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徳小寺 無恒のブログ一覧

2007年04月04日 イイね!

量産 S54Bついに登場!スカGの歴史が始まった。

量産 S54Bついに登場!スカGの歴史が始まった。第二回日本グランプリが終わって、スカイライン2000GTが欲しい!という声に後押しされてホモロゲ用に作った「100台」はあっと言う間に無くなってしまった。

スカイライン2000GTが無くなった後も、欲しいという声は静まるどころか、クルマが無いばかりに逆にますます高くなってしまった。

しかし、スカイライン2000GTは、あくまでレースのために急遽作られた手作りのクルマ。作るにしても手間隙はかかるし、それまでの日本のクルマの売れ方を見れば、そんな快適性も無い、維持するにも大変なクルマが俄か売れるとは誰一人想像できなかったのだ。

しかし当時のプリンスの役員であった「村田 滋」は、唯一、スカイライン2000GTが商売になると確信していた一人であった。

そんな村田も役員会に、スカイライン2000GTを販売を強く働きかけるが、なかなか量産までには漕ぎ着けなかった。
それから約半年が過ぎ、村田の熱意が社内を動かし、「そこまで言うなら月産300~500台という少量でやってみよう」となったのだった。



量産が決まってしまえば販売側も、もちは餅屋で数多く量産できないことを逆手に取った広告で市場の購買欲をくすぐる作戦に出た。

1965年2月によいよ「S54-Ⅱ」として売り出された。

この時も、1500CCのボディにロングノーズという文法はそのままだったので、1500に比べてノーズ部分意外は寸法的に変化は無かった。

エンヂンは、それまでのホモロゲ用の2000GTが、純正がツゥバレル・シングルカブレーターであったのが、いきなり「ウェバー三連」を標準としたために、市販車レヴェルでも馬力は125Pを誇り、セッティングを少しイジルだけで 「190.6PS」 まで馬力を上げる事ができるようになった。

あくまでホモロゲ用だった「S54-Ⅰ」とは違って、キャブだけでなく、メーターは丸型二連装になり、ディスクブレーク、ノンスリップデファレンシャルも標準となった。



売り出してみると予想以上の反響があって、プリンスの手持の「ウェバーキャブ」300個が足りない事態になってしまった!!

そこで「ウェバーキャブ」の追加輸入に合わせて、9月にはカブレータを3連装から単装にした 「2000GT-A」 を追加し、それまでの、カブレータ3連装の2000GTは 「2000GT-B」 として、さらにGTのエンブレムも、「2000GT-B」は「レッド」に、「2000GT-A」はブルーに色分けして差別化を図った。



しかし・・・歴史の悪戯はこの時機密裏に進んでおり、翌66年プリンスは販売不振と、国策である自動車メーカーの集約化という大義名分で「日産」に吸収合併されてしまった。

スカイラインも「プリンス・スカイライン2000GT-A・B」から「ニッサン・プリンス・スカイライン」 となってしまったのだ。

それでもスカイラインの進化は留まる事を知らず、合併した66年には、内外装のリファインと「2000GT-B」に付いては、さらなる幅広タイアが履けるようにリヤフェンダーのプレスラインの見直しが行われ、それまで1500CCと同じ幅だった「1495mm」から「1510mm」へと幅が広くなった。



このマイナーチェンジで型式は「S54B-Ⅲ」へと変わったのだ。

それから68年の「ハコスカ」こと「C10」が出るまで、S50型スカイラインは日産の中で、成長し、販売の一助となっていたのだった。。。

敗北から「閃き」、そして「激変」の時代を駆け抜けたS50型スカイライン。

C10以降のスカイラインの移り変わりは、皆さんの良く知るところである。

V35に始まったスカイラインの是非論。

そこには、残念ながらGTがどの様に生まれて、どう育ったか?という論理が残念ながら欠如しているように思えてならない。

最近の日産の歴史を軽んじる企業風潮にも大いに問題があるのだろうが、我々ユーザーももっとクルマを文化的な遺産として捉える心構えも必要ではないだろうか?

それを考えさせてくれる事のできるクルマ・・・それがスカイラインだと僕は思うからだ。。


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Posted at 2007/04/08 17:29:14 | コメント(1) | トラックバック(0) | スカイライン | クルマ
2007年03月31日 イイね!

伝説 スカG伝説ここに始まり!

伝説 スカG伝説ここに始まり!








