
清志郎が死んだ。
私がRCサクセションを初めて知ったのは、「ぼくの好きな先生」によってである。高校生になる前のころに、いとこのタカシ君に聞かせてもらったような気がする。「三番目に大事なもの」のレコードも聞いた気がするのだが、B面の「けむり」のほうをなぜか覚えている。清志郎のあの独特な声、不思議な曲に強い印象を覚え、RCサクセションの名を記憶にとどめるようになった。
一時彼らのことは忘れていたが、陽水の名盤である「氷の世界」の中に清志郎の名前を見つけることになる。名曲の誉れが高い「帰れない二人」の共作者としてである。陽水の曲で私が一番好きな曲で、カラオケの十八番の一つである。あと、高校時代では「スローバラード」が記憶に残っている。
高校時代は、ラジオで聞くのが主であったが、大学時代にはより身近なグーループとして意識されるようになった。私はかつて「三人の会」というフォークグループに属していたが、そのメンバー桑原春夫君の影響によりRCのLPを聞くようになる。「ぼくの自転車のうしろに乗りなよ」 「君が僕を知ってる」などの曲を知った。
大学時代で特筆すべきは、ライブハウスのルイード(確かそうだったような・・・)にRCのライブを見に行ったことだ。我々は一番前の席で見ることができ、ほんの1メートル先に清志郎が歌っていた。まだ、それほどメジャーな時ではなかったけれども迫力のあるステージはやはり圧巻だった。何を歌っていたかは記憶が定かではないが、「君が僕を知ってる」を歌ったことだけは鮮明に覚えている。この時フォーク・デュオ「古井戸」にもいた仲井戸麗市(チャボ)がいたかについては残念ながら記憶にない。
「雨あがりの夜空に」が発売されたのが1980年であるから、私はもう社会人になっていた。これ以降、カラオケでRCといえば、「スローバラード」か「雨上がり・・・」となった。(後者は少し刺激的なのでメンバーを考えて)
1982年にはCMソングで坂本龍一と組んでリリースしたシングル「い・け・な・いルージュマジック」が大ヒットし、存在感を示す。1991年にはソロで「パパの歌」が同じくCMソングとしてお茶の間に親しまれた。
その間にもギンギンのメークや坂本龍一とのキス・シーン、カバー・アルバム「COVERS」が発売禁止になったことなど話題にも事欠かなかった。清志郎らしいと苦笑しながら映像を見たり、ニュースを聞いたりしていたものだった。
最近は癌と戦っていたのは知っていたが、死んでしまうなんて・・・。私が仰ぎ見る先輩がひとりまたひとりと亡くなってしまう。
RCサクセションの歌を聴きながらこのブログを書いているが、「君はそのうち死ぬだろう」が流れてきた。涙が出てきた。
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合掌
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流行歌研究会 | 音楽/映画/テレビ
Posted at
2009/05/03 08:30:41