
折角、日産本社ギャラリーに来たのだから一つくらいは、徳小寺チックなブログをUPせねばと見回したのだが、直感で気になったのが、ハコスカ セダン GT-R こと PGC10 の、デヴュー戦となった1969年5月で、トヨタ1600GTの走行妨害で辛くも優勝した、ゼッケン39 篠原孝道 がドライヴしたGT-Rのレプリカだ。
どういう意図で、この三台が並んでいるかは分からなかったが、
当時は大きなクルマだと思っていたが、現代のクルマと比べると如何に当時のクルマがあコンパクトだったかが分かる並びだ。
「PIVO3」、「リーフ80周年スペシャルカラーリミテッド」、「PGC10 GT-R」 の三台が並んで展示されていた。
当時は、ハコスカと言えば、大きなクルマだというイメージがあったが、今から見ると本当にコンパクトに写る。全長 4,395mm × 全幅 1,610mm × 全高1,385mm 、ホイルベース 2,640mm というディメンジョンは、現代のクルマに例えると、先代のティーダ・ラティオ 全長 4,430mm × 全幅 1,695mm × 全高1,535mm 、ホイルベース 2,600mm と大差無い事が分かる。(むしろ小さいくらいだ!!)
ハコスカのセダンが、今となっては先代のラティオと変わらないくらいの寸法だとは・・・
レプリカとは言え、久々にハコスカの勇士を見て見たいと思い、近くに寄って撮影したのが TOP 画像なんだが、近くに寄ってフト、モヤモヤとした違和感が僕を襲ってきた。何かが違う・・・
さらに近づいて良く見て見ると、フロントのオーヴァーフェンダーの形状がオリヂナルとは違う事に気付いた!!
1969年のレースシーンでは、このセダンGT-Rはフロントのみにオーヴァーフェンダーを装着していた事はツトに有名なハナシである。
このレプリカの元ネタである、1969年のデヴュー戦のゼッケン39篠原孝道の実際の写真。
その1969年の、PGC10 GT-R のレースでの画像を見ると一目で、このレプリカとは、オーヴァーフェンダーの形状と、固定の仕方が違う事が分かるだろう。
オリヂナルのGT-Rのオーヴァーフェンダーは、まさにボディからはみ出た部分のみをフォローする形状となっており、俗にいうサーフィンラインより上に装着されている。さらに、固定方法も、外側からでは無く、オーヴァーフェンダーの内側からビスで固定されている、実に手間暇かかった構造となっている。
初期型レーシングGT-Rのフロント部アップ。レプリカと形状、固定方法が違う事が分かる。
この形状のオーヴァーフェンダーは、たしか1969年中はキャリーオーヴァーされて、1970年には、さらにタイアのサイズアップと空力の改善で大幅に、オーヴァーフェンダーの形状と大きさが変えられたと記憶している。
1969年10月の日本GP TSレースでの画像。オイルクーラーが剥き出しになったが、フロントのオーヴァーフェンダーは変わっていない事が分かる。
まぁレプリカだから、取り敢えずと言う事で・・・という感じなんだろうけど、正直メーカーが造ったモノとしては、小さな違いだけど、どうかと感じてならない。
特にこのPGC10、KPGC10 のレーシングGT-Rに関しては、このオーヴァーフェンダーの形状の編歴は、GT-Rの馬力向上によるタイアのスープアップと、空力との絡みを如何に両立させてきたかと言う非常に大事な着目点だと思うのだが、レプリカとは言え、それを無視した造りこみに大いに疑問を感じてならないのだ。
重箱の隅を突く、小姑の様なうるさい一言だろうが、もっと、そうした点にも留意してレプリカを造るのがメーカーの責務だと思うのだが如何だろうか?それが歴史のあるメーカーの責任だとも思う次第なのだが。。。。
日産!しっかりしろ!と言いたくなってしまうモンだ。
1970年代に入ると、パワーアップによりタイアの幅が広がり、オーヴァーフェンダーの形状とリヤ装着化、空力との両立が考えられた。
Posted at 2014/04/21 17:35:59 | |
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