これはイケル!そう思った矢先、プリンスに思わぬライヴァルが現われた。

ポルシェ904であった。

スカイラインGT
重量1100Kg最高出力165PS

ポルシェ904
重量650Kg 最高出力180PS

まさにケタ違いとはこの事だった。
後で分かったことだが、プリンスの躍進を見て名古屋のメーカーが、その野望を打ち砕くべく、このポルシェを参加させた・・・と。。。

予選開始

ポルシェは、その空気抵抗の少ないボディと軽量さを生かして、恐ろしく速いペースでコースを走り始めたが、第一コーナで思わぬアクシデントが発生した。

スロットルワイヤーが引っ掛かり、コースアウトしフロントを大破してしまったのだ。

その瞬間、思わず櫻井眞一郎を初め、プリンスのメンバーが、手を叩いて喜んでしまった・・・事は内緒である。

しかし決勝当日、二日二晩にわたる不眠不休の修理で、ガムテープだらけの様相でポルシェがスタンディング・グリッドに並んだ。
その瞬間、静まり返ったスタンドからは万来の拍手が起こった。

レースが始まった。

ポルシェは速い・・・たちまちスカイランを引き離してしまうが、スカイラインも意地を見せつけ喰いついて行く、どんどんと時間が経過してゆく中、7週目、ヘアピンに差し掛かった時に、そのドラマは起こった。

ポルシェが周回遅れにブロックされて一瞬ペースダウンしたところを、矢沢のスカイラインがポルシェを抜いたのだ!!

その瞬間17万人の観客は、愛国心に酔ったのだ。

日本が独逸に勝った!!

8週目には再びポルシェに抜き返されるが、たった一週とはいえ、「醜いアヒルの子」が世界のポルシェを抜いたのだ。

これが「スカG伝説」の始まりであった。。

結果としては、このレースでもスカGは勝てなかったが、あの一周のお陰で、プリンスには同じクルマを売ってくれないか!???という問い合わせが殺到し、100台だけつくられた「S54-Ⅰ」はあっと言う間に売切れてしまった。

それでもプリンス社内では
「あんなクルマ、走り屋連中の好き物クルマで売れっこない」という声が大半であったし、造る工場だって、ボディを切断して、わざわざロングノーズのボディを溶接し直してと手間隙かけないといけないクルマを量産するなんて・・と良い顔をしなかった。。。

スカイランGTこれまでか!??

しかし歴史は思わぬ方向に進むのであった。



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Posted at 2007/04/02 03:42:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | スカイライン | クルマ
2007年03月26日 イイね!

延長 200mmの魔力!初代スカG誕生。

延長 200mmの魔力!初代スカG誕生。



突貫工事でホモロゲートに必要な100台を作り上げたプリンスは、その特別な「スカイラインS54-Ⅰ型」に新たな名前を与えた。

スカイライン2000GT

そう、これが後に言う「スカG」の源流である。

ホイールベースは、長いグロリアの2Lストレイトシックス「G7」を搭載する為に200mm伸ばされ、全長もそれにしたがって「135mm」延長された。

これを考え出した櫻井 眞一郎をして、「見るからにダックスフンドの様で、お世辞にもカッコイイとは思わなかった・・」と回想している。。。



しかもスカイライン1500のボディを基本的に使っているものだから、内装だって付け焼刃で、スポーツ走行に必要不可欠な「タコメーター」もダッシュボードの上に所在無く、まさに追加メーター・・・という風袋で取り付けられていた。



この醜いアヒルの子?は、櫻井たちが手を掛けるにしたがって、どんどんとそのポテンシャルを上げていった。

とにかく造った100台、レースに出るには慣らし運転も必要なのだが、プリンスには十分なテストコースが無かったので、今では考えられないが夜間を待って国道一号線を使ってそれは行われた!!!

