
ロックにおける日本語論争というのがあったことは本などを読んで知っていました。簡単に言うと内田裕也とはっぴえんどの細野晴臣・松本隆の論争でロックは日本語で歌うべきか、英語で歌うべきかというものです。私が知ったときは論争そのものが尻つぼみになっていました。そもそも論争なんて無かったという人もいるくらいです。
日本語のふぉーくとろっくのコンサートについては知りませんでした。1970年9月16日に第一回が開催され73年までに五回行われています。会場は日比谷野外音楽堂でした、通称『野音』ですね。伝説のコンサートが数多く行われていますが、私が一番想い出に残っているのは1977年に開催されたキャンディーズのコンサートです。「私たち、9月で解散します」と解散宣言をしたあのコンサートです。といっても野音のコンサートは行ったことがありません。あっ!一度だけ野音に行きました。残念ながらコンサートではなく組合の大会です。主催者の話などほとんど聞かず、ここでキャンディーズや拓郎がコンサートをしたのだなと感慨にふけっていました。
「ほんとだよ」(作詞/作曲:遠藤賢司)は、1969(昭和44)年に発売された遠藤賢司のデビュー曲です。遠藤賢司の名前を知ったのは2枚目のシングル「
カレーライス」からです。中学校の時には知っていました。でも本当に知ったと言えるのは学生時代にバンド仲間から『niyago』『満足できるかな』といったアルバムを借りて聴いてからです。「ほんとだよ」もそこで聴いた気がします。
エンケンの歌は「カレーライス」の印象が強いのでフォークの王道だと思っていたのですが
「夜汽車のブルース」や「東京ワッショイ」を聴いたときには衝撃でした。『日本語のふぉーくとろっくのコンサート』5回全部に出演しているのは頭脳警察と遠藤賢司だけです。エンケンはフォーク歌手でありロック歌手でもあったのです。
エンケンは多くのミュージシャンとの交流がありました。ロックからもフォークからも認められていました。はっぴいえんどは、その前身のヴァレンタイン・ブルー時代に遠藤のバックを務めていましたし、拓郎のアルバム「人間なんて」の中の「たくろうチャン」ではブルースハープを吹いています。
パワフルに活動を続けてきたエンケンでしたが、2017年10月25日に亡くなってしまいました。もう4年半が経つのですね。
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流行歌研究会 | 音楽/映画/テレビ
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2022/04/21 22:12:47