
国産車のターニングポイントは、1986年に始まった「バブル景気」の頃かもしれない。
それまで国産車は、海外で「壊れない」、「燃費がいい」という事で評価されてきたが、それはクルマという趣味性やプレミアム性からではなく、「壊れない大衆車」という位置づけで、ツールとしての評価であり、遅くまで「ツゥドアセダン」や、コンパクトな「ツゥドアクウペ」が北米で用意されていたのは、家庭での、奥さんの子供の送り迎えや毎日の買い物クルマとしての、セカンドもしくはサードカー、さらに「セクレタリカー」としての需要の為であり、Zの様に趣味性の高さから受け入れられた国産車は「稀」であった。
趣味性の高いクルマとしてZやRX-7が北米では受け入れられたが・・やはり「安さ」が武器だった。
それがバブル景気で、メーカーにも、このままでは数は売れても、一台当たりの利益率は低いままだという思いと、「安さ」だけではなく「クルマとしての本質」の部分でグローバルに認められたいという思いから「プレミアム」な世界へのステップアップを図りたいという思いから「高級車」のポジションへの進出を図るようになった。
ちょうど、北米でも旧来の高級車の他を威圧する姿形やブランドに「違和感」や「古臭さ」を感じる層が出て来て、さらにバブルのもう一つの担ぎ手だった「若年層」の高所得者に向けて、新たな価値観でプレミアムブランドをぶつけようと「インフィニティ」や「レクサス」といった新たなブランドで国産車は勝負に出た。
そのために、従来の壊れない品質そのままに、姿形も新しい姿で挑んだのだが、それが、如何に他所とは違った意匠にするか、個性をだすかという点にも重きが置かれ、「若々しさ」というキーワードにも踊らされ、デザイン全体では無く、ヘットドライトやテールランプの細かい造形や、プレスラインを多用したゴチャゴチャとしたデザインが散見されるようになった。
さらにそれが、これまでのフツウのブランドまで波及して国産車のデザインは「瓦解」の坂道を転がり落ちて行くようになった。
現在でもそうだが、ヘッドライトやテールランプの部分部分の造形は、まるで書道の「ハネ」の様に複雑怪奇な造形が当たり前になり、特にトヨタに見られるようにボディの各所に無理やりプレスラインが走り、全体で見ると実にまとまりのないデザインになってしまっている。
せっかくいい素材なのに、他所とは違う造形にしよう、変化を付けようと小細工をしている。リヤドアのプレスラインとリヤバンパーの切り替え線に連続性を持たせる必要はあるのか、テールランプからダラリとプレスラインを落とす必要はあるのか?
怖いのは、デザインが悪くなったねぇで終わらず、古今東西、デザインが落ちるとメーカーも没落するという事だ。
ここでは、技術力も高くデザインも良かったのに戦後崩壊したアメリカのパットカード、DATSUNを上回る技術力がありながらデザインが破綻して消えてしまった「オオタ」、そして、志は高かったのだが、外野の騒音にかき回されて消えて行ってしまった「ダイハツ・アプローズ」などのデザインの崩壊を 主体 に、これからの国産車の行く末を心配しながらブログをまとめてみた。
2021年 国産車のデザインはグローバルで通用するか!?
https://minkara.carview.co.jp/summary/13069/
(TOP画像)
英国「デイリー・テレグラフ」紙で「世界で一番醜いクルマ」というテーマでのアンケートで栄えある「一位」になった「ポンティアック アズテック」。
これを見ると、意外に今の国産車に散見されるデザイン手法が見られるんだが・・・大丈夫か!?国産車のデザイン。
Posted at 2021/01/04 14:48:19 | |
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