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徳小寺 無恒のブログ一覧

2006年07月30日 イイね!

検証 ハコスカGT-Rを再見してみる。。。

検証 ハコスカGT-Rを再見してみる。。。








GT-R この言葉の響きを聞いて身が震える思いがするのは僕だけであろうか?
特に僕はこの目で、日本GPでの、高橋国光と長谷見昌弘の壮絶なバトルをじかに見たからであろうか?

無敵 0.02秒の激闘 '71年日本GP
http://carlife.carview.co.jp/User.asp?UserDiaryID=207014

しかし、今改めて思い起こすと、当時の雑誌などでは、セダン(GC10)も、ハードトップ(KPGC10)も動力性能で芳しくない結果が多かった様な気がするのは、記憶違いだったのだろうか?

さらに記憶を掘り起こすと、ケンメリGT-Rに至っては、当時格下と思われていた「ギャランGTO-MR」のツゥヴァルヴ・ツインキャムに後塵をきし悔しい思いをした記憶が薄っすらとあるのだが・・・

うつらうつらとした記憶を確かめるべく、屋根裏に積んであるCGを眺めて見た。

まずはセダンであるが、69年5月号では、かの小林章太郎 氏がセダンを駆り出し、谷田部や富士を激走していた。
この時は、オドメーターが1500Kmをやっと指したばかりの新車で、果たせるかな5速で179.55Km/h(1Km区間平均)、4速で180Km/h・・・とカタログ値の200Km/hには遥かに及ばなかった。。。

しかし市街地や高速道での動力性能は、それまでの国産車や外国車を遥かに凌駕し、紙面で多くの賛辞やその使い勝手について述べられている。。

エンヂンが掛かった瞬間からこの車がただものでない事を全身で感じる。
イグニッション・キーをオンにすると、まずトランク内で電磁ポンプが忙しい音をたてて、100リッターの入りのタンクから三基の三国ソレックスN40PHHにハイオクタン燃料を送り込む・・・

掛かる瞬間は、文字通り爆発的である。レース場のパドックで、F1のプロトタイプのエンヂンの掛かるのを見られた方も多かろうが、あの感じに近い。クークークーとかなり長いことスターターで回し、もうダメかなと思った途端、轟然と掛かる・・・

ブレーキの踏力は2000GTに比べれば一般的にも大であり、信号で停止する程度のゆるい停止(0.3Gくらい)にも、2000GTの倍近い、20Kgの重い足を要する。効きは斬進的でよい。特に高速での効果はきわめて安定しており、自信を持ってハイスピードが出せるが反面街なかの発進・停止の繰り返しでは少々しんどい・・・

と言った具合なのだが、それ以上に、まずは評論家としてクルマの評論の基礎を築いたと言われる大御所の文脈は、クルマ好きなら、もう身の毛のよだつような魅惑的な文体が散りばめられていた。。

ハナシを戻すが、当時駆り出されたGC10のセダンは、残念ながら、超高速域では見るべき結果は導き出せなかった・・ということであった。

この時は、本当にエンヂンの不調であった様だが、その他のメディアでも、キャブなどの不調でなかなか思った様な結果が残せなかった・・・というのが事実であった。。。

しかしながら、それまでの国産車では味わえなかった、操作系の難しさ(重さが主)、や通常の領域や、それを少し超える領域での高性能ぶりに目を見張った・・という事も事実であった。。。

さらにハードトップGT-Rの登場へと、誌面を進めて見た・・・・



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Posted at 2006/07/31 00:28:11 | コメント(1) | トラックバック(0) | スカイライン | クルマ
2006年07月23日 イイね!

装備 R30スカイラインの新兵器たち。。。

装備 R30スカイラインの新兵器たち。。。





スカイラインと言えば、サーキットの活躍がクローズアップされるが、オーディオ好きであり、優れたドライヴァーとしても毎日ドライヴィングをしていた 櫻井眞一郎 氏 のアイディア溢れる新兵器たちも見逃せないのだ。



