
マツダという会社は、実は私の中では嫌いなメーカーではない。
そして「マツダ」というより、広島出身者としては「東洋工業」という社名の方が実は親しみを持っていたりするのだ。
「マツダ」というメーカーは、「ロータリー」エンジンの実用化ばかりがクローズアップされてしまうが、私はそれ以前から技術的にもデザイン的にも大いに注目している会社でもあった。。。
第三勢力という言葉と、戦後のメーカーという事で、なかなか過去については語られることが少ないのだが、実は過去のマツダ車には、現代の私たちが見ても素晴らしい技術やデザインのクルマ達が綺羅星の如く存在していたのだ。
過去ご紹介したが、国民車構想というお国の御旗の元、開発された「R360クーペ」など、そのデザイン力は正直他のメーカーとは一線を画していた。。。
R360ブログ「三十万円で新車が買えた」
http://carlife.carview.co.jp/User.asp?UserDiaryID=174439
メインの画像を見て頂きたいのだが、上の車種は現在ではラインナップから消えてしまった「ファミリア」の初代モデルのクーペである。
まるでBMWばりのクラシカルでありながらエレガントなデザインは、今見ても秀逸である。
下の画像のクルマは、これはもう皆さん良くご存知の「コスモスポーツ」の初期型である。
この「コスモスポーツ」のデザインを語れば、デザインの重心が何とAピラーの根元にあるのだ!!
これは、Z32のデザインでも論議されていたが、「野生の肉食獣が獲物を狙うシュチエーション」をモチーフにデザインされたからなのだ。
つまり、獲物に近寄り腰をかがめ、前足の部分がぐっと張り出した様子をデザインしたというのだ・・・
そのイメージでデザインされた「コスモスポーツ」は、これまでのスポーツカーの概念を覆い隠すフラットデッキのあたかも端正な3ボックススタイルでありながら、精悍さとスポーティさを演出した秀作として後世まで語り継がれる名作となったのである。
さて、さらに画像を見てお気づきの方もいらっしゃると思いますが、それぞれのクルマの脇に、その当時のマツダのクルマに付けられたいた「ブランド・マーク」を合わせて掲載してみた。
また、歴代の「ブランド・マーク」も並べてみたのですが、これを見て、懐かしいと思われる方やこんなマークもあったんだ・・とい再発見される若い方もいらっしゃると思うのだ。
当初のマークはマツダの「m」を変形させたモノで、これはローターリが完成した頃には、「m」マークの周りの縁取りがロータリーの「まゆ型」に変更されたのだった。
ところが、この「ブランド・マーク」に海外・・・北米からクレームが寄せられる様になったのです。。。
つまり、英語圏の人からは「m」の抽象文字ではなく、「h」「n」の合成文字としか見えない・・・というものであった。
「マツダ」なのに「h」「n」とはこれ如何に。。。という訳なのだ。
そこで、新しく作られた「ブランド・マーク」が「mazDa」だったのです。
ここで再び、なんで創業者の「松田氏」の名前から企業名が成り立っているのに「matsuda」・・「tsu」でなく「z」なのか・・?というのは、自動車産業の光明としてありたいという願望から、ペルシャ神話に出てくる、叡智・理性・調和の神「アフラ・マズダー(Ahura Mazda)」の名前にも由来しているからなのである。
また、良く一般的に言われているのはゾロアスター教の太陽神も「アフラ・マズダー」なので、そこからも由来していると言われているのだ。
メーカーとしても後発で、地方の一企業として全国的にも、世界的にも生き残りをかけて技術とデザインに活路を見出そうと努力した「マツダ」。
その高尚な精神と、旺盛な好奇心は「現在の正式な新しいMマーク」の下にも「mazDa」の文字として息づいているのです。
Posted at 2005/05/23 08:36:20 | |
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