
万葉集講座の時間です。万葉集の講座なのに前回は日本語論のようなことになってしまいました。万葉集に戻りたいと思います。
万葉集とは何でしょうか。教科書等に書かれている一般的な説明はこうです。成立は奈良時代末期で現存する最古の和歌集です。当時はまだ仮名はなくすべて漢字で書かれています。とくに漢字の音を借りたものを万葉仮名と言います。これが後の仮名の誕生となっていきます。万葉集には当時の支配階級である天皇や貴族から庶民まで幅広い人々の歌が収められています。誰が作ったかははっきりしませんが大伴家持という人が最終的には関わっていたようです。
万葉集の意味
万葉集という作品名について考えてみましょう。「集」は簡単ですね。和歌を集めたものという意味です。問題は「万葉」です。これはどういう意味でしょう。ここまでの講座を学んできた人にはもう答えはわかりますよね。わからない人は「
日本語には3つの文字」の講座をもう一度勉強しましょう。紀貫之先生が教えてくれます。
そうです、仮名序の冒頭にありますね。「万の言の葉」まさしく万葉です。多くの言葉で作られた和歌が集められたものという意味です。学問的には異論もあるようですが、私はこれが正しいと思っています。
和歌と短歌
皆さんは和歌と短歌の違いがわかるでしょうか。ほとんど同じに考えている人いるのではないでしょうか。もちろん違います。和歌の「和」とは何でしょうか。短歌の「短」とはなんでしょうか。これがわかれば別物だと言うことが理解できます。
現代で「和」が一番分かりやすいのは和食の「和」ですね。「和」とは「日本の」という意味です。和食の対義語は洋食ですね。それでは和歌の対義語は何でしょうか。知っているようで知らない人もいるのではないでしょうか。答えは漢詩です。日本の歌に対して中国の詩と言うことですね。
それでは短歌の対義語は何でしょうか。「短」の反対語は「長」だから長歌だと考えるのが普通ですよね。その通りです。短歌の対義語は長歌なのです。長歌を知っていますか?
短歌は日本古来からの伝統的な歌体です。万葉集から現代にいたるまで日本人に好まれています。新聞の短歌欄は今でも人気ですよね。ですから現在では和歌イコール短歌と考えるのも当然です。ところが和歌と短歌は厳密には違います。
短歌とは何か
短歌が五・七・五・七・七というのは誰でも知っていますね。でも万葉集にはそれ以外の形式の歌もあったのです。ここでは万葉集を代表する歌人、柿本人麻呂の和歌を紹介します。
石見の海 角の浦廻を 浦なしと 人こそ見らめ 潟なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚取り 海辺を指して 和田津の 荒礒の上に か青なる 玉藻沖つ藻 朝羽振る 風こそ寄せめ 夕羽振る 波こそ来寄れ 波のむた か寄りかく寄り 玉藻なす 寄り寝し妹を 露霜の 置きてし来れば この道の 八十隈ごとに 万たび かへり見すれど いや遠に 里は離りぬ いや高に 山も越え来ぬ 夏草の 思ひ萎へて 偲ふらむ 妹が門見む 靡けこの山
これが長歌です。五七が繰り返され、最後が七で終わります。和歌と言うより文章ですね。次はどうでしょう。
新室を踏み静む子が手玉鳴らすも玉のごと照らせる公を内にと申せ
見ただけでは短歌に見えますね。でもよくよくみると五七七五七七となっていますね。短歌ではないのです。旋頭歌(せどうか)と言います。
万葉集には一首だけですがこんな和歌もあります。ちなみにこれは人麻呂さんのものではありません。
弥彦神の麓に今日らもか鹿の伏すらむ皮衣着て角つきながら
ちょっとわかりづらいのですが、文字を数えながら読むと五・七・五・七・七・七となっています。これを仏足石歌体(ぶっそくせきかたい)と言います。
これで和歌と短歌の違いがわかりましたよね。和歌は日本の歌という意味ですが、短歌はその中の一部だったのです。長歌、旋頭歌、仏足石歌は平安時代になるとほとんど作られなくなり、短歌だけが詠まれるようになりました。そこでいつしか和歌イコール短歌と考えられるようになってしまったのです。
歌とは何か
和歌と短歌の違いはわかりましたね。では「歌」の意味はわかりますか?これは難しく考える必要はありません。歌は歌です。私は歌を聴くのも歌うのも大好きです。人間誰しも歌が好きなんだと思います。昔の人も悲しい時や楽しい時に歌を歌ったはずです。最初は「ああ…」とかの短い言葉だったのかもしれません。そのうちにその感情を多くの人に伝えたいと思うようになりました。だんだんと言葉が長くなり、リズムやメロディを付けるようになりました。言葉も音楽に合わせやすくするてめに五七調となりました。それは即興で作られその場で歌われたわけですが、その中でも多くの人を感動させた歌を残したいと思うようになりました。ところが日本には文字がありませんでした。ですから好きな歌は憶えたんでしょうね。今で言う暗唱ですね。みんなで声を合わせて歌っていたのかもしれません。今では万葉人がどんなリズムや旋律で歌っていたのかは残念ながらわかっていません。
今まで勉強してきたように、漢字という文字が輸入され万葉仮名が発明されると書き残すことが可能になりました。人気の和歌を書き記したもの、それが万葉集だったのです。さらにひらがなが普及することによって和歌を記録することはより簡単になりました。我々は現在万葉集や古今集の和歌を文字として読みます。しかし、和歌は歌なのです。そう思って鑑賞したいものですね。
次回は万葉集講座の最後となります。私の好きな和歌の紹介となります。
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Posted at
2019/06/03 08:38:49