パワー競争の申し子の様に言われるR30スカイラインだが、そのR30にも現代では必要不可欠な装備が散りばめられていた。

まずは、オーディオ好きで有名だった櫻井氏ならではの世界初の装備がある。

ダイバーシティ・アンテナ だ。



先代の通称「ジャパン」と呼ばれたC210では、オプションだったがTechnicsを採用して、オーディオファンの感動の涙を誘った。

当時から(今でも)Technics信者である僕は、もうそれだけで、走らない、鈍重・・・などと酷評されたジャパンであるが欲しい・・と思ったモンだ。

カワイイ!?のは「サブ」と「メイン」なんていうインジゲーターが付いていて、今、どのアンテナで受信しているかが分かるようになっていたのはご愛嬌だ。

さらに今度はタイアのスカイラインの真髄・・・櫻井氏は、スカイラインの開発を進めるに当たって、当時の運輸省と激しくバトルを繰返した事は意外に知られていない事実だ。

今となっては馬鹿げたハナシだが、ラジアルタイアアルミホイールが当たり前のように履ける様になったのは、実は櫻井氏の働きかけであったのだ。

だからアルミホイールを標準で採用したのがスカイラインが最初だったのだ。。。

初物 スカイラインって始めてが多いんですよ!
http://carlife.carview.co.jp/User.asp?UserDiaryID=916715

そのタイアのスカイラインのR30のトピックがテンパータイアの採用と、なんとそれだけでなく、そのスペアータイアの空気圧のチェックが出来るようになっていたのだ!!



しかし、そんなスカイラインの栄光の装備たちの中にも、確かに便利なんだけど、よく考えてみたら・・・という装備もあった事も事実だ。

それが・・・

傘入れ兼用ドアポケット だ。



R30乗りなら至極有名な装備?なのだが、これは一度使うと本当に便利な装備なのだ!

若干傘の長さに左右される嫌いはあったが、ドアポケットの先の運転席側の足元のサイドボードには、傘をドアポケットに入れた時に、傘の先が干渉しないように「逃げ」まで入れてあるのだ!!
そして当然だが、ドアポケットに入った「雨水」も室外に排出されるようになっていた。

これは、まさに毎日クルマを足として使う櫻井氏ならではのアイディア装備と言えるだろう。。。

しかし・・・

傘入れとして使うと、本来のドアポケットの機能が使えない・・とか微妙な使い勝手の問題から、R31では廃止されてしまった、日産お得意の忘れてください装備のひとつにもなってしまったのだった。。。

クルマは愛だ

のキャッチで一世を風靡したR30スカイライン。。。

そのキャッチが、ただの謳い文句だけでなかった事は、これらの装備たちからも伺い知れると僕は思うのだ。

今のスカイラインは、やたらと「走り」だの「豪華絢爛」さを謳いあげているが、こうした実は目に見えない工夫や、デザイナーの優しさが、本当のスカイラインの真価であったという事を、今の日産の連中は思い出して欲しい・・そう思うのだ。。。


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Posted at 2006/07/23 13:37:43 | コメント(5) | トラックバック(0) | スカイライン | クルマ
2005年11月27日 イイね!

初物 スカイラインって始めてが多いんですよ!

初物 スカイラインって始めてが多いんですよ!知性と理性のクルマ・・スカイラインを差してそういった評論家が居たが。

一見、冷たい機械であるクルマに魂を込めて、ドライバーと語り合えるクルマを目指したスカイラインだが、そこにはドライヴァーの利便性という事にも注力されていた。

必然的にアイディア装備と言えるような装備も数多く存在して、それが日本で始めて・・・といわれる装備も数多く存在する。

TOP画像は、初代スカイラインALSI-1がマイナーして登場したALSI-Ⅱ型だが、そこでも日本初の装備が装着されていた。

今ではまったく何のこと無い「4灯式ヘッドライト」がそうであった。

これでそれまで「暗い」と言われ続けていた国産車の中でもスカイラインは明るい・・と評判になった。

さらに・・・・このALSI-Ⅱ型からマイナーされて追加された「スカイライン・スーパー」では・・・



国産車で初めて、グリルの中にヘッドライトを装着したモデルが登場した。
ちなみに、この「スカイライン・スーパー」が後に「グロリア」に発展した事は意外に知られていない事実である。

