という訳で、この土日は震災以降、水も燃料も尽きて水戸の姉夫婦宅に避難していた、実家の両親をお迎えに。
ちょうど、いつもの知人も茨城南部の友達と会う約束をしたとの事で、ランデブーでの移動を打診されるも、前夜までの余震つきハード監禁のアオリで寝過ごし、そんな状況を彼も知ってたので、とくに催促もせず先に出発してた模様。
こちらの出掛けに電話をしてみたら、磐越道で小野町まで来たとの事で、おっかけ向かうアタシを、次のパーキングで待ってるというので、慌てて出発。
高速インターに入る交差点で、対向車線のパトカーも後に続いてくる。
どのみち飛ばせない路面だけど、それでも災害制限速報+αに抑えて走ってたら・・・さらに10km以上の速さで、追い抜かれた(笑)
その間際、側面に書いてあったのは、広島県警察の文字。
おおお遠くから来てくれたのね~。
いずれ、待ってたパーキングを出てゆっくり走ってた知人のヴィッツに、いわき市内の常磐道で追いつき、次のパーキングで小休止。
その後、磐越道に比べれば滑らかな常磐道を、そこそこ快調に走るが・・・
でも時おり悪路が現れ、飛びそうに Σ( ̄□ ̄)!
それでも、ちゃんと路面に接地してるのは感じ不安とは思わなかったが、後続の知人ヴィッツは心臓が飛び出るほどビックリしたらしく (^^;)、改めてエイト号のホールディング性能を思い知る。
彼とは水戸インターでお別れし、こちらは渋滞や給油などを乗り越え、14時前に姉夫婦宅に到着。
考えてみりゃ丸々3週間の避難、まして買い物などで余計に荷物が増えたらしく (^_^;)、なんとかトランクと観音様に収めて、全員で食い放題バイキングの店へ。
あまり東北では見かけない店舗だが、種類も多く食いごたえがあって、なかなか♪
姉夫婦と別れて帰路につくが、3名乗車+荷物で重いからか、往路よりひときわ悪路の衝撃が突き上げる。
いわき市内で高速を降り、道中の店がほぼ以前と変わらず開いてる事に喜びつつ、実家到着。
上記の、車に関しては師匠な知人に言わせればマダマダだが、それでも親には「安心できる運転で疲れず帰宅できた」と言われ、それなりに車好きとして運転に拘ってきた事を、嬉しく思う。
何もかも元通りになってる実家に両親も安堵し、アタシも普通の帰省のようにマッタリ過ごせた実家の夜。
- - -
明けて本日、起床後に少し外出。
先週は通らず気付かなかったが、実家近くの道路には結構な地割れが。
写真では分からないけど、対向車は10cm近い段差を乗り越えてる。
そして今回は、四倉方面へ。
2月の車検で訪れた、道の駅よつくらは、やはり壊滅状態・・・
大勢の業者が、昼休みでお弁当を食べてたが、恐らく取り壊しに掛かっているのか・・・
震災数日後、原発へ向かう東京消防庁ハイパーレスキュー隊が集結していた駐車場には、何台もの流された車が集められてる。
そして、先週は途中で通行止めでになってた浜沿い道路を、反対側から。
ホームセンターも、かなりの被害・・・
地元ネタの「時計台」「ブルボン」なんかも、結構なヤラれよう。
民家が並ぶあたりでは、多くの人が後片付けに追われてるのを見て、なんとも不条理な思いが募る・・・
帰路での、かつてのドライブコースでは、土砂崩れによる通行止めがまだ続く・・・
あっという間だったが、もうあれから1ヶ月も経ち、まだまだ影響が根深く残る現実が、なんともやり切れない。
帰宅し、ちょっと遅い昼食は、世の中で一番んまい「家のカレー」。
そのカレーもしこたま積み込んで、夕方転勤先へ。
17時過ぎに到着したら・・・ちょうど昨日ランデブーした知人が、同じ駐車場に停めてるシルビアを洗車しようと暖機してるトコに出くわし、そのままスタンドに拉致された、水戸と実家の旅でした。
Posted at 2011/04/10 23:58:16 | |
トラックバック(0) | 日記