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44loveのブログ一覧

2019年05月03日 イイね!

Lamborghini Marzal / 1967 Marcello Gandini

Lamborghini Marzal / 1967 Marcello Gandini**本ブログは2019年5月3日に投稿したブログの改行、リンク切れ等を修正したものになります。


 数日間、県内旅行に行っている間、年号が変わっていました・・

 新しい時代、平和で繁栄の時代になりますように・・



 さて、今から半世紀前の、もう一台の子供の頃に遊んだ車・・





 Lanborighini Marzal・・





 1967年、BertoneのMarcello GandiniがLamborghini創始者のFerruccio Lamborghiniに提案したフル4シーターのミッドシップコンセプトカー・・





 ワンオフのコンセプトカーだったMarzalは、実際に走行することができるコンセプトカーでした・・





 低いボンネット、フル4シーター、ミッドシップというコンセプトは、同じGandiniの量産車、Lanborghini Espadaに受け継がれました・・





 ガルウィングの2ドア、ボンネットやエンジンフードは当時のスーパーカーのスタイルの定番・・





 Gandiniのアヴァンギャルドだけど洗練された内装・・





 計器類やスイッチ類もハニカムデザインです・・







 2018年のモナコ Historic GPでモナコのアルバート王子によってサーキットを走行しました・・

 この車はBertoneの経営危機によって2011,12年に売却された6台のうちの1台だったのです・・

 BMC 1800 Pininfarina、Lanborghini Marzal、、

 当時のMatchboxはEpoch-Makingな車種を題材にしていたのですね・・

 そんな車とは知らずに遊んでいたい小さな子供の頃の私だったのです・・


Posted at 2025/04/29 22:17:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | カロッツェリア | 日記
2019年04月28日 イイね!

BMC 1800 Pininfarina Aerodinamica / 1967 Paolo Martin

BMC 1800 Pininfarina Aerodinamica / 1967 Paolo Martin**本ブログは2019年4月28日に投稿したブログの改行、リンク切れ等を修正したものになります。



 子供の頃、Matchboxでよく遊んだ車・・







 6ライトの流線形のハッチバック・・

 大人になってあの頃の車はシトロエンCXだったのかな、と思っていました・・





 BMC 1800 Pininfarina Aerodinamica・・

 1967年に英国の合弁メーカーBMCがPininfarinaに依頼したコンセプトカー・・





 1943年ミラノ生まれのPaolo Martinは、ミケロッティ、ベルトーネを経て1967年にPininfarinaに移籍しました・・





 1967年、英国のBirmingham Motor Showに出品されたBMC 1800・・





 当時としては超先進的な空力デザインでした・・





 このPaolo Martinの未来的なデザインは、結局当時の保守的なBMCには採用されませんでしたが、のちの様々な先進的な車のデザインに影響を与えました・・





 1970年、74年に発売されたCitroenのRobert OpronデザインのGSとCX・・





 1967年のBMC 1800、1968年のBLMC 1100のデザインの影響を明確に受けています・・





 翌年の1968年にPaolo Martinが提案した小型の1100・・





 シトロエンGSに強く影響を与えたデザインです・・





 結局、BLMCの後継会社であるBLが、Paolo Martinの基本デザインを受け入れたのは、1976年発売のDavid BacheがデザインしたRover SD1で、BMC 1800コンセプトカーから9年も経った後のことでした・・

 当時の英国は労働者のストと経営者側との不協和が続き、生産性も品質も販売も経営も末期的な状態で、英国製造業や自動車産業はすでに壊滅的な状況になっていたのでした・・


Posted at 2025/04/29 22:44:45 | コメント(3) | トラックバック(0) | カロッツェリア | 日記
2019年02月08日 イイね!

イタリアン・カロッツェリアの終焉3 Pininfarinaの興亡1

イタリアン・カロッツェリアの終焉3 Pininfarinaの興亡1**本ブログは2019年2月8日に投稿したブログの改行、リンク切れ等を修正したものになります。



 1893年11月3日、トリノ西部のCortanzeの町で、11人兄弟の10番目としてBattista Farinaが生まれました・・




 (Alfa Romeo 6C, 1935)


 12歳の時から兄Giovanniが経営する整備工場で働き始め、そこで車への興味に目覚めます・・

 11人兄弟の10番目でちび助(Pinin)と呼ばれたBattistaは、兄の会社で22歳まで10年働き、ボディデザインを始めました・・



 (Cistalia 202, 1945)