慣らし運転には、レースに関わる連中で行うのが当然なのだが、もはや時間も無く一般の設計や試験の連中も借り出されたと言う。

レース用のS54-Ⅰは、もちろんヒーターなどの空調は無し、しかも軽量化で内張りはおろか、防音材も削っていたうえに、マフラーは抜けの良い物が付いていたので、走行中はまるでドラム缶の中に居るが如く「ガタン・ドタン」と酷い状態だったという。。
内装や防音材を削ったことで、さらに鉄の塊は外気に冷やされ、ぶ厚い防寒着ナシでは運転できない状態だったというが、「レーシングカー」に乗っているんだ!という自信と優越感で、駆り出された社員からは誰一人文句がでなかった・・という。。。

そうした努力の甲斐もあって、スカイライン2000GTの鈴鹿でのタイムはどんどん向上して行った。

レース関係者、そしてプリンスのレースに関わったメンバーからも 「速い!これはいける!!」 という声が自然と上がるようになった。

しかし、本番直前になって意外な強敵が現れる事になろうとは誰もが思わなかったのであった。。。



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Posted at 2007/04/01 04:29:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | スカイライン | クルマ
2007年03月20日 イイね!

切望 スカイラインにグロリアのエンヂンを積みたい・・・

切望 スカイラインにグロリアのエンヂンを積みたい・・・








失敗の許されないプリンスは、櫻井を中心に競技規則を徹底的に勉強して規定ギリギリの改造を行った。。。
車種は2Lの「グロリア」と1.5Lの「スカイライン」であった。

櫻井の野望は 1000~2000 CC のグランドツゥーリングカークラス(GT-Ⅱ)のクラス制覇であったが、どうもスカイラインの走りが思わしくなかった。。

63年の11月からは、鈴鹿にマシンを持ち込んでテストを始めたが、鈴鹿の奥のスプーンカーブの立ち上がりで芳しくないのだ。
櫻井は自身でスティアリングを握り、急なコーナーを減速して立ち上がりで床が抜けるくらいガスペダルを踏むがスカイラインは思った様な加速をしてくれなかった。。。

何度も何度もエンヂンの調整をするが、それでも満足のゆかない櫻井にひとつの閃きが起きた。

「一緒に走っているグロリアの2000 CCのエンヂンを積んだらいい・・・」

櫻井は上司に掛け合った。

「アレにグロリアのエンヂンを積みたいんですが」
「お前は馬鹿か!?あんなでっかいエンヂンを積んだら、クルマが真っ直ぐ走らないで、その場で回っちゃうぞ!!」
「そんな事はありません!絶対にモノにしてみますから・・・」

その熱意に打たれプリンスの上層部は折れたが、さらに櫻井はこう言ってみせた。

「これをやっておけば、将来必ず生産車に生かせますよ」と・・・

問題は、どうやって巨大な2000 CCのエンヂンを1500 CCのスカイラインに積むかだった。

櫻井は開発本部長の中川に相談した。

「フロントのノーズの根元から切断してホイールベースを伸ばせばいいだろう。。」

中川は続けて「200mm伸ばせばいい」と言ったが、今度は周りから反対の意見が出たが、櫻井をかばう・・・いや、中川は自身のプライドを持って専務連中の言葉を遮った。

プリンスの専務と言えば、技術畑の一癖もふたクセもある連中ばかり・・、彼らも技術者のプライドをかけ中川に詰め寄る。

「200mmはいくらなんでも長すぎる・・せめて180mmでは・・」と食下がるのを中川は、「だめだ!200mmは俺の絶対命令なんだ!」と、とうとう押し切ってしまった。

中川が「200mm」に執着したのは理由があった。

それはかつて戦争中、中島飛行機で自身が設計した 「星型18気筒エンヂン 誉」 の前後のシリンダー間隔が「200mm」だったからだ。
当時としては画期的なコンパクト化という命題でたどり着いた技術者として忘れえぬ数字だったからなのだ。。。


(注:画像は「栄」エンヂン)

櫻井の提案は、多くの熱意に支えられてよいよ「化け物スカイライン・プロジェクト」が始まった。

しかし、季節は秋から冬へと移ろい、日本GPまで半年しか猶予が無くなっていた。

実験グループによって「グロリア」の2000CC「G7」エンヂンのパワーアップが昼夜を問わず行われた。そして、スカイラインに載せる「G7」には伊太利亜の「ウエバー社」のカブレーターが最適という事になったが、その時点で2月15日、車両公認試験のタイムリミットが3月5日であった。。。。

それまでに「同一車種を100台生産しなければならない」という規定に合わせ、実験車3台、レース参加車5台、その他にホモロゲに必要な残り92台を造らなければならなかった。

もうそれからは全社あげての総力戦となった。

じっくり計算する時間もなく、専用のプレス型も無いので、とりあえず1500 CCのスカイラインの鼻先をぶった切り、手作りでフェンダーなどを作り上げ溶接した。

そうして実際に走ると、やはり無理があってボディが捩れる。

ここだ!あそこだ!とシャーシやボディに板を貼り付け、強化すると何とか走れるようになったが、今度は、強大なエンヂンのトルクでリヤのサスペンションが持たなくなり、今度はそれの改造・・と。。。試行錯誤を繰り返し、ようやく100台のメドが立つ事になった。

これが「スカイラインGT」の誕生・・・・となったのだった。



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Posted at 2007/03/21 03:13:48 | コメント(1) | トラックバック(0) | スカイライン | クルマ
2007年03月19日 イイね!

