
誰もいない実家で迎えた朝。
あの日から3週間が過ぎ、転勤先での生活は限りなく日常も取り戻しており、自分も世間も今~この先の事が中心って感じだが、転勤先ではとってない新聞の、「あの日」の記事を見つけ、改めて恐怖が蘇ってくる。
ずっと閉め切ってた家の換気やらを済ませ、昼前に実家を後にし、新舞子海岸の方面へ。
沼の内と呼ばれる近辺の、海岸から500mほどの所に元同僚が住んでおり、心配で回ってみるが、家のほうは大丈夫のようでホッとする。
ただ小学生になったくらいの子供がいたはずで、それも心配だったが、近くの看板を見ると海から離れた学校の学区だったようで、それも一安心。
そのまま海へ向かうと、海岸まで2~300mあたりから、路面の砂や路肩のガレキ、中には破壊された家なども現れ・・・
海岸線の道路に出ると、まさに地獄絵図。
一面、砂の積もった路面は、転勤先でも久しい雪が積もった路面のように車体が左右に振られ、油断するとスタックしそうにもなる。
この先は、被害が著しいと聞く薄磯の海水浴場方面だが、道路がグチャグチャで進む事ができない。
でも前日同様、これ以上の悲惨な光景を見ないで済む事に、少し安堵も・・・
一旦、主要道に出てから行くことはできるだろうが、それはせずUターンし北上。
左右を防風林に囲まれた新舞子の海沿い道は、転勤までの何年もの間、そして転勤後も帰省のたびに、ヒマさえあればブラッと訪れたドライブコース。
しかし、やはり大量の砂や多数の段差で、そんな気持ちいい道路の面影は微塵もない。
こちらも、周囲の建物の損壊は激しく、また流されたままの車も。
給油口が開けられ、ガソリンを抜き取られてしまってるのだろうか。
この先・・・ローカルネタだが「時計台」の近辺にも元同僚の家があり、そこまで行ってみようと思ったが・・・いずれ通行止めの柵に阻まれ、その先にはモロに崩れた道路が。
苦労してUターンし、来た道を戻るが、もう結構な時間。
あとは来週、両親が避難から戻るのを見据えて、街の店舗開店状態などを確認に。
街中は、けっこう車が多く進みが悪いが、ちょっと前のテレビでは、いわきの街は人っ子ひとりいないゴーストタウンと称されてただけに、こんな活気が戻ってきたのを嬉しく思いつつ、そのまま高速道方面に向かい、転勤先への帰路につく。
しかしまぁ今回、被害の大きい地元の姿を見て、在住時はもちろん転勤後も何度となく、今は地獄のような各地を訪問してて、そのタイミングで今回のような震災が起き、津波に巻き込まれても不思議はない訳で・・・
そして思えば地震に限らず、まさに震災の前日に書いたのが、「高齢者のAT車がスーパーに突っ込み、いつ自分が被害に遭うかもしれない」ってのだったが・・・
この歳まで生きてきて、初めて「運が悪くて被害に遭う」んじゃなく、無事に今日まで来れたのがラッキーだった・・・しいては「生かされてる」って意味も、実感として思えるようになってきた。
裏を返せば明日・・・いや次の瞬間にすら、何かが起きても不思議じゃないと思うと、今を精一杯生きようとか、ちゃんと身辺を整理しておこうって気にもなってくる、ちょっと色んな意味で重い帰省でした。
【写真】いわき市海岸線の震災被害
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Posted at 2011/04/05 00:01:20 | |
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