 1930年5月3日、36歳のBattistaは、TrinoにCarrozzeria Pinin Farinaを設立し、デザインと新車のボディー制作を始めました・・



 (Cistalia 202, 1945)


 第二次世界大戦前のカロッツェリア・ピニン・ファリーナは、ランチアやアルファ・ロメオ、キャデラックやロールス・ロイス向けにスペシャルなボディーを制作していました。

 1939年、第二次大戦が始まると、従業員400人で月産150台を制作していた工場は、自動車の製造を止めざるを得なくなりました。

 連合軍との戦争中は、救急車やサーチライト車を作っていましたが、空襲によって工場が破壊されてしまいました。



 (Batisttaと息子Sergio)


 1951年、BatisttaはEnzo Ferrariと会合を持ちます。お互いに自分の本拠地に招待しましたが、結局MonzaとTrinoの中間の街で会い、意気投合してTorinoに帰還したBattistaは、息子Sergioにこう言います。

 「今日からお前がフェラーリの面倒をすべて見るんだ。」



 (Ferrari 212 Inter)


 1951年、フェラーリとの初めての車、212 Interを発表します・・

 それ以来、2012年、Sergioの死の時まで、すべてのFerrariプロジェクトはSergioが仕切ります・・





 1950年代の初めには、12歳からBattistaが10年間働いて技術を学んだ兄Giovanniの工房は、いまや格段に大きくなった弟のPinin(ちびすけ)の会社に吸収されます・・ 





 1954年から55年にかけて、狭くなった工房を拡大するために、トリノ郊外に工場用地を購入します。





 1956年の新工場発足時には1025台の生産が可能になり、フル操業した1959年には年間4000台の生産規模になりました・・





 新工場がスタートした1956年、Carozzeria Pinin Farina創業者のBattistaは、大きな決断をします・・

 つづく・・


Posted at 2025/05/04 14:05:33 | コメント(2) | トラックバック(0) | カロッツェリア | 日記
2019年01月12日 イイね!

イタリアン・カロッツェリアの終焉2 Marcello GandiniとBeltone

イタリアン・カロッツェリアの終焉2 Marcello GandiniとBeltone**本ブログは2019年10月13日に投稿したブログの改行、リンク切れ等を修正したものになります。


 ジウジアーロと両巨頭のもう1人、マルチェロ・ガンディーニ、そしてジウジアーロもチーフとして在籍したベルトーネはどういう歴史をたどったのでしょうか・・



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 2.マルチェロ・ガンディーニとベルトーネ

 1912年、ベルトーネ社は、ジョヴァンニ・ベルトーネによってイタリア西部の都市トリノにカロッツェリアとして創業されました。

 1960年代からの、息子のヌッチオ・ベルトーネの時代に、フランコ・スカリオーネ、ジョルジュエット・ジウジアーロ、マルチェロ・ガンディーニと言った天才デザイナーにより、世界的なカロッツェリアとして発展したのです。


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 マルチェロ・ガンディーニは、ジウジアーロの約1年後の1938年8月26日、イタリアの自動車都市、トリノにオーケストラ指揮者の息子として生まれました。

 20代初めごろからはフリーのデザイナーとしてトリノをベースにチューニングカーなどをデザインしていました。


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 1963年、25歳の時、ベルトーネの2代目、ヌッチオ・ベルトーネに入社を打診しましたが、当時ベルトーネのデザイナーであったジウジアーロに採用を反対され入社できませんでした。


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 1966年、28歳の時、当時のチーフデザイナーだったジウジアーロがベルトーネを退社したため、ガンディーニはベルトーネに採用されました。


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 ガンディーニは1980年までの14年、42歳までベルトーネに在籍し、チーフデザイナーとして、ベルトーネのすべてのコンセプトカーのデザインを行いました。


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 ミウラやカウンタック、ストラトスなど、スーパーカーを中心にベルトーネでデザインしたガンディーニは、42歳、勤続14年経って組織をマネジメントすることよりデザインワークに集中したいとベルトーネを退社しフリーのデザイナーに。


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 ベルトーネ在籍時の最後の作品はシトロエンBXでした。


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 フリーになった最初の5年間はルノーと契約し、初代5ターボや、2代目の5、5ターボのスタイル、ルノー21の内装、アルピーヌV6ターボの内装などを担当。


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 ルノーとの契約が終わった後には、マセラッティ・シャマルや4代目クアトロポルテ、スーパーカーのチゼータV16T、ルノーの大型トラック、AEマグナムなどをデザインしました。