さてさてハナシを戻すが、時代は変わって「ケンメリ」にも国産車とか世界初の装備がテンコ盛りなのであった。

まずは「トランクオープナー」だ

開発の当初は、単純にチューブの中にワイヤーを通したモノであったが、これがダメダメで。

ドライヴァーズシートからトランクまでの距離が長く、とにかくワイヤーとチューブの抵抗が大きく人間の手ではワイヤーがびくとも動かないのであった。

それで歯車やテコを利用した「倍力装置」を付加したりしたが・・・抵抗が大きいワイヤーは、伸び易く切れやすい、とても実用に耐えれるもではなかった。

とうとう開発も行き詰ったかと思われた時、櫻井 は会社からの帰り道、伊勢丹デパートの台所用品の売り場へふらりと寄ってみた。

台所用品は、道具を使い慣れていなく、さらに力の弱い女性が使う事を前提にしているのでシンプルで使いよい物が多いと 櫻井 は言う。

そこで 櫻井 が見たものは。。焦げ付かないフライパン・・・「テフロン加工」であった。

「そうだチューブにテフロン加工したら・・」

早速試作品ができて、スタッフの女性がドライヴァーシーからレヴァーを引くと・・・

「軽々とトランクが開いた」



社内で発売前の社長初め重役たちのプレゼンテーションで・・・

ドライヴァーズシート横のレヴァーを見つけた当時の社長が櫻井に聞いた。

「櫻井、これは何のレヴァーだ?」

「トランクを開ける魔法のレヴァーです!?」

「こんなに運転席から距離があるのにトランクが開くものか!」冗談もほどほどにしろ・・と言いかけた時、櫻井は「まぁ、レバーを引いてみて下さい」

しぶしぶレヴァーを引くと・・・


「バタンッ!」


いとも簡単にトランクが開き

「ほ・ほ・うこれは良いもんだ。」

と言ったきり社長は何も言わなくなった。

後にソアラの開発主担になったトヨタの某氏は、ケンメリ発売後、トヨタ重役に呼ばれた事を後のカー・オブ・ザ・イヤーの時に 櫻井 に告白した。

「なんでいつも櫻井ばかりに便利なモノを作らせるのだ!?こんな単純なモノがなぜ、我が社でできないんだ?」と。

困りましたよ櫻井さん・・・と。

さらにケンメリでは、画期的なアイテムが日本で始めて装着されることになった。

「アルミホイール」である。



昭和50年、神戸製鋼とスカイラインのスタッフが共同で開発したものがそうだ。

コの字が連続した凝ったデザインで、強度的にも重量的にも当時は市販品を大きく驚愕させたモノだった。

当時、櫻井 は自動車協会のホイール部門の要職であり、その立場を利用して運輸省に強く働きかけて実現させたものだった。

この 櫻井 の強い働きかけが無ければ、アルミホイールの純正化や車検での対応は、ずいぶん遅くなっていたに違いない。

しかし、アルミホイールを履いただけで車検に通らない・・昔はホイールどころか、基本的には純正以外はNGというのが当たり前だったのだ。。(閑話休題)

その他にもオーディオ好きの櫻井らしいジャパンでの「ダイヴァーシティFMシステム」や、スキーが好きだった事から思いついた「リヤワイパー」もスカイラインが最初に装着した装備だった。。



常に自分で運転して、そこから新しいモノやドライヴァーの疲労を軽減する装備を装着し続けてきたスカイライン。。。

速さや運動性能などばかりがクローズアップされるスカイライン。

しかし、それだけでない、こういったドライヴァーに優しい装備が陰になりながらも、スカイラインの人気をかさ上げした事も、スカイラインの人気を支えた忘れてならない要因だろう。

Posted at 2005/11/27 20:26:57 | コメント(6) | トラックバック(0) | スカイライン | クルマ
2005年11月26日 イイね!

激少 幻!高額取引されるR30のカタログの秘密!!

激少 幻!高額取引されるR30のカタログの秘密!!R30がデヴューした当初、そのカタログの厚さが超話題になった。

なんたって、総ページ数44頁という分厚いカタログで、写真も当時としては他社や他車のモノと比べても格段に美しく、クルマに興味を持っていない人でさえ、ディーラーに向かって、そのカタログを入手しようとした。

その中で、一際目を惹いたのは「開発」と題された見開きのページで、大々的に櫻井眞一郎氏が、開発する様子を前面に押し出したモノだった。。

もともと、櫻井眞一郎がスカイラインのカタログに出るようになったのは、まだプリンス自動車販売という会社があった時、当時社長だった外山 保 氏が、起用したのが最初であった。

実は外山は、櫻井が「たま自動車(プリンスの前身)」に入社した時の入社試験の面接試験官で、後の櫻井の進路を決めた人物と言って良い人だった。

面接試験の時、元々「清水建設」に入社して、かなり社内的にも実績をあげていて、将来を嘱望されていたのを蹴って、転職と言う形で入社試験を受けた櫻井に外山は。。。

「君はなんで清水建設みたいなでかい会社を辞めて、こんな貧乏会社に来るのかね

と聞いてしまったというのだ!!

