
という訳で、この土日は地元いわき市へ。
両親が水戸の姉夫婦宅へ避難し、誰もいない実家の様子見と、両親が戻る判断となる水道復活の確認が主な理由だが、前にも書いたとおりアタシも「たまたま今は、いわき以外に住んでいる」と思ってるので、地元の惨状はシッカリ見ておかないと・・・って思いも。
聞いていたとおり、すっかり悪路になった高速に乗り、磐越→常磐道へと入り、当市南端の勿来インターまで。
旧国道で錦~植田を走る分には、とくに被害らしい被害も目にせず、ごく普通の営みに見えてホッとする。
そして植田市内の交差点を右折し、2月のエイト車検事前相談でも通った、火力発電所~小浜方面へと向かう。
その界隈も、テレビで見た岩手や宮城の被災地と変わらぬ、軒並み住宅が押し流された写真を見て気になっていたので・・・
途中から、破壊された邸宅や、まだ道路に残る大量の砂・・・はじめて、この目で見る惨状に息を飲む。
しかし、途中で警察が通行止めにしており、Uターン。
・・・正直、この先の惨状を目にできない事に、少しホッとした。
ここは数年前まで、日本一の面積だった当市の、ほぼ南端。
普通の生活では同じ市とは言え、そう関わりある場所ではなかったが・・・しかし同級生がこちら方面で床屋をしており、転勤までの何年間も散髪の度に、つまらない国道を避けて往復してた道。
それなりに馴染みもあった風景の変貌を、本当はこの目で見たくなど、なかったから・・・
しばし国道を進んでから、小名浜臨海工業団地の方面へ。
エイト仲間の主水さんにより初めて、いわきの惨状を写真で見た所。
あの日から3週間が過ぎ、かなり整理はされてきたようだが、それでも所々に流された貨物や破壊された倉庫、打ち上げられた船もまだ残る。
その足で永崎方面へ。
この辺は住宅地も隣接しており、人の暮らしが打ち壊された風景が、余計に生々しく目に残る・・・
この先、江名・豊間・薄磯・・・伝え聞く限りは、ここからが最も被害が大きく、これまでの道中のように「破壊されたと分かる(=建物の原型が残ってる)」もんじゃない、一面ガレキの山のような写真も見たが・・・
情けないが、もう今までの光景だけでスッカリ気落ちしてしまい、進路を西へとり上記・主水さんのお宅へ・・・
お会いするのも、軽く一年以上ぶりか・・・
互いの無事を喜び、この震災を悲しみ、これからの事とこの国の事を憂い、震災直後の各地の写真を、未公開の分まで見せていただき驚愕しつつ、薄暗くなる頃合いにお別れして、誰もいない実家へ。
前日記のとおり無事に水道が出たのを確認し、まるで以前と変わらぬ一夜を過ごした、帰省初日でした。
続く・・・
Posted at 2011/04/03 23:50:44 | |
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