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 マセラッティ・クアトロポルテは、3代目がジュジアーロ、4代目がガンディーニと続いていて、デザインの特徴が出ていて興味深いです。


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 上にあるアルファロメオ・モントリオール、カウンタック、BX、ルノー5、マセラッティ・シャマル、クアトロポルテ、チゼータV16Tなど、ホイールアーチの上部の直線化、スポーツカーのリアアーチの直線傾斜にガンディーニのデザインの特徴が出ています。


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 1990年にガンディーニがデザインしたルノーAEマグナム、ホイルアーチの上部が直線になっているデザイン特徴が出ていますね。


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 1980年、ガンディーニが去った後のベルトーネは、1989年にシトロエンXM・・


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 1991年にZX・・


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 1993年にエグザンティア、そして1980年代後半から2001年まで3代に渡ってオペル・カデットのカブリオレをデザインした後、複数の中国車やインド車をデザインしていました・・

 1997年にベルトーネを世界的なカロッツェリアにした2代目ヌッチオ・ベルトーネが82歳で死去した後に、未亡人のリリーが社長になりました。

 ヌッチオのビジネスセンスとガンディーニなどの天才デザイナーで成り立っていたカロッツェリア・ベルトーネは、大手自動車メーカーのコンピュータを使ってデザインの内製化の流れもあり、

 2005年には車両量産部門を終了し、2009年には量産工場をFIATに売却、2011年には資金不足により多くの車両コレクションを売却・・

 2014年4月にBertone社は倒産してしまいました。

 2013年に倒産寸前だったベルトーネの社員たちがはベルトーネ・デザインと言う会社を興し、工業デザインや列車のデザインをしていますが、これはカロッツェリア・ベルトーネとは全く別の会社・・

 カロッツエリア・ベルトーネは2014年に倒産して消滅していたのです。

 ・・・・

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 1938年8月にトリノで生まれたガンディーニは現在80歳。


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 1937年8月にジェノヴァ北西で生まれたジウジアーロは現在81歳。

 ITAL DESIGNは2015年にVWグループの100%子会社になり、2人が在籍したベルトーネは2014年に終焉を迎え・・


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 他のイタリアのカロッツェリアは現在どうなっているのでしょうか?


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 ・・・・

 つづく・・


Posted at 2025/05/04 13:47:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | カロッツェリア | 日記
2019年01月05日 イイね!

イタリアン・カロッツェリアの終焉1 ITAL DESIGNとGiorgetto Giugiaro

イタリアン・カロッツェリアの終焉1 ITAL DESIGNとGiorgetto Giugiaro**本ブログは2019年1月5日に投稿したブログの改行、リンク切れ等を修正したものになります。



 イタリアの美しいスタイルを生み出してきたカロッツェリア・・





 2018年現在の状態はどうなっているのでしょうか・・





 1.ジョルジュエット・ジュジアーロとイタル・デザイン

  1937年8月7日にジェノヴァの北東、フランス国境近くに生まれたジュジアーロ。

  1955年、17歳でFIAT社のデザイン室に採用され、

  1959年、21歳でベルトーネ本人にスカウトされ、

  1964年、25歳でベルトーネのチーフデザイナーになりました。

  1966年、27歳でカロッツェリア・ギアのチーフデザイナーになったジュジアーロは、

  1968年、30歳でITAL DESIGNを設立します。





 そんなジュジアーロも、2010年、72歳で会社株式のの90%をVWグループに売却し、引退準備に入りました。

 2015年、76歳のジュジアーロは残り10%の株式をVWに売却しITAL DESIGN社を引退しました・・

 2015年以降のITAL DESIGN社は、VWグループのデザインハウスとして存在しています・・

 他のカロッツェリアの興亡を見てみると、ITAL DESIGNは最も最後まで命脈を保った会社と言えるかもしれません・・

 しかしカロッツェリアとしての役割は終え、AMGやGhiaのような企業内の一部門やブランドになっていくのかも知れません・・

 ・・・・

 つづく・・


Posted at 2025/05/04 13:42:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | カロッツェリア | 日記

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「墜落したB787の2時間前のフライト「エアコンもエンタメも何もかも動かない」https://www.youtube.com/watch?v=1y_u1O-T6jw 整備不良だな。この男性と映っている乗客も実に危なかった。九死に一生だ。」
何シテル?   06/13 13:58
**2025年6月24日までにIDを削除しアメブロに移行します。** 年間の大半を出張している旅商人です。年間数万キロを欧米日でレンタカーで運転してい...
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