
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 増田俊也 著 新潮社」を読了しました。
1954年(昭和29年)12月22日に「昭和の巌流島」といわれる木村政彦と力道山の試合が行われた。結果は力道山の勝ちに終わった。
力道山はその後時代の寵児となり「日本プロレス界の父」と呼ばれる。、「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と称えられた木村政彦はこの敗北でその名声は地に落ち不運な後半生を送ることになり「鬼の木村」は忘れられた存在になってしまった。
この試合は私の生まれる前なので知らないが、力道山の試合はテレビで見た記憶がある。もちろん街頭テレビではない。当時は家にテレビがなかったから、祖父の家で見ていたものと思われる。物心ついたばかりの私の間違いなくヒーローだった。しかし、1963年(昭和38年)に喧嘩をしてナイフで刺され、その傷が元であっけなくなくなってしまった。プロレスはその後力道山の弟子であるジャイアント馬場、アントニオ猪木等の活躍で人気を博していく。私も長らくプロレスの味方だった。
1964年(昭和39年)東京オリンピックが開催された。重量挙げの三宅義信、東洋の魔女、遠藤幸雄を中心とする男子体操チームの活躍に興奮した。外国人選手ではマラソンのアベベ、陸上100mのボブ・ヘイズ等が印象に残っている。
日本のお家芸である柔道は初めの2階級で金メダルを獲得したが、無差別級決勝戦で神永昭夫がオランダのアントン・ヘーシンクに袈裟固一本で敗れた。私の周囲の大人達は大きな衝撃を受けていた。
東京オリンピックが始まる前、日本柔道界はへーシンクに誰を対戦させるか迷っていた。その候補の中に木村政彦もいたのである。その時の年齢はなんと47才、柔道で15年間不敗のまま引退した木村はそれほど高く評価されていたのである。
木村と力道山の試合については他の本などを読んでいて私なりの考えは持っていた。史上最強の武道家は木村政彦だと私も思っていた。それをあらためて示してくれたのが本書である。でもそのことよりも私が感銘を受けたのは木村の生涯とそれを通して見えてきた柔道の歴史である。柔道といえば講道館と今では考えてしまうが、明治時代には古流柔術が100以上もあり、戦前には武徳会、高専柔道、講道館という大きな3つの団体があったのである。戦後は講道館が独占するが、その流れの中で木村はプロ柔道家になりプロレスにも参加するのであった。講道館に疎まれた木村は人々から忘れ去られていった。
本書には木村政彦、力道山の他に柔道家では木村の師である牛島辰熊、木村を負かした阿部謙四郎、木村の愛弟子である岩釣兼生等が登場する。プロレス界ではシャープ兄弟、山口利夫、遠藤幸吉、沖識名、清美川梅之助といった懐かしいレスラーが出てくる。空手家の大山倍達やエリオ・グレイシーも登場する。
最後には元柔道家で総合格闘家の石井慧も登場する。吉田秀彦、小川直也、石井慧といった一流の柔道家がどうして総合格闘家に転向するのか不思議に思っていたが、本書を読んでやっと理解できた。
お薦めの一冊です。
Posted at 2012/02/08 19:32:33 | |
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