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シュワッチのブログ一覧

2011年03月16日 イイね!

インフラ・原発・生きる・・・

あの地震から6日目。
せいぜい数日だろうと思ってた水道や物資の問題が、未だに解決の兆しもなく、ちょっと焦りが出てくる。

しかも今日のニュースでは、福島まで行って放射能を浴びたくないと、物資のトラックが福島入りを拒否しているとか・・・
そんな「兵糧攻め」に遭ってるような気分が、余計に切なくなってくる。

もっとも、そんな我が県の内側でも、住んでる人たちが続々と避難しているとか。
その地に近い人なら まだしも、広大な面積の北側少しだけが「屋内退避地域」にかぶってる、地元いわき市からの自主避難が、かなり激しいらしい。

まぁ目に見えないものだし、テレビの言うことが本当とも思えないし、今は大丈夫だとしても、もし何かあってからじゃ間に合わないんだろうけど、中の人が外に出て行く地域には、そりゃ外から入ってこようとは思わないよなぁ・・・

今日、仕事中で出られなかったが、地元に住む高校の同級生から電話があり、姉さんが住んでるという、ここ郡山に避難したとかで、ガソリン入れられるトコ知ってたら教えてと留守電が入ってた。
そんなにヤバいのかな~と思って心配したが・・・今日あたり県のホムペに載ってる放射線量(?)をチラッと見たら、いわきは郡山の半分しかなかった(笑)

彼は、ここまで避難してきたけど、ここから更に避難する人もいる・・・
まぁ上記の通り現状、かえってコッチのほうが数値が大きいのも思うと、結局ダメな時はドコにいてもダメなんだろうなぁと、割と楽観的になっている。
それにテレビの言うことが100%とは思わないけど、中の人も外の人も、ちょっと過剰になりすぎてる気もするなぁ。

そんなアタシは、まだ今のところは「避難なんて面倒くせぇ」ってのが本心だが(笑)、昨日も書いたとおり「こんな時こそ忙しい仕事」の身、仮に心配になったとしても・・・公式に避難地域にならない限り、ここでの仕事は続く。

まぁ命とどっちが大事だって話にもなろうが・・・この歳になって今の仕事を捨てて、何の縁もない地に行ったとして、それからどうやって生きていけばいいのか。
そんな惨めな生き様・・・むしろ、それはそれで生き続けていけるかも分からない選択をするなら、この地で綺麗さっぱり死んでやる!って気にもなってくる(笑)

実は地元の事業所、昨日はかなり拡大解釈をして、それから今も幹部以外は自宅待機の措置をとり、しかも社員の中には既に遠い地まで避難した者もいるらしいが、まだ避難どころか一部以外は屋内待機にもなっていない現状で、それは職場放棄じゃないのか!と、ここ本社でかなり問題になってるらしい。
外地に避難した中には、仲の良かった同僚もいるが・・・ヘタしたらクビになるような噂も。
最初からクビ覚悟で出てったんなら、そりゃ本人の選択だから致し方ないけどね・・・

でまぁ明日は、当初の予定通りにお泊り勤務。
しかも、こんな状態の時に当夜の責任者として就く事になっており・・・今は放射能より何より、それが一番の心配事です (^^;)
Posted at 2011/03/16 22:14:21 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記
2011年03月15日 イイね!

背に腹は・・・

背に腹は・・・今日の通勤は、やけに車が少なく休日出勤のような雰囲気。
工業団地の方面に向かうルートなのだが、こんな状況では仕事が休みな会社も多いのだろうか。

反面こちらは、こんな時こそ大忙しなのだが・・・あの日以降、情報収集のため職場に設置されたテレビには、原発の爆発やら火災やらの文字が。
そして地元いわき市でも、店じまいして避難すると連絡のあった顧客が多数。

また社内でも、数年前まで在籍してた地元の事業所では、外回りの活動を控えるとの事で、イコール顧客に対し本来のサービスができないって事なので、その説明だけで てんてこまい。
もっとも県内全域の事業所でも、社用車のガソリンが底をつきそうで、あまり変わらぬ状況。