惨敗 スカイラインの歴史は惨敗から始まった!?

惨敗 スカイラインの歴史は惨敗から始まった!?








スカイラインのレースの歴史を紐解くには、「スカイライン・スポーツ」の存在を忘れる訳にはいかないだろう。

もちろん、その前に存在した初代スカイライン「ALSI-Ⅱ」のラリーでの活躍もあるが、

ラリーのスカイライン 誰も知らない海外でのチャレンジ!!
http://u14sss22ltd.fc2web.com/combat/alsi/alsi.html

レースに限れば、やはり1963年5月3日に行われた「第一回日本GP」での「スカイライン・スポーツ」のハナシをせねばなるまい。

鈴鹿サーキットのこけら落とし、そして国際自動車連盟も公認する日本初の本格的なレースが「第一回日本GP」であった。

プリンスは当時、日本の市販車の2Lクラスで最強のエンヂンを搭載していた「スカイライン・スポーツ」と「グロリア」を参加させた。
GPが始まる前に各メーカーが集まり 一切の改造はしてはいけない という日本自動車工業会の申し合わせに従い一切の改造をしていなかったが・・・

実際には、プリンスを除くライヴァル・メーカーは、レースのレギュレーションギリギリの改造を行ってレースに望んでいたのでった!!結果はまったく散々たるもので・・・当時の様子を1981年のモータファンで 櫻井眞一郎氏 はこう懐古していた。


当時の若い連中で東海道をトコトコ徹夜で走って、鈴鹿に入ったんですね。
それで、ヘアピンの上に陣取って、今度何番が来るかって「賭け」をしたんですが、私(櫻井氏)が一番勝ちましてね・・・私は日産のフェアレディに賭けてたんですが、周回ごとに「お金」が入って帰りに大盤振る舞いした記憶があります。

周回ごとに先に走って来るのは他社のクルマばかり・・・

しかも、抜かれるハズのない「三菱コルト1000」にまで抜かれて「ひでぇなぁ」なんて野次馬気分で結構レースを楽しんで帰ったんですね。。。



撮影:小柳写真事務所 小柳 琢磨(ueno tokyo japan)

結果プリンスは予選で全滅して、決勝には出られなかった。
レースはどのクラスも トヨタ の圧勝で、レースの後のトヨタの新聞広告には「優勝」の文字が躍り、大いに販売台数を伸ばした。

反面、クラスで最強だと言っていたプリンスはレースで結果を残せなかった為に、販売でも大きく落ち込むことになってしまったのだ。

そこでプリンスは、その雪辱を晴らすために社内の総力をあげて翌年の「日本GP」を目指す事になった。

「来年はレースを本格的にやる。ついては車両の開発は君がやれ」

第一回日本GPが終わって2ヵ月後の真夏のある日、櫻井眞一郎 は上司の 中川良一(旧中島飛行機の技師出身)から命令された。

生産車はあれもこれもやらないと大変だけど、レースならそれに集中して、勝ちゃいいんだ!単純でラクになるぞ・・・と考え櫻井は、ひとつ返事で「はい!」と答えてしまったが、今の仕事が心配になり・・・

「ところで私の今の仕事はだれに?」

「冗談じゃない、君の仕事はそのままで、そっちもやるんだ」

えらいことになってしまった・・・と櫻井は思ったが、まさに後の祭りであった。。。


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Posted at 2007/03/21 02:16:59 | コメント(1) | トラックバック(0) | スカイライン | クルマ

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「後視 いやぁこんなに簡単なバックカメラがあったなんて!! http://cvw.jp/b/124785/23876370/
何シテル?   01/04 14:54
無類のクルマ好きで、日産車を愛してやみません。 徳小寺 無恒のHNを引っさげ、かつての愛車、ワインレッド・パール・ツゥートンのU14ブルーバードの話題を軸...

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