
今回は1975(昭和50)年です。巷ではさくらと一郎の「昭和枯れすゝき」が流れていました。淋しい年だったんですね。私はというと受験生として暗く淋しい生活を送っていました。
この年のスポーツ界を調べてみると、読売ジャイアンツが球団史上初の最下位となっています。前年に引退した長嶋茂雄が監督となったのですが、巨人ファンとしては屈辱の年でした。セリーグは広島東洋カープが初優勝しました。赤ヘル旋風と言われましたね。日本シリーズを制したのは阪急ブレーブスでした。山口高志という剛速球投手がいました。
大相撲では贔屓にしていた貴ノ花が2回優勝しています。嬉しかったですね。特に初優勝がかかった北の湖との優勝決定戦での取り組みには興奮しました。
私の中で音楽との関わりが変化した年でもありました。歌謡曲やアイドルは好きでしたが、フォークソングの比重がより高まりました。ヒット曲もバンバン「
『いちご白書』をもう一度」、風「22才の別れ」、クラフト「
僕にまかせてください」、小坂恭子「想い出まくら」、中村雅俊「いつか街で会ったなら」、かまやつひろし「
我が良き友よ」、イルカ「なごり雪」、チューリップ「
サボテンの花」、山田パンダ「
風の街」、甲斐バンド「裏切りの街角」、太田裕美「雨だれ」といったフォーク系の曲が多かったですね。みゆき姐さんの「アザミ嬢のララバイ」「
時代」、そしてユーミンの「
ルージュの伝言」「
あの日にかえりたい」もこの年でした。レコード大賞も小椋佳の楽曲である布施明の「
シクラメンのかほり」でした。
しかし、これらのレコードはほとんど買いませんでした。レコードはシングルよりもLPを買うようになっていました。この年には井上陽水の『氷の世界』の売り上げ枚数が100万枚を超えるという衝撃的な出来事がありました。売り上げベスト5は、1位『氷の世界』、2位も陽水の『二色の独楽』、3位は小椋佳の『彷徨』、4位はよしだたくろうの『今はまだ人生を語らず』、5位はかぐや姫の『かぐや姫LIVE』でした。全てがフォークです。もちろん全部買いました。フォークの勢いは止まらず、6月には小室等・吉田拓郎・井上陽水・泉谷しげるが「フォーライフ・レコード」を設立しました。そして8月には伝説となった「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋」が開催されます。行きたかったなぁ…。
歌を聴く媒体も変わりました。それまではテレビで『ロッテ 歌のアルバム』『紅白歌のベストテン』『ベスト30歌謡曲』『夜のヒットスタジオ』といった歌番組を観ていたのですが、受験生ということもあってラジオの深夜放送になったのです。一番印象に残っているのが谷村新司の『セイ!ヤング』でした。
「今はもうだれも」(作詞/作曲:佐竹俊郎)は、1975年9月5日に発売されたアリスの7枚目のシングルです。当たり前ですが番組の冒頭では毎週のようにこの曲が流れてきました。この曲のヒットからアリスの快進撃が始まるのです。「帰らざる日々」「遠くで汽笛を聞きながら」「さらば青春の時」「冬の稲妻」「涙の誓い」「ジョニーの子守唄」「チャンピオン」「夢去りし街角」、私の学生時代と重なります。『天才・秀才・バカ』を笑いをこらえながら聴いていたのですが、受験はなんとか乗り切ることができたのです。
この曲はアリスの初めてのヒット曲なのですが、実は1969(昭和44)年にリリースされたウッディ・ウーのカヴァーなんです。その頃はそんなことは全く知りませんでした。
このシリーズは今回でとりあえず終了です。音楽ブログはまた通常に戻ります。
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Posted at
2017/12/14 20:07:17