
花火大会の季節になりました。足利でも今週末8月3日(土)には花火大会があります。孫ちゃんと行くにはまだ早すぎます。大きな音に驚いて泣かれるのが落ちです。線香花火でも買ってきて、家の庭でやろうかな…。
「せんこう花火」(作詞:古屋信子 作曲:吉田拓郎)は1972(昭和47)年に発売された吉田拓郎のアルバム『元気です。』のA面の2曲目に収録されています。『元気です。』は拓郎のアルバムの中で一番売れましたから拓郎ファンでなくても聴いたことがあるでしょう。
吉田拓郎はシンガーソングライターですので、初期の代表曲はほとんど作詞・作曲を自ら行ってきました。その後多くの作詞家と組むことになります。一番有名なのは「襟裳岬」「旅の宿」「アジアの片隅で」などを作詞した岡本おさみです。変わったところでは「加川良の手紙」の加川良、「ガラスの言葉」の及川恒平がいます。大御所では「ローリング30」「外は白い雪の夜」などの松本隆、「金曜日の朝」などの安井かずみがいます。
さらにいえば阿久悠と組んで石野真子の「狼なんか怖くない」「わたしの首領」を、「神田川」の作詞者喜多条忠とはキャンディーズの「やさしい悪魔」「暑中お見舞い申し上げます」「アン・ドゥ・トロワ」などをヒットさせています。阿木燿子、来生えつこ、呉田軽穂とも組んでいるのですよ。
そんな中で気になる作詞家がいます。「伽草子」の白石ありす、「ある雨の日の情景」の伊庭啓子、「春だったね」の田口淑子、そしてこの曲の作詞者「古屋信子」です。すべて女性です。 白石ありすさんは多くの曲を残していますが、他の3人は拓郎との曲でしか知られていません。
さて、古屋信子さんですがこれが不思議な人物です。あらためてネットで調べてみると「吉屋信子」の誤植だとあります。びっくりしました。でもそれも確実ではないのです。拓郎に聴いてみなければ真実はわかりませんね。
吉屋信子は大正から昭和にかけてに活躍した小説家です。不思議に名前はよく知っています。彼女は生まれは新潟ですが栃木県育ちです。真岡市や栃木市に住み、現在の栃木女子高等学校で学んでいます。栃木県ゆかりの作家として扱われ、私が小学校の頃から身近な小説家だったのですね。でも彼女の小説は読んではいません。
珍しく「流行歌研究会」の会長らしいブログになりました。でも「せんこう花火」は本当に吉屋信子の詩なのでしょうか。誰か知っている人がいたら教えて下さい。
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2013/07/30 18:42:08