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徳小寺 無恒のブログ一覧

2005年06月12日 イイね!

苦闘 サイドポートで闘うマツダの苦闘そして飛翔!!

苦闘 サイドポートで闘うマツダの苦闘そして飛翔!!スカイラインが大柄で空気抵抗が大きく、重量も削減できない・・といった制約を2ドア化、HT化によってかなり改善して、さらにエンジンのチューニングによって戦闘力を増す中、マツダは、相変わらず苦しい戦いを強いられてきた。

全ては、吸気の方式を「ペリフェラル・ポート」から「市販車」と同じ「サイド・ポート」にレギュレーションが決められてしまったからだ。。。

「サイド・ポート」では、吸気と排気の「オーヴァーラップ」が大きく取る事が出来ず、高速域でのパワーアップが非常に困難になってしまうのだ。。。



さらに、「サイド・ポート」では、吸気の吸入経路が90度曲がってしまうので、意外な程、吸気の抵抗が増し、レスポンスにも影響を及ぼしていたのだ。。。

マツダは、1970年カペラを発売し、それまでの「ロータリー・クーペ」の「10Aロータリー」より排気量の大きな「12Aロータリー」を搭載させた。

この時点では、実は「ペリフェラル・ポート」での開発が終わっており、250PSを軽く超えていたが、「サイド・ポート」になると220~230PSしか馬力が望めなかった。。。

しかし、マツダ勢にとって、馬力の上がらない「ロータリー」であっても、「車両重量の軽さ」、「空気抵抗の少なさ」、そして意外に見落とされがちなのだが、「発売年月の新しさ」つまり「設計年度の新しさ」でGT-Rを迎撃していたのだが・・・現実には、

「GT-Rに対抗できるポテンシャルは備わったが、GT-Rを確実に撃破するまでのパワーは持ち合わせていなかった・・」


のである。。。



1972年3月10日、サヴァンナの対米輸出が開始された。
輸出されたサヴァンナの名前は、「サヴァンナRX-3」・・・

実は、この対米輸出には、マツダ・ロータリーの拡販と共に、「マツダ」にとって「秘策」があったのだ・・・

搭載エンジンの名称は「12Aロータリー」。

それまで国内仕様の「サヴァンナ」には、「ロータリー・クーペ」に搭載された「10Aロータリー改」が搭載され「GSⅡ」というグレードがトップグレードだったのだ。。

「12Aロータリー」を「サヴァンナ」に搭載すれば、「馬力荷重」では完全にGT-Rを上回る事ができる。。そう、マツダは北米での拡販と共に、打倒「GT-R」の秘策として、まずは北米向けに「12Aロータリー」を搭載したのであった。。。

果せるかな、北米輸出を開始したと同時に、「マツダ」は「サヴァンナRX-3」の「公認車両認定」を、8日後の「3月18日」には受けていたのだった。。

しかし「マツダ」はさらに「サヴァンナRX-3」の戦闘力を上げるために
「サイド・ポート」チューニングの「秘儀」を開発していたのだった。。

まずは、単純に「サイド・ポート」の「開口部」を広げると共に、吸気の「タイミング」を早めるために、拡大した「サイド・ポート」の外側にさらに「弓形のポート」を追加したのだ。

この追加された「拡大サイド・ポート」の横の「弓形ポート」は、非常に位置と加工が難しいモノであった。

というのは、「弓形ポート」の加工と位置を誤ると、「オムスビ型」のローターの頂点の「アスペックシール」と、ローターの側面の「サイド・シール」が「脱落」や「破損」する場合があったのだ。。。



さらに「サイド・ポート」の拡大と、この「弓形追加ポート」の位置と大きさを阻害する要因としては、ポートの近辺には「冷却用」の水路もあったのだ!

