
モハメド・アリが死んだ。えっ?嘘だろうと思った。彼は私の中では不死身の存在なのだから。
私がただの貧しい少年だったころ、テレビでプロレスやボクシングを観ては興奮していた。プロレスは力道山の時代からアントニオ猪木がハルク・ホーガンに失神させられるまで観ていた。もちろんアリ戦も観た。ボクシングではファイティング原田、藤猛、西城正三、大場政夫といった世界チャンピオンの試合をテレビにかじりつくように観ていたものだ。海外のボクシングはほとんど知らなかったが、カシアス・クレイだけは知っていた。
「ボクサー」(作詞/作曲:ポール・サイモン )は、1969(昭和44)年にリリースされたシングル曲である。翌年に発売されたアルバム『明日に架ける橋』にも収録された。このアルバムはよく聴いていた。英語が苦手だった私は「ボクサー」は勝手にカシアス・クレイを歌ったものだと思っていた。
私がクレイを知ったころには彼はすでに伝説であった。ローマオリンピックのボクシング競技(ライトヘビー級)での金メダル、世界ヘビー級王者のソニー・リストンに挑戦し勝利したこと、本名をカシアス・クレイからモハメド・アリへと改名したこと、「蝶のように舞い、蜂のように刺す」というボクシングスタイルなどは全て本や雑誌で得た知識であった。ベトナム戦争への徴兵を拒否したことによって王座を剥奪されていたのである。そんなアリが3年ぶりにヘビー級王座のジョージ・フォアマンに対戦するというのである。日本でも生中継された。初めてアリの試合を見られるのである。テレビの前で正座をしながら観ていた。1974(昭和49)年10月30日のことだった。
そこで見たアリのボクシングは「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と言われた華麗なものではなかった。ガードを固くし、リングを逃げまわり、ロープを背にしてフォアマンのパンチを腕でブロックするだけであった。フォアマンを挑発する口先だけの男に見えたのである。フォアマンのパンチが一発でも当たればダウンするだろうとみていたら、いつのまにか7ラウンドが終わっていた。そして運命の8ラウンド始まった。
それまでと同じようにフォアマンはパンチを打ち続け、アリは時々パンチは出すもののロープに逃げていた。でも不思議なことに二人の動きは同じように見えた。明らかにフォアマンは疲れていた。素人目にも彼のパンチは弱くなっているように見えた。そして残り20秒を切った時についに蝶が舞い、蜂は刺したのである。左右のワンツーでフォアマンをマットに沈めたのであった。背中がぞくぞくっとした。これは大逆転ではない。アリはここまで計算していたのだと思った。この試合は後に「キンシャサの奇跡」と言われ、アリの戦術は「ロープ・ア・ドープ」と名付けられた。ヘビー級王者はジョージ・フォアマン、ジョー・フレージャー、マイク・タイソンのように一撃必殺の野性的な選手が多い。しかし、モハメド・アリ(カシアス・クレイ)は知性も兼ね備えたボクサーだった。
アリが戦ったのはボクシングの対戦相手だけではなかった。米国政府、黒人差別、パーキンソン病という難敵とも。彼は一生戦い続けたのである。そんな戦いも彼の死によって終わりを告げたようだ。いや、彼のことだから天国でも戦い続けているのかもしれませんね。
♪ ライラライ ライラ ライラ ライラライ ララララ ラ・・・ ♪
Posted at 2016/06/05 08:44:51 | |
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