こんな、仕事だけでも張り詰めた状況だが、頭の中では地元のそんな事態に、実家の父母に対する心配も駆け巡り、正直仕事になんか身が入らないのに、次々と押し寄せる業務を否応がなしにこなすうちに、もう頭がおかしくなりそうになり、泣きそうにもなってくる。
そして、どんなに仕事で嫌な事があったって、経験した事のないような胃のキリキリも・・・

僅かな休憩時間に、今は水戸に住む姉に、実家の避難も検討せねば?とメールで打診すると、元ナースの姉いわく・・・それなりの歳の父母に多少の健康被害があったとして、その影響と「寿命」と、どっちが先かって程度と思う、との客観的な意見に、だいぶ心が楽になる。

とりあえず、以降は仕事に専念し、定時+αで退勤。
でまぁ、本来は「あの日」の晩に補充しようと、車内に持ち込んだままだった灯油タンク・・・その後も、もしどっかで仕入れられればと入れっぱなしだったが、もうしばらくは絶望的だと悟り、未だ断水の続く我が家に活用しようと、こっそり社屋外の水道での水補給に活用 (^^;)




まぁ他に、ふさわしい容器を持ってないんでね~・・・ちと灯油くさいのは致し方ないが、今回はトイレ用と割り切って。
ぶっちゃけトイレも、あの日から「溜めっぱなし」だったので (^^;)

ただ原発が、ここまでの事態になると、この転勤先も100%安全なのか分からないが、外は雨の中ずぶ濡れになりながらの補給は、少し心配。
でも、背に腹は代えられないんでね・・・
んで疲れてるのか、帰路の途上では灯油臭いのをすっかり忘れ、「洗濯まで使えるか」と一生懸命に分量を考えたり・・・

そんな午後7時すぎの帰り道は、出勤以上に車が少なく、写真奥の1回は信号待ちする信号まで、1台も他の車と巡り会わず、そこでも疲れからか一瞬「俺、深夜の退勤だったけ?」と、訳が分からなくなったりして。
写真のトンネル上は高速道だが、あの日からずっと暗いままなのも、余計にシンミリした雰囲気を助長する。




そして、この帰路でマーチ号のガソリン針が半分より下に・・・
まぁ、あの日の時点で3/4を切ってたので、まだ暫くは大丈夫だろうが、もしカラカラになっても今の状況が続いたら・・・チャリンコ買っての通勤とかも、考えなきゃならんのか。
11月に「もしやオービスが・・・」と心配して、やはりチャリ購入が頭をよぎったが、今回は余計に気が滅入る理由だ・・・




帰宅後、とりあえず灯油臭い水で溜まったモノを洗い流してマッタリしてたら、そのうち居住地でも地元でも、しばらくゴミ収集が「収集車の燃料がない」って理由で、実施しないとの情報が入り、ますます気が滅入る。
そして昨夜までに比べて寒い今夜は、エアコン暖房だけでは追いつかず、部屋でも外出と変わらぬ着込み。

でも、その後「いつもの知人」が、コンビニを渡り歩いて食料を調達したとかで、こちらにも おすそわけが。
こんな時だからこそ、嬉しくて涙が出そうだ。




10分くらい喋って部屋に戻ったら、直後に結構大きな震度4の地震。
我が県の沖が震源とかで、まだまだ油断はできんな~と思ったら、すぐ直後にテレビから「緊急地震速報」が!
え~もしや今のは序章!?と焦ってテレビを振り返ったら・・・なんと静岡で震度6強とな。

おかげで以降、すっかりテレビじゃ東北の話題は出なくなってしまったが、でも今回の最大震度はアタシの地で経験した以上。
そして、つい半月前の御殿場アウトレット旅で訪問した地名が次々と。

ほんと、日本はどうなってしまうんだろう。
ちょっと前まで、この遠く離れた「別の地震」の地まで遠出して、喜んでたのが遠い昔のように思える・・・
Posted at 2011/03/15 23:49:53 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記
2011年03月14日 イイね!