当の櫻井は・・・
<オレがせっかくこれから入社しようと張り切っているのに、ひでぇ事いうなぁ>と内心思ったが。。。

「貧乏会社結構です。私は建築よりは動く自動車がやりたいし、小さい会社の方が働き甲斐があると思ってますから。」


と答えたと言うのだ。

外山は、初対面で歳より老けて見えてるが不敵な面構えの櫻井に強い印象を受けたと後年告白している。

その印象のせいだったかは定かでないが、外山の発案で櫻井をスカイラインの設計者として広告に使う事にしたのだった。

果たせるかな、社内では「死んじまえ!」と怒鳴りまくる顔とは正反対の柔らかい対応は、口うるさい自動車評論家や雑誌の記者たちに一種の畏敬の念を抱かせ、櫻井の評判は日に日に上がっていった。

それを受けてR30のカタログにも、櫻井とそのスタッフの開発の様子を掲載したのだが・・・

そのカタログを見て櫻井は外山に直訴した。

「こんな風に英雄を作り上げてもらっては困るんだ。クルマは多くの人間が関わって作り上げるもの。オレ一人でスカイライン、クルマはできねぇんだ。このカタログだけは勘弁してくれ・・」

櫻井の考えや意図を、ダイレクトに使ってきたスカイラインのカタログだったが、さすがにこれはやり過ぎた・・・ようだった。。。

しかたなく、作り直されたカタログには、その「開発」の部分が削除されて、「SPIRIT OF SKYLINE」というタイトルで、R380に始まるレーシングカーの話題や、それまでスカイラインが歩んできた歴史や数々の賞について述べられるページとなり、44ページより、さらにページ数がまして作り直された。

「開発」の部分が入ったカタログの数は、 「5,000部」 のみ・・・R30のマニアを自称する人たちには、ツトに有名で、年式の割には法外な値段で、幻のカタログとして数万円で取引されている。。

R30のカタログをお持ちの方、ぜひ貴方のカタログの巻末を眺めて欲しい。。。

もし、「開発」というページがあったら、それは「黄金」のカタログに違いないのだから。。。宝物として大事にして欲しい。。
Posted at 2005/11/27 17:53:55 | コメント(2) | トラックバック(0) | スカイライン | クルマ
2005年11月11日 イイね!

稲妻 R30スカイラインのイメージは稲妻だった。。

稲妻 R30スカイラインのイメージは稲妻だった。。クルマの開発とは、まったく奥が深いモノだ・・

特にスカイラインの開発に関しては、櫻井眞一郎氏のカリスマ性も手伝って名言逸話にいとまがない。。。

その中でも、R30の開発キーワードが「関ヶ原の稲妻」だった事は有名な事だ。

もともと、櫻井氏のクルマの開発には、まず櫻井氏が、新しいスカイラインのイメージを物語として、スタッフ語り開発が始まるのだ。

R30の開発のコンセプト固めのストーリーが「関ヶ原の稲妻」だったのだ。。

しかし「関ヶ原の稲妻」というキーワードは、当初から在ったのではなく、開発が進むにつれて自然に生まれてきたキーワードだというのだ。

それでは具体的に、R30のストーリはどうだったのだろうか・・・

まずは登場人物は・・・

「一人の男がいます。一人の女がいます。二人は恋人で付き合いあって5~6年でしょうか。男は30歳を超えており、女はその2~3歳下です。それだけの年齢と付き合い歴ですから二人になった時のハーモニーは落ち着きと新鮮な感覚が同居しています」

