
最近の流行りだろうか、旧車を扱った記事やブログが大人気の様だ。
僕もそうしたPVの多いブログなどを見つけると、大いに期待してアクセスしてみるるが、その殆どは WIKI などの丸写しで、殆ど内容の無いモノが多い。
ステレオタイプの評判や評価を、鵜呑みして残念ながらその背景や真の姿まで書き込んでいるモノは皆無だ。
僕が何度もブログでUPしているが、610ブルーバードU や 710ヴァイオレット が不人気車という「烙印」も正しくもアリ、実は大いに間違っている。
それなのに、そうした固定された観念で雑誌やネットでの書き込みを、自分で消化せずに書き込んでいるので実に内容が薄い。
ぼくが大いに最近感心しているのが、あの 憎くきトヨタ の GAZOO の 「自動車歴史年表」だ。
例えば、徳小寺的に注目したのが、
BC戦争――マーケティングの時代(1964年)
→ https://gazoo.com/article/car_history/141219_1.html
BC戦争について語った回だ。
悔しいかな、元々はトヨタのサイトなんだが、実に丁寧にブルーバードとコロナの生い立ちや、その歴代の売れた売れないの理由、そのバックボーンがだれにも分かりやすく丁寧に記述されている。
おまけに時代背景や、なぜ、そのモデルが生まれたかまでも書かれているので実に理解しやすい。
よく みんカラ の人気ブログにありがちな、売れた、売れない、デザインがだけでなく、なぜ、そのデザインになったか、その時の時代背景は、だから売れたんだ、でも売れなかったんだという WIKI 丸写しではない基本がしっかりとした内容で本当に勉強になるモノだ。
さて、ここから本題なんだが、これがライヴァルのトヨタが、他車(他社)の事でありながら、自動車文化として捉えてやっているのに、顧みて日産はどうだ、僕は常々、自社の歴史やブランドを大事に、そして育てて欲しいと事ある事に言って来たが、それが最近は、それらにおんぶにだっこで、そこから、どうしたい、どう進化してゆきたいという自己分析や、これからの自社象が皆目見えてこない。
例の日産のCMでも、
逃げなかっただろ、諦めなかっただろ、「逆境上等」って言ってるけど、すべて自分が原因だという事を忘れてないか。
「逃げなかっただろ」、「諦めなかっただろ」、「逆境上等じゃねぇか」って言ってるけど、その原因を作ったの自らの不徳のせいという事を忘れてないだろうか。
この件で大いに反対の意見がある、日産の関係者が居れば是非とも、手を挙げて反論して欲しい。大体、それができる社員が居るのか!?
打破 日産に明日はあるのか。日産の若手は本気で日産を蘇らせられるのか。
→
https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/43611611/
環境 日産に明日はあるのか。日産の歴史は繰り返す。
→
https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/43613591/
抗争 日産に明日はあるのか。権力争いは続く。
→
https://minkara.carview.co.jp/userid/124785/blog/43617106/
逃げなかったのではなく、諦めなかったのではなく、危ない!もう駄目だという段階になると、神風ごとく景気が回復して、もちろん日産の努力もあるだろうが、自然と回復しただけと言うのが実情だ。
「逆境」だって、日本のメーカーなのに、日本の市場を無視し、ブランドを切り捨てた「身から出た錆」以外の何者では無い。
「逆境」云々ではなく、
「もう一度、日産に立ち返るんだ」
だったら、よし!心から、諸手を挙げて応援するぞになるんだが、これじゃ素直に応援できない。
古くからの日産の応援者として僕は言いたい。
自らの歴史を正しく顧みて、反省して、それを糧に大いにファンの為に、いや日本のメーカーとしての姿勢を見せて欲しい。
あたかも歴史とブランドを大事にしているような素振りではなく、本当にそうした歴史、ブランドを生かしたクルマ造りをして、大いに我々を見返して欲しい。
トヨタにだってできるんだ。日産ならできる、できるはずだ。
日産のファンの声を集めてバナー造りもいいだろうが、本来のクルマ造りで多くの日産への批判を跳ね返して欲しい。
それが古くからのファンへの恩返しだと思うのだ。
頑張れ日産
Posted at 2020/09/20 09:59:40 | |
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