疲れてきた・・・

疲れてきた・・・昨日の日曜は丸一日休めたが、夕方近くまで寝込んでしまって、慌てて生活物資を求めて外出。

近所でも、こんな積み上げてる塀は、軒並み崩れ落ちており、比較的被害の少ないこの地でも、やはり震災だったのだと伺わせる。

まずは灯油だが、地震直後から渋滞だったスタンドも閉まり、灯油を扱う米屋も「品切れ」の貼り紙が・・・
まぁ寒いのは着込んで我慢すれば・・・と早々に諦める。
今日あたりまでは暖かいから救われるが、明日からは家でも地獄かな・・・

そして食い物を求めてたら、すき屋の看板が点いてるので突撃するも、営業はしてない。
だったら看板も消せよ~。




そして馴染みのスーパーも、市内で営業している所はあると聞いてたが、この地の店は閉店。
しばし駐車場で途方に暮れるが、その間上空には災害派遣で近くの自衛隊への着陸待ちなのか、数機のヘリが何度も旋回している。




はて、どうしようか・・・と彷徨ってたら、近くのトンカツ食堂の看板にも明かりが。
もっとも店内は暗いので、あぁまたか・・・と思ってたら、なにやら店頭で販売してる模様!
すぐさまUターンして駆け込むと、どうやらココも店は断水中だが、会津の店舗からモノを取り寄せて販売してるという。
思えば地震当日の夜から、職場の炊き出しオニギリ1食1個と、家では冷凍食品程度だった身・・・ようやくマトモなメシにありつけて、実にありがたい。




そして週明けの今日・・・
業務インフラも僅かに復旧し、それに伴い「手付かずだった」膨大な仕事量・・・
自分の私生活すら、ままならないまま、仕事も地獄のような状態で、初日の今日から疲れてしまった。

加えて、より揺れる職場ビルだからかもしれないが、昨日に比べて続く大きな余震や、とくに原発の心配・・・
もし最悪の事態になれば、今の転勤先も危ういが、今日は別の原子炉でも建屋が吹っ飛び、原発南方の実家の地域でも「外に出るな」となったそうで、そちらにいる家族の心配もつきまとう。
激務の合間にも、この先どうなってしまうのか・・・と常に、おぼろげな不安を感じて気疲れも絶頂。


退勤後は、やはり食を求めて別ルートで帰宅。
諦め気分で入ったコンビニは、もはや食料に限らず「残ってるモノが少ない」状態。

とりあえず飲み物などを買って退散し、またトンカツ食堂を目指してたら・・・その手前の、時々訪れる弁当屋に明かりが!
いつもはヤクザみたいなオヤジ1人と、客も大抵アタシ1人って事が多いが、さすがに今日は多数の客が入り、店も奥さんらしき人も出ている。

ちょうどゴハンがなくなり、炊かないとあかんって事で、注文だけして1時間後に再来。
ある意味、炊きたてゴハンが魅力だが、前日のトンカツ弁当も1食残してあり、古いほうから消費せなあかんと、泣く泣く今日の炊きたては冷蔵庫へ。




その道中も、自衛隊駐屯地付近では何台もの、「災害派遣」の幕を張ったトラックが往来。




ちょうど基地に向かうトラックの後ろについたが、この「4特」の文字は第4特科連隊ってヤツか。
帰宅後に調べたら、どうやら福岡の部隊らしい。
どうりで、基地へ向かうには不便な道を走ってるなぁと思ったが (^^;)、こうして全国各地から駆けつけてくれるのを知ると、励みになる。




あの日以来フロにも入れず、ヒゲも5mmくらいに伸びてしまったが、今夜は洗面器1杯にも満たない水で、なんとかヒゲ剃り。
まぁフロには入らずとも生きていけるが、週末に向けて洗濯物も溜め込んでいただけに、下着も替えられないのは少し辛い・・・

んな訳で、今日も心休まらないまま、明日に備えて早めに寝ます。
Posted at 2011/03/14 23:18:02 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2011年03月13日 イイね!

