
昭和の巨匠の訃報が続きました。2月16日に船村徹さんが亡くなりました。享年84歳です。2月13日に映画監督の鈴木清順さんが亡くなっていたこともわかりました。享年93歳です。昭和がどんどん遠くなっていきます。
さて、船村徹さんですが、ご存知の通り日本の歌謡界を代表する作曲家です。青木光一「柿の木坂の家」、村田英雄「王将」、春日八郎「別れの一本杉」、北島三郎「なみだ船」、美空ひばり「哀愁波止場」などは憶えていました。おそらく歌好きの両親が歌っていたからでしょう。内藤洋子の「
白馬のルンナ」や海道はじめとスナッキーガールズ「
スナッキーで踊ろう」といった変わった曲も船村氏が作ったものです。私が歌好きになってからも鳥羽一郎「兄弟船」やちあきなおみ・細川たかし「矢切の渡し」といった名曲を発表しました。
5000曲以上もある氏の曲の中からこの歌を紹介したいと思います。
「東京だョおっ母さん」(作詞:野村俊夫 作曲:船村徹)は、1957(昭和32)年に発売された島倉千代子のシングルです。私の生まれる前の曲ですので古いですね。お千代さんの中でも好きな曲です。
母を東京見物に連れて行ったことはありません。親不孝なせがれでした。しかし、物心ついた頃のかなり古い記憶があります。どこかの駅のホームで母の手を握って立っている姿です。駅名はわかりませんが、東京のイメージが強いのです。生きているうちに母に確認はしませんでしたが、母の姉が北千住にいたのでたぶん北千住だと思います。その時の記憶が思い出されるときに、一緒に頭の中に浮かんでくるのがこの曲なのです。
船村徹氏は栃木県塩谷町出身です。数少ない栃木県の著名人の一人です。栃木を心の底から愛した人でした。本当に残念です。 合掌
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流行歌研究会 | 音楽/映画/テレビ
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2017/02/23 19:20:31