使っている。いわゆる乾物は、お湯を注いでから元に戻るまで3分以上かかるため、使えない。

○日本向け製品に伝統的に小さな剥きエビが具として入っているのは、製品開発当時に豪華さが感じられる食材として真っ先にエビが挙げられ、採用されたという逸話がある。

○具材はどれもラーメンの具としては一般的とは言えない具材でもある。その後、えび・玉子焼き・肉団子、単独もしくはこれらの組み合わせは、一部のカップ麺も倣って使用され、カップ麺独自の具材文化となっている。

- マーケティング -

○新スタイルの商品であるため、市場調査も兼ねて試験販売が行われ、「簡便性」「完全調理済食品」という点に目を付けた自衛隊が大量購入し最初の顧客となった

○当初は関東地方のみの販売で、最初は東京球場で売られた。東京・銀座の歩行者天国でも大々的な宣伝販売を行い、4時間で2万食を売った。当時はパッケージにプラスチック製フォークが添付されていた。当時の価格は100円で、当時約35円だった袋入りインスタントラーメンの3倍程度の価格設定だった。なお、この差額は現在でもほとんど変わらない。

- パッケージ -

○ちなみに容器を見ると「カップヌードル」と「ド」が小さく表記されているが、これは当時「ヌードル」という言葉が日本に定着しておらず、この商品を見て「ヌード」と勘違いされ、購入を敬遠されるのを避けるためだったといわれる。

○日本向け製品のシュリンクフィルム包装のカップ底面にある「開封口」にはバーコードの印刷されたシールが貼ってあり、そのシールをはがすとフィルムを開封することができる。わざわざシールを使用した開封口になっているのは、「カップに湯を入れた後、フタを閉めるときにこのシールを貼ると簡単に固定できる」という利便性を考慮したものであり、フタを閉める時にはこのシールを使用する。

○同時期の改良点としてスープがカップの底入れから麺の上入れに変更された点がある。これは底入れだと、お湯を入れただけではスープが底にたまったままで、しかもカップが縦長で容積ギリギリのためにかき混ぜきれずに、底に溶けきらない粉末スープがほとんど残ったままになることが多いという欠点に対応したものである。

- コマーシャル -

○この商品はテレビコマーシャルにも力を入れている。その作品は単なる宣伝という枠を超えており、独自性や話題性が高いことで有名である。国内外で数々の受賞歴があり[2]、CM好感度ランキング上位にもよく登場するなど、専門家・世間一般双方から高い評価を受けている。

○1992年には米国ブラックミュージック界の大御所ミュージシャンであるジェームス・ブラウンがカップヌードル初代MISO(みそ)のCMキャラクターに起用され話題となった。彼の楽曲「Get Up(I Feel Like Being Like A)Sex Machine」の中のフレーズ「Get Up!」が日本人の耳には「ゲロッパ(ゲロンパ)!」と聴こえるという事もあって、それを「ミソッパ!」というフレーズに置き換え彼本人が歌うというセルフパロディ的な内容だった。

○1992年より放送開始の、極端に小さなミニ原始人がマンモスを追いかける「hungry?」篇(アートディレクター:大貫卓也、映像ディレクター:中島信也、ナレーション:アニマル・レスリー)が、1993年には、カンヌ国際CMフェスティバルでグランプリを受賞した。日本人ディレクターとしては初の快挙である。このCMには、日清のスタッフが「俺達の方が面白いCMを作れる、失敗した場合は責任を取って全員坊主になる」と会社に持ちかけ、企画を通させたという逸話がある。

○その後も、永瀬正敏をデジタル合成でベルリンの壁崩壊の現場や、生前のジョン・レノンの横に立たせ、カップヌードルを食べさせる「20世紀カップヌードル」篇を経て、2003年頃からは「Mr.Children」の楽曲を使用したCM「NO BORDER」篇を開始、このシリーズは回を増すごとに反戦色が極めて強い映像となっていて、各方面から賞賛されているという。

- カップヌードルリフィル -

○再利用可能な容器を用いたカップヌードル。2007年3月26日より発売開始。プラスチック製カップにリフィルの中身とお湯を入れて調理し、食べた後にはカップを洗って再利用する。カップと専用麺のセット「カップヌードルリフィルスターターパック」、「カップヌードルリフィルお試しパック」および専用麺「カップヌードルリフィル」「カップヌードルシーフードヌードルリフィル」の4種類の製品が発売されている。女性のオフィスでの利用、環境問題に敏感な年配層の消費者を想定しているとされている。

- スープヌードル -

○「カップヌードル」の廉価版として日清食品が2006年3月20日から日本全国で発売している[5]カップ麺の名称。日清食品が、日本の社会環境や生活構造の変化から、カップ麺の愛用者の拡大のために、低価格のカップ麺として発売。オープン価格となっており、100円ショップなどでの販売が可能となっている。

レギュラー(しょうゆ味)、カレー味、シーフード味の3種類で、パッケージデザインはロゴが「SOUP NOODLE」と表記されている以外、「カップヌードル」と全く同じである。麺の重量は55グラムと、カップヌードルより少し軽い。具材の量は、カップヌードル・ミニと同じ量

・・・いかがでしたでしょうか?・・・カップヌードルの歴史はとにかく開発の歴史・・昔から変わっていないと思われていても・・実は意外と試行錯誤の連続だったようですね。最後のスープヌードルってのは最近出始めたもので・・麺がやや少ないくらいで、あとは一緒みたいです。実は私も「なんでスープ~のほうが安いんだろう?」って原材料照らし合わせてみたら、やっぱり麺の量がちょっと違うみたいです。

カップヌードルが全国展開するようになったのは・・意外にも1972年のあさま山荘事件で・・寒い中機動隊員達がカップヌードルをすすっている所をTVで見てた事がきっかけみたいですね。

あと、忘れてはいけないのはコマーシャル。コカコーラと並んでかなり秀逸なものばかりです。その反面、反戦・平和を訴える内容が多く、業界のパイオニアである日清の懐の広さを感じてしまいますね。西の雄・金ちゃんヌードルではこういうのは無いですから・・。(別に徳島製粉が悪いと言ってるわけではなく、あれはあれで、地域に根ざしたCMですから。)

・・・それから・・ヌードルのドがなぜ小さいか?これは私知ってたんですが、まぁ・・そういう事です。そういった面でも配慮されているんですね。世界80カ国・現在までに250億食食べられたというカップヌードル・・明日も食べます(笑)あのしょうゆ味のフリーズドライの肉がたまらなくおいしいですよねぇ・・。
Posted at 2008/08/13 22:03:40 | コメント(3) | トラックバック(0) | ウィキペディアLite | 日記

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