この「冷却用水路」も「ポート拡大」を妨げていたのである。。。

よいよ「マツダ」の「秘策」もここまでか・・と思われたその時であった。
誰とも無く呟いた・・・

「冷却水路を無くしてしまったらどうだろうか?・・」


急いで「熱分布」の見直しが行われ、そして・・・

「マツダ」の技術者達は、ポート周りだけ「冷却水路」を塞ぐという驚くべき対策を打ったのだった。。

その結果、さらなる「ポート」の拡大が可能になり、「10PS前後」の馬力を得る事に成功したのだ。

「サヴァンナRX-3」は最大で240PSを得る事が可能になり、「馬力荷重」で完全にGT-Rを上回る事が確実になったのだった。。。

その頃、GT-Rは激しい降雨の中、念願の「50勝」を手中に収めていたのだった。。。

豪雨 ハコスカGT-R 50勝目豪雨の勝利:
http://carlife.carview.co.jp/User.asp?UserDiaryID=202334


Posted at 2005/06/13 00:09:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | ロータリー VS GT-R | クルマ
2005年06月05日 イイね!

進化 !KPGC10 GT-R見参

進化 !KPGC10 GT-R見参1970年の春、日産村山のテストコースを1台の覆面をしたクルマが走っていた。。。
そのクルマこそが、日産ワークス待望の型式名「KPGC10」2ドアハードトップGT-Rであった。。。

通常、4ドアベースのクルマを2ドア車、しかもHTに仕上げると重量が増したり、ボディ剛性が悪くなるのが通例だが、このGT-Rだけは違っていた。

その秘密は・・・ボディサイズを見れば一目瞭然であった。

4ドアGT-Rに比べて、全長は65mm短く、幅は55mm広く、全高は15mm低くしつらえていた。

なんと言っても、回頭性の向上の為にホイールベースが70mmも短縮されていたのだ。。。

なぜ、日産は通常居住性や生産性の悪化を恐れて、同じ車種にサイズの違うクルマを造る事を嫌う中で、運動性を上げるためとは言えダウンサイジングをしたのか?

ここに、興味深いデーターがある。。

KPGC10
馬力250ps、車両重量1030Kg、空気抵抗係数0.00516
ファミリア・ロータリー・クーペ
馬力200ps、車両重量810Kg、空気抵抗係数0.00389
カペラ・ロータリー・クーペ
馬力230ps、車両重量930Kg、空気抵抗係数0.00422

いかに、HTになったとはいえ、それでもGT-Rは重く空気抵抗の大きなクルマだったかが、この数値から分かるだろう。。

当時の日産のコンピュータ解析によれば、富士を同じラップで走行するには、GT-Rに比べて
カペラは30PS低い馬力で、
ロータリークーペに至っては50PS低い馬力
で可能である・・・と割り出されたのである。。

もちろん、クルマは馬力だけで性能が決る訳ではないのだが、このデータを取っても、ロータリー勢は手ごわい相手だという事が分かるだろう。。

GT-Rは、エンジンの馬力向上と空力の改善で、これらのライヴァルに対抗していたのだ。。



10月23日、日産は富士スピードウェイを借り切り、HT GT-Rに、4ドアGT-Rから移植できる部品を全て移植して、初めての走行テストを行った。。

そこで、改めてHT化による性能の向上が著しい事が判明した。
まったく無理をしないで、軽く流してなんと、4ドアGT-Rのベストラップと同等かそれ以上のタイムを叩き出していたのだ!!

あまりの性能の向上に、ドラヴァーの感覚が付いてゆけず、4ドアのつもりでガスペダルを煽ると、オーヴァースピードになってしまい、ついには100Rでクラッシュしてしまった・・・

ここで新たに幾つかの問題が浮き彫りになった・・それは・・

1).空気抵抗が減った事により、回転数の上昇が早く、速度も高くなるのでエンジンの回転数が平均500min-1ほど高くなってしまった。。

2).4ドア用のフロント24mmのスタビライザーでは、高速コーナーではアンダーステアが強く走りにくい。。

HTボディ形状による空力の大幅な改善により、より高速走行が可能になったGT-Rであったが、逆にこれまでとは違ったアプローチが必要になったのだ。

まずは空力だが、従来の4ドアよりフロントの「揚力」が多少増加傾向にあったので、対策が必要となった。
しかし、空力的パーツの開発には時間が間に合いそうに無かったので、タイヤの幅の拡大と適切化によって、空力的な面と、アンダーステアの改善に努めることにした。