自身初の地震災害

自身初の地震災害いま思えば、数日前から宮城県沖で発生し、この地で震度4だった地震と、それに続く余震は、無意識にも不気味な感覚を抱いていた気がする・・・

その日・・・交代で、ひと通り全員が昼飯を食い終わった直後。
余震が続いてる頃合いだっただけに、あ~またか・・・くらいの思いだったが、なんか今までと違う?と感じた瞬間、思いっ切り体が横に揺らされる。
最初こそ、パソコンのモニターが落下しないように押さえていたが、視界には押さえきれないモニターがバタバタと床に落ちていく姿が・・・

いずれ体も支えられなくなり、先に女子社員が潜り込んでた机の隣に入るが、もう女子社員は半泣きで絶叫。
この建物は潰れないように、余計に揺れるんだから大丈夫だよ~♪と笑いながら言ったが・・・そろそろ収まるかと思ったら、また強くなったりと終わらない揺れに、正直アタシも内心は「こりゃダメかも・・・」と覚悟したり、そのくせ「もし無事でも、この先こんな状態で、どう仕事をしなきゃならんのか・・・」と、どのみち苦境に立たされる事を冷静に考えたり。

長い揺れが収まり、机から這い出すと・・・
机はもちろん、重いコピー機すら明後日の方向まで動いており、書棚の扉が外れてファイル類が散乱。
パソコンのモニターは、ひとつも机上に見えず・・・

休憩室との仕切り壁は倒れて、割れたガラスが散乱。
出入り口で倒れてる靴箱をどかしてドアを開けると、廊下には更衣室のロッカーが壁を突き破って飛び出していた。

本来、間断が許されない仕事の部署なのだが、それに必要なデータ通信もストップしてしまい、何から手をつければいいやら、茫然自失。
さらに、そのうち全員屋外に避難の指示が。

おそらく繋がりにくい中、それでも何本か鳴ってる電話を放置し外へ出るが、我が部署は屋内なので冬でも夏制服。
上記の通り、更衣室も足の踏み場がない状態で上着すら取れずに、時おり横殴りの雪が舞う中、地震より凍死の恐れすら感じながら、数十分間を外で。

中に戻り、落ちたモニターを戻してみるが、意外にも壊れたのは1台だけで、割と丈夫なモンなんだ・・・と妙に感心。
もっともデータ通信は一向に復旧する見込みがなく、壊れてなくても役に立たない箱であるが。
その後、何度か大きな余震が来るたびに、外への避難を繰り返す。

数時間後、しばし休憩するのに休憩室へ入ったらテレビが設置されてて、ヘリ空撮による名取市の津波が押し寄せる様子が。
てっきり流されてるのは、両手で運べる発砲スチロールのようなものかと思ってたが、それがアップになると何台もの車だと気づいて、ショックを受ける。
また、遠く関東までも被害が及んでるのも知り、驚愕。

以降、そのうち余震にも慣れ、むしろ疲れ果てた身には眠気を誘う、ゆりかごのようにも感じつつ、我々日勤職は午前2時に解散。
予定では日勤者は全員、土日とも休みのハズだったが、半分ずつ手分けして土曜か日曜を出勤する事に。
土曜となったアタシは、5時間後には起床する事になるので、とっとと帰路につこうとしたら、雪まで積もってるダブルショック。
飯を仕入れようとしたが、はじめてコンビニが閉まってるのを見る。




でも帰路途上の別のコンビニは開いてて、喜んで店内に入るが・・・
ありとあらゆる食べ物は、棚から消えていた。
まぁ職場で、炊き出しのオニギリ数個を食してたので、なんとか当夜は我慢できるかと、ミニストップならではの揚げ物数点のみ購入し退散。




