
高校時代は深夜放送に夢中になっていました。「オールナイトニッポン」や「セイ!ヤング」「パックインミュージック」などがあったのですが、私は「セイ!ヤング」を主に聴いていました。パーソナリティでは何と言っても谷村新司です。ばんばんとの『天才・秀才・バカ』には大笑いさせられました。
『パックインミュージック』はあまり聞きませんでしたが、名物パーソナリティである林美雄さんの名前は知っていました。『フォークソングの東京』を読んであらためて素晴らしいアナウンサーであることを知りました。林さんはパックの中でまだ無名だったユーミンを紹介したのです。さらに石川セリや山崎ハコも林さんによってメジャーになったのでした。
石川セリといえば井上陽水の奥さんです。お二人が知り合ったのは石川セリと荒井由実が出演している番組に吉田拓郎と井上陽水が乱入したことがきっかけですが、それが林美雄パックだったのですね。
「空と海の輝きに向けて」(作詞/作曲:荒井由実)は、1972(昭和47)年に発売された荒井由実のデビュー曲「
返事はいらない」のB面です。このシングルは全く売れませんでした。300枚とも800枚ともいわれていて、その大半はプロデュースを担当したムッシュかまやつさんが購入したそうです。そんな無名の荒井由実を「天才」「八王子の歌姫」と絶賛しラジオでレコードをかけ続けたのが林美雄さんだったのです。ユーミンという愛称も林さんが広めたのです。
1974年8月25日に『サマークリスマス』というイベントが開かれました。林美雄さんの誕生日を祝う会であり、そしてお別れ会でもありました。8月いっぱいで林美雄パックの終了が決まっていたからです。そこで石川セリは「
八月の濡れた砂」をユーミンは「ベルベット・イースター」を歌ったそうです。
この辺の事情は高校生だった私は知りませんでした。私がユーミンを知るようになったのは「
ルージュの伝言」からです。学生時代にはユーミンのアルバムを全身に浴びるほど聴いていたものです。
ユーミンは8月30日の放送最終日に林さんのために作った「
旅立つ秋」を届けています。その後林美雄パックは復活して山崎ハコやタモリを育て上げています。そしてユーミンの結婚式の司会を務めたりしました。
林美雄さんは2002年に58歳で亡くなりました。『サマークリスマス~林美雄フォーエバー』という追悼セレモニーが開催され、多くの映画関係者、俳優、歌手が参列したそうです。ユーミンはそこで追悼歌「
旅ゆく秋」を捧げたのです。
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流行歌研究会 | 音楽/映画/テレビ
Posted at
2022/06/02 07:12:17