今月は
東京転勤から戻って3年が経ってたが…
前の震災ブログでも触れたとおり、8年住んだ県内・郡山市から戻ってからも、10年の節目だった。
…10年だって~、信じらんねぇ(;´д`)
その震災も郡山で遭い、
地元に戻ったのも震災日に近い3/9。
そもそも戻る理由も震災に起因するものであったのも、10年って節目で例年以上に思いが馳せた理由の一つ。
その郡山へ転勤したのは2006年、まだ30代だったか。
…えっ確かに計算上そうだけど改めて振り返ると、もう
赴いてからは18年ですと!?(((( ;゚д゚)))
サラリーマン形態にも色々あろうけど元々が地元志向で、一生どこにも行かず骨を埋めたいと思っており、転勤なんてのも自社じゃ基本は県内のみとはいえ、社風的にもエラい管理職くらいで自分にゃ無縁と思ってたので、
すんごい嫌でねぇ(^^;)
いざ転勤してみると地域以上に、同じ職種ながら仕事量も内容も、転勤先の(仕事に対する)人間性もナカナカ馴染めず、その期間だけは辞表を引き出しに、ずっと忍ばせてたっけ。
そんでも仕事を離れれば同僚からは、ほぼ初見の頃から良くしてもらったり、私生活でも元から当地居住のクルマ仲間もいて、当初から相手してもらってたのが救いだった。
また気候も、地元がハワイと称されるだけあり夏も冬も穏やかなので、なかなか慣れなかったなぁ。
冬は明らかに寒いし、地元じゃ年に一回も降れば大騒ぎな雪が、常にそれ以上降るのがデフォだし(^^;)
そんでも意外な事に冬の寒さや雪は、2年目以降は
当然のように馴染んだけど、むしろ
夏の蒸し暑さは最後まで慣れなかった(笑)
そして雪道を走るのも慣れてなく心配してたのが、とくに雪用マーチを仕入れた2年目以降は、面白くてねぇ(≧∀≦)
気づけば、わざわざ雪深い所まで走りに行ったり(笑)
動けなくなり困ったのは、ほぼ出入りのない駐車場でワダチから逸れ、積もった部分に
入り込んでしまった時と、当地を離れる直前の
在住中で一番の大雪だった、2回くらいかな(;´▽`A``
そんな、かの地は県内一の都市部だけあり
街は地元よりも栄えてたが、むしろクルマ好きには発展場を離れると、無数の田舎道が張り巡らされてるのが魅力。
地元は東が海でドン詰まりってのもあるかもだが、あるいは地形の関係もあるのか、「道の数」が明らかに違ったかな。
1人暮らしで好き勝手できた環境なのもあるが(^^;)、休みのたびにアチコチ走り回ったり、とくに自宅から10数分の「テストコース」と呼称してたお気に入りの道へは、チョットでも時間があれば仕事からの帰宅後でも通勤とは別の車に乗り換え、そこを往復するためだけに繰り出してた(笑)
ついでに言えば仕事帰りも、わざわざ遠回りでソッチを周り、時には
ストリートビューに激写もされたが(笑)
そこまでの道中も含め、ずっと同じ道を楽しむレベルで、しかしシャカリキにブッ飛ばす程でもなく余裕のある程度で、高頻度で走ってたのが運転も上達というか、無意識にも昨日より今日「こう走ってみたほうがスムーズ」と頻繁に繰り返してるうちに、昔からドラテク本で理解してたつもりだった事が、気づけば「こういう事だったのか!」と
実体験してたのが、地理的にも環境的にも地元より圧倒的な収穫に。
雪道の恒常的な走行も含め、ここで身についた技術や知識は、以降のカーライフや趣向にも大きく影響したかな。
クルマ趣味には、じつにいい地域でした。
そして位置的にも、やっぱ県の真ん中だけあって、右下にある地元よりもアチコチに行きやすかったのも実感。
とくに実感できた栃木や仙台あたりへの遠出のしやすさや、県内でも地元にいたままじゃ行くのも大変というか、そこまでして行こうとも思わなかった各所に(笑)、ブラリと足を延ばせたのも良い思い出。
そんな交通の要衝ってのも、あるイミ東北のシカゴと呼ばれたように、好ましくない方面でも発展してしまったのかな(^^;)
そんな郡山市は、まごうことなく第二の故郷と認識してるが、っても気分でフラッと行けるような距離ではなく、現実的には用がなければ頻繁には足が向かないか…
とりあえずは知人がいるのと、ロドを購入/車検もお願いしているOH!さんのショップもあり、かろうじて少なくても年イチ以上は伺ってる感じ。
時は流れての東京転勤も刺激的だったが、まぁそれは系列とはいえ「別会社」への出向。
それよりは自社内の県内各地への転勤のほうが、まだ可能性はあるし、最近も別件で書いたけど元気なうちに、もう一回くらい別天地で暮らしてもいいかな…とは、改めて思うことにも。
…ただ、あの時と同じ仕事だけは、死んでもやりたくないな(^^;)
Posted at 2024/03/17 21:37:07 | |
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