「忘れないわ」(作詞:山上路夫 作曲:三木たかし)は1969(昭和44)年に発売された ペギー・マーチの曲です。ペギー・マーチは大ヒット曲「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」で有名なアメリカの歌手です。日本語の歌を多く歌い、日本でも人気を博しました。この曲はその代表曲です。英語歌詞の「I'll never forget you.」が印象に残っています。子供の頃は、どうして「I'll don't forget you.」じゃないのかなぁと思ったものでした。
「
忘れな草をあなたに」についてあれこれ調べていると、忘れな草の英名が「forget me not」とありました。中世ドイツの悲恋伝説に登場する主人公の言葉にちなんでつけられたようです。
「ある日、ドナウ川の岸辺をルドルフという名の騎士と、その恋人ベルタが歩いていました。ベルタはそ川辺に作咲く奇麗な花を見つけ、ベルタのために摘もうとしました。ところがあやまって急流に飲まれてしまいました。命は助からないと悟ったルドルフは「僕を忘れないで!(Vergiss mein nicht!)」と叫び、手にした花を岸辺のベルタに投げて、流れに消えてしまいました。ベルタはその言葉通りにルドルフを生涯忘れず、この花を髪に飾り続けました。」
和名「勿忘草」は、1905年(明治38年)に植物学者の川上滝弥によってつけられました。花言葉は「真実の愛」「私を忘れないで」です。どちらもこの伝説が由来です。
ペギー・マーチの歌も聴いていたはずですが、名前は忘れていました。この歌を歌っていた歌手で彼女以上に印象深いのが尾崎紀世彦です。キーヨの歌はどんな曲を聴いても迫力がありますね。他にも小川知子、前野曜子(ペドロ&カプリシャス)、林あさ美、八反安未果といった歌手がカバーしています。名曲ですね♪
YouTubeにシンディ・ローパーが歌う「忘れないわ」がありました。
彼女は2011年3月11日にコンサート・ツアーのためにが来日しました。そう、まさしく東日本大震災の日です。震災が起こったのは、成田に着陸する10分前でした。そのため成田には着陸できず、米軍横田基地に着陸しました。その後の福島の原発事故を受けて多くの外国人が日本を離れましたが、彼女はそのまま日本にとどまりツアーを予定通り行ったのです。募金箱を手に自ら義援金を募る彼女の姿を憶えています。
シンディ・ローパーは翌年も来日しています。そのときの記者会見での言葉を紹介しましょう。
「私は(日本に)とどまった。だって、もし70分とか80分の間だけでも、みんなで集まって歌を歌えば気晴らしになるでしょ。音楽は人を癒せると私は思ってる。もしかすると、少しの間だけ辛いことを忘れて、気分がちょっとは良くなるかも知れない。その後、現実に戻っても、そんなにつらくはなくなってるかもしれない。音楽は私の助けになってくれたから。私はただそれをみなさんに伝えているだけなのかもね。」
「私は大統領になるつもりもなくて、ただのロックンローラーだから。いつも言ってるの、ロックンロールが世界を救うって。いまだにそこから学んでいて、そう思って育ってきたから。ライブエイドの魂、音楽にできるすべてのこと、ビートルズが、ジョンとヨーコが教えてくれたことを伝えていかなくちゃいけないと思うの。」
「石巻で出会った子どもたちは、とても子どもらしかった。小さい子どもたち…、子どもたちはすばらしい。彼らの人生は続いていく。そしてその人生は以前より過酷であるということを、みんな忘れないで下さい。彼らが引き継いでいくんです。」
私はシンディ・ローパーのファンではありません。それどころか彼女の曲はほとんど知りません。でも、彼女のことは決して忘れません。
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流行歌研究会 | 音楽/映画/テレビ
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2016/03/13 16:00:20