
この1年、自分がやりたいことをやろうと思って過ごしてきたつもりですが、何もかもが中途半端でこれをやったと胸を張って言えることは何もありません。
温泉巡りは近場のスーパー銭湯的なところが多くなってしまいました。それでもいくつかの温泉宿に宿泊しました。4月には「
伊香保温泉 雨情の湯 森秋旅館」に泊まり日本の名湯を満喫しました。11月には「
嵐山温泉 嵐山辨慶」に泊まりました。嵐山観光も良い思い出です。11月の後半にはバス旅行で和倉温泉にも行くことができました。「
虹と海」に泊まり「
加賀屋」の風呂に浸かることもできました。正月は「
伊香保温泉 ホテル天坊」で迎えました。それから11月から月1で「
杖温泉 弘法湯」に行っています。「
石和温泉 旅館笛吹川」にも泊まりました。来年度は東北や九州の温泉巡りをしたいなと思っています。
読書は月一冊も読んでいません。図書館にもあまり行っていません。これでは元国語教師なんて恥ずかしくて言えませんね。
音楽は車の中で聞いたりYouTubeでいろいろ検索しているくらいです。音楽ブログも思ったようにアップできません。ギターなんですが、実はこの1年触ることはありませんでした。
「七万五千円の右手」(作詞/作曲:吉田拓郎)は、1972(昭和47)年に発売されたアルバム『たくろう オン・ステージ第二集』に収録されています。エレックレコードが拓郎に無許可で発売したという曰く付きのアルバムです。そのせいかCD化されていません。もちろん私はレコードを持っていますので家で聴くことができます。このブログでは「
準ちゃんが吉田拓郎に与えた偉大なる影響」「
静」「
大きな夜」「
恋の歌」を紹介しています。
この曲は好きな曲で当時弾き語りをしたりしたのですが、ずっと不思議に思っていたことがあります。レコードの中でのMCでは「右手」と紹介しているのですが、アルバムでは「七万五千円の右手」という題名となっています。最近ネットであらためて調べると「七万五千円」という金額は、当時まだ在学していた広島商科大学の学費のことのようです。レコードを引っ張り出して解説を見るとそのように書いてあります。なるほどと思ったのですが、その他にも当時拓郎が使用していたギターの値段、エレックレコードの給料の額だとかの説もあるらしいです。真相は拓郎にしかわかりませんね。それから歌詞が原曲とライブとでは違うらしいのです。確かに出だしの歌詞には違和感を持っていました。
そうそう、私がギターを弾かなかった理由でしたね。実は去年の3月から右腕がおかしかったのです。50肩(60肩?)です。そのうち良くなるだろうと思っていたのですがなかなか回復しません。それどころか右手がだんだんとこわばってきたのです。ついには拳が握れなくなりました。一番酷い時には中指がばね指になってしまいました。車の運転や日常生活には支障がなかったのですが、流石にギターを弾く気にはなれなかったのです。マッサージや温泉治療をしました。ハンドグリップでトレーニングしたりもしました。最近は9割くらいまで回復したので、そろそろリハビリも兼ねてギターを弾こうかなと思い始めたところです。ストロークは大丈夫そうですが、スリーフィンガーは無理かもしれません。
Posted at 2019/03/26 21:30:03 | |
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