どこも電気は点いてるし、とくに壊れてる箇所も見当たらず、大きな被害はなかったか・・・と思った矢先、橋の付け根が段差になってたり、途上では崩れた塀、そして自宅近くでは、たしか何か建ってたハズのところがペシャンコに。
そして同じく、近くの学校体育館では夜中なのに電気が煌々と点いていて、床面近くの窓からはシートに座る人々の姿が見え、あぁ避難所になってるのかと気づく。






そんな近所の状況に、恐る恐る家に入るが、積んであったマーチのタイヤが崩れ、玄関脇の棚に置いてたゴリラッチが落ち、洗面所の整髪料などが全て洗面台に落ちてた以外、とくに被害らしい被害は見当たらず。
停電した形跡もなく、ホッとしつつシッコを済ましたら・・・水が出ない・・・

できれば、ひとっ風呂くらい浴びたい気分だったが、どのみち翌朝の起床を考えると、そんな時間も惜しいので、とっとと寝床についてテレビを点ける。
・・・初めてマジマジとテレビの情報を見て、想像以上の被害に驚き、わずかな間でも自分の布団で寝られる事に安堵するが、急に恐怖が込み上げてくる。

仕事中は麻痺していた余震の感覚も、ちょっとガタガタくるたびにビクッとして眠れない。
そして4時ごろの揺れで再度テレビを点けたら・・・今度は長野!?
この先、日本はどうなってしまうのかと更に恐怖

結局、正味2時間も寝られたかどうか・・・ってトコで起床し、前夜買った揚げ物のうちメンチカツ1個だけを食い、出勤。
仕事も本来の業務はままならず、電話応対などに終始するが、それがまたひっきりなしで、早々に気疲れ。
その最中、前の日に地元の家族に送った安否確認メールの返信が来て、ようやく家族全員が無事と知り、ホッとする。

そんな昨日は、我々はほとんど通しだった事もあり、定時+1時間ほどで夜勤者に引き継ぎ退勤。
もし断水が続いてたらと思い、職場で支給された飲料水の空きペットボトル3本に、職場では無事な水道水を補給し持ち帰る。
駐車場まで歩いてると、前夜は閉まってたコンビニの看板が点いてるのを見てホッとするが・・・数秒後それが消える瞬間を見てしまう。

一応、他の開いてるコンビニに寄ってみるが、やはり食料は何もなく、缶コーヒーだけを買って退散(この夜は前夜のコンビニ揚げ物の残りと、サトーのゴハンで過ごすことに。そしていま調べたら食糧備蓄は冷凍食品3食分と、昨夏自衛隊広報施設で買ったサバイバル食品くらい)。

家に戻ると・・・まだ水道は出ない。
そして脅威なのが、すでにストーブの灯油がなく、本当は地震当日の退勤時に買おうとしていた事。
当日は、すぐ布団直行だったので問題なかったが、昨夜なじみのスタンドまで行ったら閉店・・・そして他のスタンドに続くであろう道は大渋滞なのを見て、諦めて帰宅し完全防寒装備で一夜を過す。
もっとも疲れたのもあり、早めに就寝し今に至る。


仕事柄、こんな事態だと仕事に忙殺されてしまうが、ようやく私生活に戻ると、被災・・・なんて言葉は本当に被災された方に申し訳なく使えないが、水道(飲料・洗濯・風呂)・寒さ・食料・・・だんだん生活に支障が出てきているのを実感。

記憶の限りでは災害による影響は、この歳になって初めてか・・・
ようやくの休み、それらの対応に忙殺されそうかと思ってたが、ちょっと横になったら夕方になってしまった (>_<)
明日からは、また落ち着くはずもない仕事で忙殺の日々か・・・
マトモに飯を食えるのは・・・風呂に入れるのは・・・暖かい室内でくつろげるのは・・・いつの日か。

そしてテレビで、だんだんと分かってきた情報に・・・直接の被害有無に関わらず、今後の生活は今までと同じって訳にはいかないのかな・・・と、おぼろげな不安もつきまとう休日も、そろそろ終わりです。
Posted at 2011/03/13 17:22:35 | コメント(7) | トラックバック(0) | 日記
2011年03月10日 イイね!