この時、HT用にフロント8.5インチ、リヤ11インチのタイヤが採用される事になった。

さらに、エンジンの回転の上昇スピードが早くなった代償に、クラッチの問題が発生するようになった。。

クラッチのボルトが破断するようになったのだ、この対策にはボルトの形状変更や材質の変更を何度も行い、なんとか対策できるようになった。

これらの対策が施されたHT GT-Rは、1971年3月に入ってすぐの走行テストでは、最初のテスト時より2秒以上タイムが向上するようになっていた。。

そして3月7日、ついにサーキットにHT GT-Rがデヴューした、ドライヴァーは「黒澤」。
ここでも、GT-Rはライヴァルを物ともせず、優勝したのである。
続けて3月は21日、4月は11日、25日とHT GT-Rは連勝し、「40勝」をマークした。



そして5月、伝説の高橋と長谷見の、0.02秒差というワンツゥフィニッシュの日本GPへと繋がったのであった。

('71年日本GPについてはhttp://carlife.carview.co.jp/User.asp?UserDiaryID=207014をご覧下さい)

ここまで不振のロータリー勢だったが、カペラの投入が決り、馬力でも空気抵抗の面でも、GT-Rに充分に勝てる!と「マツダ」は踏んでいたのだが・・・

翌年からは、レース用に開発がされていた「ペリフェラルポート」が禁止されてしまった。

禁止された「ペリフェラルポート」の代わりとして、市販車と同じ「サイドポート」で、いかに馬力を出すか・・・

この回答を求めるために「マツダ」も苦心を続けていく事になったのだった。
Posted at 2005/06/05 17:59:08 | コメント(4) | トラックバック(0) | ロータリー VS GT-R | クルマ
2005年06月02日 イイね!

激戦 レースは終わるまで結果は分からない・・・

激戦 レースは終わるまで結果は分からない・・・1971年12月・・・

突き抜けるような快晴の元、霊峰富士が見守る中、その激戦が始まった。。。

「富士ツーリスト・トロフィ500マイル」、通称「富士TT500」が行われたのだ。

午前11時10分

ルマン式スタートによって、色とりどりのカラーリングのマシンがコースに突入した。

このレースこそ歴史に残る「日産」対「マツダ」の死闘になろうとは誰が予測しただろうか?

日産は「GT-Rの50勝」、「ワークス出場30連勝」に王手をかけており、その歴史的瞬間を捉えようと、コース内に20数台のカメラを用意していた。

さらに、「打倒ロータリー」の為に、ワークスのハードトップGT-R 3台 、その援護の為にプライヴェートとはいえ、セミワークスともいえる 5台 のGT-Rの 計8台 のGT-Rを送り込んで来た。

さらに、より勝利を確実にするためと、プライヴェートのファミリア・ロータリー・クーペの「駆逐」も狙って、インジェクション仕様のブルーバード1800SSSとサニー・クーペまでもが集結した。

一方の「マツダ」陣営だが、カペラ・ロータリーが 2台、10A搭載のサヴァンナが 1台、セミワークスのカペラ・ロータリーが 1台。そしてプライヴェートのファミリアが数台エントリーした。。

レースは高橋国光のGT-Rがトップで、ついで北野元のGT-Rが二番手と、GT-Rが早くもワンツゥーでスレートを駆け抜けたが、パワーウエイトレシオに勝るロータリー勢が直線の終わりから30度バンクに入る手前で、次々とGT-Rに牙をむいた!

果せるかな最終コーナーを抜け出てきたのは・・・

不屈の王者 北野GT-Rであった!!

