昨日は仕事始めに行ったのですが、私がやらなければいけないことはありませんでした。そこでくだらないことを言いながら職場のみんなを笑わしていました。調子に乗って「明日は休暇だな!」と言うと、周りから白い目で見られました。隣のリエさんやヒロミちゃんからも冷たくされました。四面楚歌状態に陥りました。
四面楚歌とは辞書には「周囲をすべて敵に囲まれて、味方が一人もおらず孤立していること。」とあります。もちろんその通りの意味なのですが、この故事成語が生まれた時の状況はちょっとニュアンスが違います。
殷、周、秦、漢、三国、晋、南北朝、隋、唐…。高校時代に暗記した中国の王朝名ですね。実は私は世界史が得意でした。大学入試でも80点以上の点数をとったと自負しています。
万里の長城を構築した人物として知られる始皇帝は実質的に中国を統一した最初の皇帝です。その始皇帝が亡くなるとさしもの強大な秦も衰えて各地に反乱がおきます。そうした中で頭角を現してきたのが項羽と劉邦です。最初は項羽が圧倒的優勢で「鴻門の会」では劉邦が詫びを入れなければならない状況でした。ところが数年後には彼我の形勢は逆転してしまいます。そして「垓下の戦い」になったのです。その時の様子を司馬遷の「史記」の記述で見てみましょう。
項王の軍垓下に壁す。兵少なく食尽く。 漢軍及び諸侯の兵、之を囲むこと数重なり。 夜漢軍の四面皆楚歌するを聞き、項王乃ち大いに驚きて曰はく、 「漢皆已に楚を得たるか。是れ何ぞ楚人の多きや」と。
ここに「四面皆楚歌する」という表現が出てきます。この楚歌というのが大事なのですね。項羽は楚の国の王様なのです。すなわち昨日までの自分の味方が今日は敵になって自分を取り囲んでいるというのが元々の意味なんですね。
項羽は「垓下の戦い」を前にして次のような詩を吟じます。
力拔山兮氣蓋世 (力は山を抜き、気は世を覆う)
時不利兮騅不逝 (時利あらずして騅逝かず)
騅不逝兮可奈何 (騅逝かざるを如何せん)
虞兮虞兮奈若何 (虞や虞や汝を如何せん)
「騅」というのは項羽が騎乗していた名馬の名前です。「虞」というのは寵愛していた女性の名前です。「虞よ虞よ、もうお前のことをどうすることもできない。」と言っているのですね。その歌に唱和しながら舞ったあと、虞は自害したそうです。彼女を葬った墓には赤い花が咲いたという伝説が残っています。その花を人々は虞美人草と呼ぶようになりました。夏目漱石に「虞美人草」という小説があります。虞美人草とはひなげしのことなんです。
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2014/01/07 21:27:57