向上する利便性と、反比例する安全性

向上する利便性と、反比例する安全性昨日、県内のスーパーで、車が店内に突っ込むという事故が発生。

いわゆるブレーキとアクセルの踏み間違いで、バックのまま店内に数十メートルも入り込んだとか。
ケガ人も出たというが、アタシも同系列の店舗を利用し、レイアウトも同じだったので、あそこまで車が突撃したのかと思うと、死者が出なかったのが幸いとも思う。

でまぁ、自分がMT車に乗ってるからって訳じゃないが、正直AT車ゆえの惨事だったと思わざるを得ない。
とくに今回は、高齢な方が運転していたようだが、老若男女問わず誰でもミスはするもの。
その際、MTなら動力が遮断される確率が高いだろうが、ATはグイグイと進むばかり。
その違い、危険性の差は結構大きなものじゃないだろうか。

アタシ自身、唯一のAT車歴であった90系チェイサー。
とくに目だった事故・故障はなかったが、ただ一度だけ・・・友人宅の壁に激突した事が!
バンパーは壁の塗装が付いただけだったが、壁には15cmほどの穴が (^^;)
親御さんには、「あ~いいよいいよ、それより車は大丈夫?」と言ってもらえたのが救いだったが、もし後ろに人がいたら・・・もしもっと勢いがあったら・・・と思うと未だにゾッとする。

こん時は踏み間違いではなかったけど、友人宅の駐車場は傾斜してて、少し勢いつけないとバックできない状況。
MTならアクセル以外に、クラッチ切ったりの微妙な調整ができるけど、ATじゃそのへんの加減が難しくて、つい勢いが・・・
ぶっちゃけMTだったら、こんなコトには・・・と真っ先に思ったり (^^;)

まぁMTでもね・・・昔、社用車でバックするときに、雨に濡れた靴でクラッチを踏み外してドカンと繋がって、後ろの社用車とバンパー同士が当たった事もあるので (^^;)、一概にどっちが安全とは言いがたいけど、「この先」まで考えた場合、こん時はエンジンがエンストして車は動かない状態だったからね~。

ま、どっちがイイとか悪いとか言うつもりはないけど、まだATなんて無かった時代から車を乗り続けてきた御老人には、今でも「MTじゃないと怖い」って人も多いと聞く。
あるいは今回の当事者も、本当はMTのほうがいいのに、「売ってないから嫌々」ATに乗ってたのかもしれない。

もはや一部のスキモノ車以外、すっかり絶滅危惧種なMT車だが・・・
よく行くのと同じ造りのスーパー・AT車だらけの周囲・増える高齢ドライバー・・・
いつ自分が、こんな被害に遭ってもおかしくない、他人事じゃないと思うとゾッとする。

メーカーは売れ行きを考えると、「売れない車」に余計なコストを掛けられないのは当然だけど、でも世の中の安全のためにも、昔の人が「昔乗ってたのと同じ造りのモノ」を買える選択肢を残すのは、メーカーの責務ではなかろうか。
Posted at 2011/03/10 23:49:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「職場で使った冷却ベストは、かねてから真夏のオープンにも有効かなと思ってたが、実際に手に取ると背中に冷水を入れるタンクがあるのね…
こりゃバイクには良さそうだけど、車の椅子にゃ座れんなと悟りながらの、真夏のオープン退勤でした(^^;)」
何シテル?   07/20 22:59
★R2.3~R3.2埼玉移住してました。 みんカラ暦13年で、同じく新車から13年乗ったRX-8を19万km近くで…さらに2ndカーで10万km近くのを2...

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