続いて砂子GT-R、その後から片山、寺田のカペラがGT-Rを追撃していた。

「高橋が来ない!」日産のピットに悲鳴にも似た声が走った。

優勝の最有力であった「高橋」が、最終コーナーを立ち上がって来ないのだ。これには日産のクルーも、マツダのクルーも騒然となった・・・

「高橋」は30度バンクを抜けたところで、壮絶なブレーキング合戦の末に、カペラと接触してエスケープゾーンまで弾き飛ばされていたのだ。

これでGT-R勢の雰囲気が一気に変わってしまったのは言うまでも無かった。

さらにGT-Rには悪夢の様なトラブルや事故が発生した。

まずは北野のGT-Rにクラッチトラブルが発生、ピットインを余儀なくされた。素早いピットワークでクラッチの修理を終えコースに復帰したが、復帰早々に、今度はミッションが入らないトラブルが起き、再度のピットインとなり、完全に優勝圏外へ去って行ってしまった・・・

砂子GT-Rも、他車のスピンに巻き込まれてフロントサスにダメージを受けてしまった。。。

30周に近づいた時、順位は片山、寺田、その次にプライヴェートGT-Rの「久保田」、そして4位には「サヴァンナ」が入った。

この段階で、GT-Rの50勝の夢は絶たれた・・・と誰もが思ったに違いない。しかしレースは終わるまで結果が分からないのが相場である。

50勝という目標・・・いや「勝利」という事にGT-Rは「貪欲」であった。

たとえトラブルで順位が落ちようが、プライヴェートであろうが、GT-Rに日産のパイロット達は、鞭打つのを止めては無かったのである。

その不屈の闘志に、今度はロータリー勢の崩壊が始まった!!


60周を超えたところで寺田カペラが、直線では離されても、30度バンクや各コーナーで、しぶとく追従され追い回される、GT-Rの異常ともいえる気迫のこもった追撃に、ついに根を上げてしまったのだ。

ハードトップに昇華したGT-Rの足回りと、日産パイロットのドライヴィングテクニックは芸術の域に達していたのだ。

ローターリー勢は、このカペラの戦線離脱で異様な雰囲気に呑まれつつあったのだ。

80周目には片山のカペラが、通常では考えられないオイルポンプの破損で、リタイヤを余儀なくされて、ついにカペラ勢は全滅に追い込まれたのだ。

自動的に順位は、後方支援であった、サイドポートで10Aロータリーという戦力不足のサヴァンナがトップに立ち、それをプライヴェートの 久保田GT-R が追う・・という一騎打ちの様相を呈してきた。



もはやこうなると日産、マツダとも総力戦である。

両社とも、全ての力をこの二台に向けたが、この段階でのサヴァンナの戦力不足は如何ともしがたい事実であった。

パワーに勝る久保田GT-Rは、90周をすぎた時点で、ついにサヴァンナを抜いてトップに立ったのだ。

今まさに奇跡とも言える大逆転を目の当たりにして、観客は総立ちとなった。

どんな逆境に追い込まれても、決して戦いを諦めること無い久保田GT-Rの姿に、初めてポルシェを抜いてトップに立ったスカイラインS54Bの姿をダブらせてしまったのかもしれない・・



残り10周を切っても、久保田GT-Rは一周2分8秒という、もはやR380と同等かそれを超える驚異のペースで美しいDOHCサウンドを奏でていた。

一方サヴァンナも、ロータリー特有の高周波の甲高いマシンノイズで周回を重ねていたが、もはやその甲高いサウンドは悲痛な叫びにも聞えて来ていた。。



しかし「勝利の女神」とは最後まで非情であった。。。

残り4周というところで、再び信じられない光景を目の当たりにしようとは誰が想像しただろうか・・・

なんと久保田GT-Rが、フロントホイールを引きずってピットインしたのだ。
余りにも過酷なレースが、GT-Rのフロントサスにもストレスを与え、ついに耐え切れずに壊れてしまったのだ・・

