
かねてより病気療養中だった父が先般亡くなり、本日無事に葬儀を終えて送り出す事ができました。
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近年、すっかり弱り果てており、色んな手術もしてきたが1年ちょっと前に、けいれんを起こして救急搬送。
意識も戻らず、思えばこの時点で一旦は覚悟し、慌てて着れる喪服を探したりしていたが(^^;)、治療の甲斐あり意識は回復。
しかし体は動かず会話もできず、以降介護施設に転所した末の今回。
実は亡くなる丸一週間前にも、呼吸が止まり意識がなくなったとの事で、数日が山との連絡が。
この時は投薬により、一旦は持ち直したようだったが、亡くなる前日にもいつ呼吸が止まってもおかしくないと連絡があり、結局…
ただまぁ長い目では1年以上、とくにこの1週間で覚悟も決まっていたので、なんか冷静に受け止めていたかな。
また現実的な話では、頭数が揃う必要がある業務において、1週間前の時点でアタシの出勤を他の者に割り振りするシミュレートを済ませ、また定年再雇用で残っていた者が今月いっぱいで出勤が終わり、来月からは欠員になり休むのもままならなくなるので、そんな意味では余計な事に翻弄されずに送り出せるタイミングだったのは、よかったのかな。
亡くなった当日も朝晩通しの仕事中だったが、その日の分も既に代務の分担は決めてあったので、すぐに割り当てていた者を呼び出して、仕事を代わってもらって駆け付けられた。
眠るように息を引き取り、安らかな顔だったのが救いではあった。
むしろ悲しみよりも、続柄は次男だが実家に残るのがアタシだけなので、アタシが喪主という大役をする事に、もうドギマギ。
それでも施設から搬送した葬儀屋さんは、その場で単に家から近いというだけで選択したが、打ち合わせから詳しく教えてくれて、また我が家は神式なので手間も少ないのは、よかったところか。
翌日は県外から姉と兄も家に駆け付けて、家族総出で葬儀屋さんへ出向いて打ち合わせ。
この点も、助けてくれる人が多くて助かった。
打ち合わせ後は、高級トンカツ店で昼食。
まぁ父も、こう言っては何だが終盤は生かされ続けた末の大往生に近い感じで、やっとラクになったんじゃないかな、というのが我らの想い。
もう、こうして家族で揃うのも珍しい事もあり、兄の携帯で店員さんに撮ってもらっての記念撮影は、みんな笑顔(笑)
そうして直接的な準備は済ませ当日を待つだけだが、っても決して準備万端ではないのだろうけど、翌日からは目に見えるようなやる事もなくて落ちつかず、さすがに意気揚々と出歩くわけにはいかないが(^^;)、ネットで「喪主 やること」を検索して読む合間に、溜まってたブログも書き上げたり(笑)
そして迎えた通夜の日。
あまり今まで聞いた事なかったけど、まず真っ先に火葬をするって事で昼頃に遺族・親族で集合。
入口には様々な写真が飾られており…
式場も、立派に飾り付けて頂いた。
こんな機会でなければ、なかなか顔を合わせる事もなくなった親族とも挨拶し、宮司さんによる火葬前の式を終えて、レクサスの霊柩車へ。
皆はマイクロバスだが、喪主のアタシ1人だけレクサス助手席で移動。
火葬終了まで1時間半ほど。
それまで休憩室で、皆して軽い食事をしながら歓談。
岩手に住む兄貴の長男は、最近まで涙目インプに乗ってたようだが今月、真っ赤な先代86に乗り換えたばかりという事で、写真も見せてもらった。
アタマ文字Dの後釜漫画と同じなんだと、自分の父親に意気揚々と語ってたようだが(笑)、ん~兄の息子たちは数える程しかコッチに来たことなかったけど、もう20年くらい前だったのかな、まだ幼なかった頃の長男をRX-8に乗せてあげたのを鮮烈に覚えていたようで、それが自分もクルマ好きになった事に少なからず影響を受けたとかで、嬉しいやら申し訳ないやら(^^;)
※9年前アコードに乗り換えた直後の、兄貴絡みの葬式に行った際も、
そんな事を書いてた(^^;)
そうして火葬が終わったが…
先程までの安らかな寝顔が、変わり果てた姿になったのが、この一連で最もグッと込み上げてきましたな。
葬祭場に戻り、通夜は18時からだが夕刻には弔問者が来るかもって事で、我ら遺族は会場入り。
程なくいらした方は、火葬前に顔を見たいからと早めにいらしたらしく、すでに終了してると知ると涙が込み上げてきていた。
ふむ…アタシ自身、良くも悪くも今まで冠婚葬祭に絡む経験が乏しく、それゆえ無知でもあったが、先に火葬を済ますというのも今はそうなのか?と感じていたが、やはり主流ではなかったのかな。
定刻からの通夜は滞りなく終了し、程よい時間で解散。
そして本日の葬儀は、定刻の1時間半前に会場入り。
しばし休憩室で歓談後、約1時間前からは会場入りして参列者の対応などをし、定刻から1時間少々の式を滞りなく終了。
式の終盤の、遺族代表の挨拶がアタシの最も緊張する場面だったが、それでも例文は斎場から渡され、それを読みながらで構わないという事で…
元来、たぶん人並み以上に人前で話すのは緊張する性分だが、それでもとくに車クラブの自己紹介や時には案内などで、多少は人前で喋るのも慣れたりしたであろう事や…
文章の合間に入れろという故人のエピソードなどは、普段こんな駄文を書き連ねてる事が下地になってるのだろう、兄弟をして泣けてきたと言わしめる程度には、良い文章を作れたのかな。
まぁ我ながら及第点と判断できるくらいには、挨拶できたんじゃないかなと思うが、それもクルマ活動やみんカラも礎になっているのを感じ、無駄な事をしてきた訳ではなかったかなと実感。
その後はマイクロバスで墓まで移動し納骨。
戻ってからの精進揚げは、コロナ以降は弁当の持ち帰りのみという事で、最後の挨拶をして終了という流れ。
東京から電車で来た、姉の子供夫婦と孫たちは、人数分の弁当を持って帰る訳にもいかないので、我が家に寄って昼食会。
…とくに下の孫は式の最中から元気で(^^;)、我が家でも大騒ぎの昼食会だったが(笑)、その最中にも葬祭場から祭壇の組み付けにいらしたりして、アタシは弁当1つを1時間ほどかけて食べ上げた感じ。
そうして、とりあえず一段落した父の葬儀。
…上記の通り社会人としては、この手には疎いまま生きてきたので、どうなる事かとは思ったけど周囲のサポートもあり、なんとかこなせました。
これまでの疲れもドッと出てきたけど、なんとか7日間の忌引きも最終日に間に合って今日で終了。
明日から社会復帰します。
※まぁ大往生で送りだせた事でもありますので、イイネはご遠慮なく付けて下さいまし( ̄∇ ̄)