
1961(昭和36)年という年は、後に文学青年となった私は二つの事件で注目することになります。一つ目は『風流夢譚事件(嶋中事件)』です。「風流無譚」は深沢七郎の短編小説ですが、その中での皇室の描かれ方が不敬だと言い、右翼の少年が中央公論社の嶋中鵬二社長宅で起こした言論抑圧を目的としたテロ事件です。家政婦が死亡するという痛ましい事件でした。安保闘争で左翼運動が高まった反動でしょうか、右翼の活動も活発化していました。前年には浅沼稲次郎暗殺事件もありました。
二つ目は『「宴のあと」事件』です。「宴のあと」は三島由紀夫が東京都知事候補の有田八郎をモデルにした長編小説です。モデルとされた有田八郎がプライバシーを侵害するであるとして三島由紀夫と出版社である新潮社を訴えた事件です。「プライバシー」と「表現の自由」が日本で初めて裁判所で争われた事件でした。現在でも難しい問題ですね。
この年のヒット曲を調べてみると、石原裕次郎&牧村旬子「銀座の恋の物語」、坂本九「上を向いて歩こう」、村田英雄「王将」、西田佐知子「
コーヒー・ルンバ」、渡辺マリ「東京ドドンパ娘」、アイ・ジョージ「硝子のジョニー」、小林旭「北帰行」、仲宗根美樹「川は流れる」などがあります。
右翼と左翼の反目といった重苦しい日本の社会でしたが、そればかりではありません。こんな歌が庶民に愛されるようになっていったのです。
「スーダラ節」(作詞:青島幸男 作曲:萩原哲晶)は、1961(昭和36)年8月20日に発売されたハナ肇とクレージーキャッツの実質的なデビュー曲です。この年の6月に『シャボン玉ホリデー』の放映が始まりました。ザ・ピーナッツがメインの番組でしたが、それを周りで支えていたのがクレージーキャッツでした。コミックバンドとして定評があった彼らがテレビに登場すると人気を博すようになりました。さらに映画に出演し、そこで歌われた「スーダラ節/こりゃシャクだった」「ドント節/五万節」「無責任一代男/ハイそれまでョ」が大ヒットするのでした。私が映画館で見た最初の映画が『クレージー黄金作戦』でした。大笑いしてみていた記憶があります。
ハナ肇、植木等、谷啓、犬塚弘、安田伸、石橋エータロー、桜井センリ、個性的なメンバーでした。現在では犬塚弘さんだけがご存命です。88歳だそうです。いつまでもお元気でいてほしいですね。
Posted at 2017/11/26 18:14:06 | |
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流行歌研究会 | 音楽/映画/テレビ