ゴールまであと四周というラップで、ついに王者GT-Rはピットにうずくまり二度とコースに戻る事は無かった。。

不動となったGT-Rを横目に、カーナンバー「15」のサヴァンナは死闘を制したのであった。

それはGT-Rにとって初めての敗北でもあった。。

ここに新たに新しいヒーローが誕生した。

しかし、GT-Rも不屈の王者である。'72年3月、GT-Rは不死鳥の様にサーキットを舞うことになるのだった。。

その事を述べる前に、次は、「マツダ」が如何にして「サイドポート」の不利を克服したかや、GT-Rのハードップ導入について、少し時間を置いてブログしたい。。
Posted at 2005/06/02 02:10:04 | コメント(6) | トラックバック(0) | ロータリー VS GT-R | 日記
2005年06月01日 イイね!

向上 進化を続けるGT-R S20エンジンの改良と軽量化を突き進める!

向上 進化を続けるGT-R S20エンジンの改良と軽量化を突き進める!空力的にも足回りにも、地道な改良が加えられたGT-Rだが、さらに「上」を目指さなければロータリーには勝てない・・

技術に足踏みは許されないのだ・・・

考えてみれば、今の技術でも2LのDOHCエンジンとはいえ、NAで240PSを超える事はなかなか難しいことである。。
しかし、それを超えなければ「勝利」は手に届かないモノになってしまうのだ。

次にGT-Rに課せられた課題は・・

3).エンジンの馬力のアップ
4).車両重量の軽量化

の二点であった。

まずエンジンの馬力向上だが、R380で得られたノウハウを駆使し、まずはシンダーヘッド周りの改良に取り組んだ。
具体的にはレシプロエンジンの「要」であるカムシャフトも数十種類を作り、それぞれを試験し、一番吸気効率の良いモノを選んだ。
ポートの形状についても試行錯誤して、さらに吸気の効率を上げた・・・

エンジンというものは、如何に効率よく空気を吸って、適切な量の燃料を、タイミング良く吸い込んだ空気に送れるかが勝負である。

適切な量の燃料を、適切なタイミングで・・となると、もはや機械式のキャブレターでは対応が困難になってくる・・

そこで登場したのが「ルーカス製の燃料噴射装置」である。

具体的には、燃料はどうしても空気に比べて比重が大きいので、吸気した空気よりも遅れてエンジンに入ってくる、そうするとレスポンスが悪くなってしまう。。

それに燃料を空気に混ぜ合わせる方式も、霧吹きと同じ原理なので、燃料の粒子が比較的大きくなってしまい、空気との混合も狙い通りにはならないものである。。

それに比べて、燃料噴射(インジェクション)は、強制的にポンプで燃料を燃料噴射装置(ノズル)から、吸気した空気へ吹き込むので、燃料も細かく気化するし、吸気した空気と気化した燃料の速度差が無くなるので、アクセルへの追従性も良くなる。

噴射した燃料が細かく気化していれば、点火プラグの火が素早く伝わり、効率よく燃焼するので馬力も上がるし、燃費も良くなるのだ・・・

しかし、技術者は「貪欲」である。


次に着目したのは、「吸入する空気の温度」であった。

吸入する空気の温度が低ければ、空気の密度が増してより燃焼が効率良くなる。

ターボ車では、ターボで空気を圧縮すると、圧縮空気が100℃を超えてしまい、ターボで空気を大量に押し込もうとしても密度が薄くなって、ターボの効果が激減するのである。
その為、圧縮した空気を冷却するために「インタークーラー」を付けたりするのだが。

NAのエンジンでは「インタークーラー」が、吸気の圧力が低いために、抵抗になってしまうので一般的には使用しないが、NAと言えどもエンジンルームの熱などによって意外なほど吸気空気の温度が高くなってしまうものである。。

そこで、日産は「コロンブスの卵」で、つねに吸気ダクトに新鮮な空気が送れる様に、別のダクトを取り付けたのだ!



