
地震が発生し、揺れが収まると工場現場のチェックを行い、作業員全員を帰宅させた。
その後、デリバリーで二台のトラックが戻って来ていなかったので、戻ってくるまで事務所で待機。それも20時までに無事に帰ってきたので、ここで事務所を後にした。
川崎駅までは、バスが時刻表どおり動いていたのでバスで移動。この段階でJRは終日運休するかどうかが不明確だったので、近くの飲食店で夕食を取った。
夕食をとって、駅に戻ると、JRは終日運休が決ったという事で、改札口が完全にシャッターで閉じられてしまった。
さて、どうするか・・・・・
余りにも改札口近辺は寒いので、地下街に非難したが、通路沿いには帰宅を諦めた多くの人が、まさに数珠繋ぎで壁に沿って座っていた。
そのウチに、商店街の人が 「直接通路に座ると冷たいので、ダンボールを配ります。」 と言ってダンボールの配布を始めた。
まだ帰る手段は、と考え、レンタカーの使用を思いついたが、どのレンタカーも空きが無かった。
とりあえず行けるところまで歩いてみようと、川崎駅を歩き出した。
23時過ぎだというのに、道路はクルマが溢れ、歩道には、やはり帰宅を目指す人たちが列を作っていた。
僕は、この日はたまたま、運動靴だったので大丈夫だったが、多くの人は革靴。進むうちに、道端で休む人が増えて来た。
僕は、一時間でどのくらい進むかを決めて、目標を決めて先に進んだ。
「次は菊名だ」、「新横浜アリーナ」、「鴨居駅」・・・・
途中で、何台もタクシーを見たが、どれも乗車中で、さらに、横浜市内などの通常は、その地域で見ることの無いタクシーが多く走っている。横浜線に沿って歩いていたが、誤動作で遮断機が下りて警鐘がなりっぱなしの踏み切りや、駅と駅との間で地震で停車して、乗客が降りて無人の電車が異様な雰囲気だ。
さすがに四時間を越える頃から、足が疲れてきたので、コンビニなどで休息を取りながら、ようやくR16に出た。
日頃、見慣れている道路に出ると、不思議と元気が出てきて、それまで落ち気味だったピッチが上がり、川崎を出て6時間後に相模原へと到着した。
夕食を取ったにも拘らず、お腹が減ったので、簡単に「お夜食」を取り、遅い就寝。
今回の行軍は、正直、こうした災害時にはご法度なのだが、ある事情があったので止む無く強行した。川崎駅を出た段階では、朝になった段階でも運行が再開する見込みが無く行軍したのだが、革靴などの装備だったら、途中で歩け無かっただろう。
そして、心強かったのが携帯の存在。
通話は殆ど出来なかったのだが、携帯のGPS機能で、常に自分の位置が確認でき、最短のルートを選ぶ事が出来た。これで、効率よく移動ができ、ミスコースを防げた。
携帯、そのものの状態だが、一番通話が困難だったのが「ソフトバンク」。正直、一日経った現在でも、まともに使えない・・・・
次ぎに困ったのが携帯の電池の消耗具合。もちろん、使用状況や使用期間にもよるが、ドコモもAUもシャープの携帯は何故か電池の消耗が激しく、どんどん電池の残量が減って精神的にも、実用的にも非常に困った。
機能や写真が充実していても、電池の消耗が早いと、その機能も満足に性能を発揮できない。
性能だけでなく、こうした電池の消耗にもメーカーは気を使って欲しいと思うのだが。。。
約36Kmを歩いて、色々な事を考えたが、やはり終始思ったのは家族の事。
家族の顔を思いながら歩くと、不思議と足取りが進むものだ。
今回の地震で、改めて家族の大事さを感じた次第だ。
Posted at 2011/03/12 17:14:55 | |
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