今日カワサキの店にオイル交換に行って、展示されている車両を見てきた。バイクの新車はいつも面白い。メーカーによって、車種によって寸法やデザインがいろいろ、エンジンの形式も単気筒~4気筒、ときには6気筒まであり、とても個性豊かなのだ。だから、バイクの置き場に余裕があると複数台所有したくなる。今は2台しか置けない環境なので、うまく抑制ができている。
一方、最近日本車の新車には全然関心がわかない。自動車メーカーの数が減ったし、車種も統合され、OEMのもの、プラットフォーム共用の車種が増え、どれも似たようなものでしかない。アピールするのは燃費と自動ブレーキくらいで、ユーザーの所有欲を満足させるような「何か」があるわけではない。だから、「もう新車は買わなくていいな」となり、ディーラーに向かう気もしなくなっている。駐車場は2台分あるのだが、1台分はずっと空いたままだ。
どうしてこういう違いができたのか。思うに、バイクはいまだに「自由な時間とお金がある人のための嗜好品」なのに対し、乗用車はかつては同様の存在だったものの、近頃では「極一部の嗜好品とその他多数の生活必需品」になったからだろう。嗜好品的な車づくりは欧州のメーカーが得意とするところで、日本ではスバルやマツダ、かなり昔のホンダなどが近いポジションにあったのだが、近年はどれも好き者の心をがっちり掴むようなモデルがない。これは、自由な時間とお金がある自動車趣味の人の減少と、車が生活必需品である人の増加に合わせたメーカーの「選択と集中」の結果であると見ている。
以前、日本は自動車を所有、運転しなくても生活できる国だった。全国に鉄道網が張り巡らされ、バス路線も充実しており、普段の買い物は最寄りの小さな商店で済ますことができた。しかし、経済成長を経て日本人は郊外の持ち家と自家用車を得たかわりに、鉄道網とバス路線、近所の商店を失った。1960~1970年頃の「3C」(当時先進的な消費生活の象徴だった「クーラー」「カラーテレビ」「自動車」の頭文字をとって作られた言葉)や1980年代の女性ドライバーと2台目の自家用車(セカンドカー)の増加などを牽引してきた世代は今や70歳を超える高齢者である。彼らが「とにかく安く、運転しやすく、燃費の良い」車を求める結果、コンパクトカーとハイブリッドと軽自動車が売れる。また、彼らの息子、娘の世代はどうせ買わなければならないのなら大きくてたくさん載るものがいいとハイトワゴンやミニバンばかりになる。この世代は嗜好品としての車選びの感性は無いが、他人とは差別化したいので、ハイトワゴンやミニバンにゴテゴテとメッキのモールを貼り付けたようなモデルが売れる。そして、そのまた息子や娘の世代は、自動車が必要ない都市部に住む。運転免許を取るつもりもないらしい。
そのうち、「かつて日本には9つも自動車メーカーがあって、世界中に輸出していたんだよ。自動車工場と部品工場が全国にあってね、自動車メーカーの名前をつけた市までできた。今は何も残っていないが・・・」などと自分の孫に話すことになるのかも、と想像している。
Posted at 2019/05/11 23:25:25 | |
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