
さまーずが街をブラブラする番組で、キー局の東京12チャンネルでは夏くらいに放送されたらしい、埼玉県は川越市の巻。
その局が映らぬ福島の地では、ローカル局が3か月遅れで放送し…それを録画してたのを、ボチボチ見始めた。
川越…とくに縁やゆかりがある訳でも、そう今まで意識した事もなく、何度か東北道インターから目的地までの間で、通過した事のある程度か。
なのに、わざわざ録画しようとしたのは単に、その前月に
埼玉までラーメン食いに行った際、道路案内に「川越まつりで渋滞」って表示があり、どんな祭なんだっぺ?と少し意識したのを思い出したって程度のこと。
…なるほど、江戸時代からの建物が、明治の大火などにも耐え残り、小江戸と呼ばれる街なのか。
その手のは、ホントつい数年前までサッパリ興味なかったけど、年齢的なものか何かしら心境の変化でもあったのか、最近は自然の光景と共に、大都会の街並なんかより、よっぽど興味津々になってたのに改めて気づかされ、いずれ機会があれば行ってみてぇな。
でまぁ、そんな川越の地にも思いが馳せるものの、より興味深かったのが…
ブラリと立ち寄った、アタシと同年代の女性が営む手作り帽子の店。
店を出したキッカケってのが…ノストラダムスの大予言で、1999年で世界は滅亡すると本気で思い、それまでに思いっ切り生き急いだのに、滅亡しなくて燃え尽きてしまい、しばらく抜け殻だった時に昔の夢を思い出しての事らしい(笑)
いやねアタシも…まぁ程度の差はあれど、やっぱ「もしかしたら」って意識はあって、燃え尽きこそしなかったが(笑)、少なくとも「将来のため今を我慢する」気には、なれなかった心当たりが (^^;)
クルマ趣味にしても、まだ若造だった頃の2台目、ターボ車のスカイラインを買う時も…湾岸戦争が終わって、ガソリン高騰が落ち着いた頃合い。
この先、世紀末に向かっての「序章」みたいな意識もあって、せめて落ち着いてる今のうちに、乗りたいのに乗っちまおうと思ったのも、キッカケのひとつだったか (^^;)
ま~ずっと、そんな思いでダラダラと歳を重ね、気づけばこんな「ていたらく」な人生で…実際むかしから事あるたびに、冗談半分で「世紀末で地球は滅亡するつもりで、生きてきたから」と笑い話もしてきたので、そんな人生を地でいく人がテレビに出ててビックリ(笑)
ま~そんなのを思い出しながら、ふと…
さすがに、呪いだ予言だってのは抜きにしても、そんな一端を現実的に垣間見たのが…あの大震災。
自分自身においては、まぁ少なからず核の炎ならぬ、「核の物質」に包まれたんだろうし、結果の見えない「この先」への不安を思うと、昔と同様に「今を我慢した先の将来」に対する疑問も、改めて込み上げてくる。
なにより、単なる「悔いなき人生」ってよりも…
まぁ今までのテキトー人生の結果、恥ずかしながら未だに独り身だけど (^^;)、あの後しばらくは実家の両親を心配した以外…ほとんど「守るべきもの」がなく、大半が自分の心配だけで済んだ事に、どんだけ救われたかって感じたのも、正直なところ。
もっとも両親についても、まさに母の心臓手術が震災の数時間前に終わり、その後も長期に渡りライフラインが断絶され、原発事故で実家の地にも放射能が襲いかかる(と当時は思い込んでた)…今だったら何を差し置いても心配で埋め尽くされる出来事だが、こちらも震災以降は生活を犠牲にして仕事に忙殺される日々で、ロクに心配する事すらできなかった。
もし、あの時に自分自身の家族とかいたら…たぶん発狂してたかもしれない。
ただ反面、それを乗り越えてこそ、かけがえのないモノを得られる事も、あるんだろうか…
ふとした思い付きで録画したテレビの、まぁ笑い話な内容だが…なんかつい色々と考えてしまった、図らずもあれから1000日の節目に見た、世紀を超えた川越の町でした。
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2013/12/04 22:03:11