
イケメン棋士と呼ばれる人気棋士がいます。東の王子と呼ばれるのが中村太地七段です。かたや西の王子は斎藤慎太郎八段です。二人ともタイトルの王座を獲得したことがあります。少し前まで西の王子と言われていたのが山崎隆之八段です。もう40歳になろうとしていますしタイトルを獲得していないので、斎藤八段にその座を奪われてしまいました。他には佐々木勇気七段や都成六段が人気です。
将棋は顔で指すわけではありませんので顔の善し悪しは関係ありません。棋士が盤上没我で将棋を指している時の顔は誰でも魅力的です。それでも私がイケメンと思った棋士が二人います。郷田真隆九段はこの
ブログで紹介しています。今回は真部一男九段を紹介したいと思います。
真部一男九段は、NHK杯テレビ将棋トーナメントで観ただけです。羽生善治九段が初出場した昭和61年の放送の動画がありました。8:34のシーンにはしびれました。ひふみんも若いですね。
若い頃から「将棋界のプリンス」と呼ばれていました。「銭形平次」に出演したこともあります。美人キャスターと結婚するなど彼の棋士人生は前途洋々のはずでした。しかし、なぜか大事な対局で負けてしまいタイトル獲得はおろかタイトル戦に登場することすらできません。それでも36歳の時にA級に昇級します。いよいよ名人を狙う位置まで来たのです。ところが、このころから首が回らなくなるという奇病を患ってしまいます。それ以降は成績も悪くなって真部さんの情報は入ってこなくなりました。
次に真部一男という名前を見たのは2007(平成19)年でした。訃報でです。11月24日に転移性肝腫瘍で亡くなりました。享年55歳でした。後で知ったのですが、最後の対局は10月30日の順位戦C級2組の豊島将之四段(当時)戦でした。名人候補とも言われた真部も順位戦の一番下のC級2組まで落ちていました。言うまでもなく病気のせいです。この時も体調が悪く、とても対局できるような状況ではありません。まだ午前中のうちに、わずか33手で投了してしまいました。そして病院に直行です。
話の続きがあります。私は当時「将棋世界」で読んだのですが、簡単に紹介します。
弟子の小林宏六段(当時)が師匠の見舞いに行った時にこの将棋の話になりました。「角打てば俺の方が優勢だと思うんだよな。」と師匠が言いました。小林六段が家に帰って研究するとたしかに好手です。2日後に病院に行ってそのことを師匠に報告しました。その時の二人の会話です。
「誰か指してくれないかな。君は飛車を振らないからな。」
「先生はあの日なぜ角を打たなかったんですか?」
「角打つと相手は長考するだろ。そうすると投了できなくなってしまう。」
真部九段は、残念ながらそれから一月も経たない11月24日に亡くなってしまいました。27日がお通夜でした。このお通夜の日に奇跡が起きます。その日に行われた第66期順位戦C級2組7回戦の大内延介九段―村山慈明四段(当時)戦において、あの投了場面が現れたのです。小林六段、そして話を聞いていた棋士達がざわつき始めます。そして大内九段の指し手に注目しました。指されたのは真部が言っていた△4二角でした。その手を指された村山四段は1時間50分の大長考に沈んだのでした。局後に対局者に確認すると二人とも△4二角の存在は知りませんでした。
今回いろいろ調べてみて不思議なことがあるものだなとあらためて感動しました。そして真部九段の最後の対局の相手が豊島将之だと初めて知りました。当時豊島将之はプロになったばかりの四段でした。真部さんは目の前の高校生が将来竜王・名人になると思っていたのでしょうかね…。
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2020/08/07 06:02:14