と30代の男女が登場人物になっています。

ここから新しいスカイラインのターゲットする人物像を浮き上がらせています。

その男女が日光・関ヶ原奥にあるホテルに向かう事になったのだが。。

ところが、男に急に会社の責任者としてないがしろに出来ない、責任を問われるほど大きな問題では無いが、プライヴェートよりは優先した方が良い仕事が入ってしまった。。

男は女に電話をかけ、女は一足先に、そのホテルに向かう事になったのだった。

男は淡々と仕事を続け・・・

「彼が新しいスカイラインのシートに座れたのは、8時を過ぎていた。この空間、このにおい。新しいスカイラインは、心と体をを預けても「ご安心下さい、あなたの気持ちはわかっていますよ」とささやいているようだった。」

市街地を抜け高速に入るシーンでは。。。

「高速道路に乗ると、スカイラインは本来の健脚ぶりを発揮した。ギャロップしていた足並みは、ここで本格的な走りをみせた。(中略)
スカイラインは、主人の感情を感じ取っていた。規制を超越してしまったのは結果である。両者は、結果としてルール違反になる速度を出していた。
クルマが「早く行こう」と語りかけ、主人も「うん、そうだ」と応える。なんとも、情が通じ合っている。クルマが生きている・・・生き物が生き物の意思を体得していた。」



ここで櫻井氏は、クルマと人との繋がりについてスタッフに語っています。

「クルマ(スカイライン)は、単純な機械じゃないんだ。人と語り合えるハートのある生き物なのだ。」

「決してクルマが、人の意思を超えてはならない、クルマは、人と対等にコミニケーションできるツゥールなのだ」

という事を説いているのだった。

さらにスカイラインは進み、よいよ自然に囲まれた日光・関ヶ原へと駒を進めた。

それまで、降り続いていた雨はさらに勢いを増し、嵐の様相を呈していた。

「いろは坂を登る。舗装された道は、まるで滝だった。曲がり曲がった道は、まるで「ファイト」するための道だった。スカイラインは彼の為に一生懸命だった。彼は、スカイラインが頼もしかった。熱いエンジンの鼓動は永久に持続するのではないかと思えるほど、信頼があった。降りしきる雨の中を、スカイラインは中禅寺湖畔に姿を見せた。」(中略)
「自然が「むき出した」中で、二条のライトは闇を切り裂いていた。あまりにも対照的な暗黒と光。投影された道と雑木とブッシュを克服しては後へ流す。」(中略)

そしてよいよクライマックス。。。。

「一瞬のはげしい雷鳴が光と共にとどろいた。猛威をふるう雨と風の中、スカイラインは一瞬だけ暗黒からシルエットを見せた。白く青く見えた雷光の下に、シルエットが浮かんだ。頼るものが何も無い大自然の激しさの中、「人馬一体」の意思には。恐れるものは何も無かった。。。」

櫻井氏は、このストーリーを薄暗い開発ルームで、何度もスタッフに語りかけ、R30というスカイラインの姿を伝えようとしたのだ。

スカイラインより早いクルマは、世の中に星の数ほどいる。
スカイラインより印象的なエクステリアのクルマもたくさんある。

でも「スカイライン」ほど、注目されて、愛されるクルマは少ない。。。

それは、こんな人との繋がりに重きをもった氏の開発姿勢が、多くの支持を集めているからに他なら無いと思うのだ。

顧みて今のスカイラインはどうだろうか?

理屈詰めで煮詰められた走行性と操縦性。静粛性が高く広い室内。

クルマとしての完成度は、ある意味で歴代スカイライン一番だろう。。

しかし、あそこもダメ、ここもダメ・・と言われ続けられながらも、人々の気持ちを捉え続けてきたスカイラインの不器用さや、人情に訴えかける不思議なオーラは失われてしまった様な気がする。

こんな事を言ってしまう私も、歳を取ったのだろうか?

僕は、何時までもクルマに「情」とか「暖かさ」を感じていたい・・と思うのだが、それも黒字になった日産には求める事は酷になってしまったのかもしれない。。。。
Posted at 2005/11/12 21:27:33 | コメント(5) | トラックバック(0) | スカイライン | クルマ

プロフィール

「後視 いやぁこんなに簡単なバックカメラがあったなんて!! http://cvw.jp/b/124785/23876370/
何シテル?   01/04 14:54
無類のクルマ好きで、日産車を愛してやみません。 徳小寺 無恒のHNを引っさげ、かつての愛車、ワインレッド・パール・ツゥートンのU14ブルーバードの話題を軸...

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