左が対策前、右が対策後であるが、これだけで吸気温度が10℃近く下がり、外気温プラス2~3℃に抑える事ができたのだ。。
このダクトのおかげで、大幅な馬力UPとはいかないが、数馬力は向上する事ができたのだ!!

最近、キノコタイプのエアクリナーに交換するクルマが増えているが、熱的な影響を考えずにポン付けしたのみでは、エンジンからの輻射熱やラジエターなどからの放熱によって意外にエンジンルームは高温となっており、遮熱板を設けるとか、エアクリナー直前までダクトを引くなりしないと、熱い空気を吸う事になり逆効果になる事も充分に頭に入れて欲しいものである。。

次に軽量化であるが・・



この画像は、GT-Rが始めてレースに出た時の画像であるが、まだまだ軽量化については不十分といわざる得ないだろう。。
フロントのバンパーは市販車のままだし、驚く事にフロントフェンダーにはウインカーまで付いているではないか!!

ロータリー勢に比べて、一回り大きなボディサイズを持つGT-Rには、何が何でもクルマを軽くする事が求められたのだ!

レースシーンでは不要なバンパーや灯火類の取り外しを始め、クーリングファンの小型化に始まり、バッテリーのケーブルやアーシングのケーブルの「アルミ化」まで行う事にした。

それでもまだまだ最低重量には余裕があったので、サスペンションのブッシュの材質を「ゴム」から「ナイロン」に変えて「数グラム」だが軽量化を推し進める事にしたのだ。。



この画像はデヴューからほぼ一年を経過したGT-Rの勇姿であるが、デヴュー当時に比べてずいぶんとスリムになっている事に気付くだろう・・・
しかし、タイヤのワイド化やそれに伴うオヴァーフェンダーの装着等で重量の増加が避けられない状況であったが、それまでの地道な軽量化が功を奏し、意外にも総重量は大きく変わることがなかったのである。。

この様な地道な対策を練る事によって、GT-Rの戦力は日に日に増して、戦闘力の向上著しいローターリー勢の挑戦をことごとく蹴落として来たのだが・・・

1971年9月・・・「マツダ」は新しいクルマをリリースした。

その名は「サヴァンナ」


「ファミリア」の後継で、一足早く発売されていた、レシプロ専用の「グランド・ファミリア」のボディをベースにロータリー専用と銘打ってリリースされたのだ。。

ボディサイズは、ファミリア・ロータリー・クーペよりは大型化していたが、「カペラ」より一回り小さなボディであった。。。

しかし、エンジンは「カペラ」に搭載された12Aでは無く、ファミリア・ロータリー・クーペに搭載されていた「10A」の改良型であった。。。

いかに「カペラ」より小さいとはいえ、エンジンが「10A」では「GT-Rの敵」となり得ないハズなのだが・・・

波乱は「サヴァンナ」が発売された年の12月に起こるのであった・・・・
Posted at 2005/06/01 00:35:51 | コメント(1) | トラックバック(0) | ロータリー VS GT-R | クルマ
2005年05月31日 イイね!

改善 王者GT-Rであるための地道な取り組みがGT-Rを王者にした!

改善 王者GT-Rであるための地道な取り組みがGT-Rを王者にした!GT-Rの登場から一年余りという短い期間で、ロータリー・クーペの挑戦を受け、思わぬ苦戦を強いられたGT-Rだが、たび重なるロータリーの攻撃にもGT-Rは臆することなく撃破してきた。。

その姿から、GT-Rは安穏としてロータリー勢の挑戦を受けていた様にも見えるが、その影では人知れず血の滲むような努力を重ねていたのであった。

GT-Rを王者としてサーキットで君臨させ続けるには、意外にも地味で時間の掛かるテーマの克服が必要であった。

具体的には

1).空気抵抗の削減
2).足回りの改良によるコーナリングスピードの向上
3).エンジンの馬力のアップ
4).車両重量の軽量化

といった、言われてみれば、どれもがごく当たり前の事ばかりなのであるが、それを実現するには、どれも地道で時間のかかる作業ばかりであった。。。

1).空気抵抗の削減
2).足回りの改良によるコーナリングスピードの向上

クルマの高速化を阻害する要因として重要なファクターを占めるのが「走行抵抗」である。
「走行抵抗」は「転がり抵抗」+「空気抵抗」と考えられ、特に「空気抵抗」は速度の二乗に効いて来るので、いかに「空気抵抗」を減らすかが重要なのであるが・・・

「空気抵抗」は「空気抵抗係数(CD値)」×「前面投影面積」と概略化されるが、スカイラインは市販車であり、「前面投影面積」を減らすという事は、ボディスタイルを変える・・ということになり・・それは不可能であるので、「空気抵抗係数」を減らす方法を何か考えなくてはならなかったのだ。。

ところが当時は、まだダウンフォースとか空気の流れ・・とかいう事が理論的にも実際にも確立されておらず、リヤにスポイラーひとつ付けるにも大掛かりな実験が必要であった。。。



最初はリヤのトランク先端に、アルミ板で後ろからつっかえ棒で固定されたスポイラーをつくり風洞に入れて、空気抵抗係数の低くなる大きさや角度を探して行った・・・

ある程度の大きさや角度が決ると、実際の取り付けに近い形状で、角度を調整できるアルミ製の装置を取り付け実験を繰り返したのだ。。



ところで、なぜリヤにスポイラーをつけると、「空気抵抗係数」が減るのだろうか?

リヤスポイラーを付けると、空気の流れが整えられて、あたかもクーペのボディの様な空気の流れになる。
さらにスポイラーでボディが地面に押し付けられるようになり、タイヤの駆動力を強く路面に伝える事になり、さらにコーナリング中もボディを地面に接地させようとするので、最高速や、コーナリングスピードが上がるのだ。。。

ちなみにセダンGT-Rは、最終的には上記画像の大きさと、角度が20度の時が一番空気抵抗係数が減る事が分かり、実際の走行テストにおいても最高速が205Km/h から 210Km/hへと向上したのだ!!



一方のフロント側であるが、セダン形状が功を奏して、リヤウイングをつけてもフロントの「揚力係数」に変化が見られず、逆に装着による「抵抗」の心配があったので、装着は見送られた。。

一見すると、フロントとリアに空力的付加物を付ければ効果的であるように見えるが、実験で効果が認められないものは、重量の点からも無理してつける必要は無い・・との判断だったのだ。。

一方、空力的付加物を付ける以外にも、今度はコーナリングスピードや直線での路面への効率的なパワーを伝える方法として、タイヤの幅を広くする・・という手段も検討されていた。。

当初はフロント幅6インチ、リヤ幅7インチのサイズであったが、リヤスポイラーの装着によって見直しがされて、フロント幅8インチ、リヤ幅10インチと大幅にサイズアップがなされたのであった。。。

それによって、タイヤがボディから大幅にはみ出る事になってしまったので、オーヴァーフェンダーの装着となったのであった。。

リヤスポイラーの装着と、タイヤサイズの見直しによって、GT-Rはさらなる戦闘力の向上を見たが、ファミリア・ローターリー・クーペ以後のロータリー勢の攻勢を考えれば、まだまだ向上の検討が必要であって、さらにエンジンの馬力向上やボディの軽量化を推し進める事となったのだった。。。。
Posted at 2005/05/31 02:11:46 | コメント(1) | トラックバック(0) | ロータリー VS GT-R | クルマ

プロフィール

「後視 いやぁこんなに簡単なバックカメラがあったなんて!! http://cvw.jp/b/124785/23876370/
何シテル?   01/04 14:54
無類のクルマ好きで、日産車を愛してやみません。 徳小寺 無恒のHNを引っさげ、かつての愛車、ワインレッド・パール・ツゥートンのU14ブルーバードの話題を軸...

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