
1959(昭和34)年は戦争に負けてから14年が経ちました。日本の復興は順調に進み、高度経済成長期入っていました。4月10日には今上天皇と正田美智子様がご結婚なされました。ミッチー・ブームは最高潮に達しました。テレビ朝日とフジテレビの放映が始まり、現在のテレビ局がほぼ揃いました。翌年には本格的なカラー放送が始まります。
スポーツ界では大相撲では栃錦と若乃花の栃若時代でした。野球界では4月26日に王貞治選手が第一号ホームランを打ち、6月25日には天覧試合で長嶋茂雄選手が村山実投手からサヨナラ本塁打を打ちました。伝説となりましたね。
音楽会ではザ・ピーナッツが「可愛い花」でデビューしました。「情熱の花」がヒットしました。双子と言えばこまどり姉妹も「浅草姉妹」をヒットさせています。フランク永井「夜霧に消えたチャコ」、スリーキャッツ「黄色いさくらんぼ」、小林旭「ギターを持った渡り鳥」、ペギー葉山「南国土佐を後にして」、和田弘とマヒナ・スターズと松尾和子「誰よりも君を愛す」といった曲がヒットしました。12月27日には第1回日本レコード大賞が開催され、水原弘「黒い花びら」が大賞を受賞しました。
この曲も印象的な歌でした。
「僕は泣いちっち」(作詞/作曲:浜口庫之助)は1959(昭和34)年9月に発売され大ヒットしました。私は生まれていましたが、リアルで聴いていたわけではありません。テレビやラジオで聴いていたと思われますが、歌い出しの♪僕の恋人東京へ行っちっち♪が衝撃的です。といっても小学生の私には最初はなんだかわかりませんでした。♪なんでなんでなんで♪の部分ををよく歌っていました。作詞作曲はハマクラさんです。初期のヒット曲ですね。
守屋浩はもともとはロカビリー系です。日劇ウエスタン・カーニバルでデビューしています。ソロになってこの歌を大ヒットさせ、その後「大学かぞえうた」や「有難や節」もヒットさせました。井上ひろし、水原弘と3人合わせて「三人ひろし」と呼ばれたりしていました。
守屋浩さんは昭和13年生まれですから来年には80歳になります。脳梗塞で倒れたりしたそうですが、数年前にテレビでお見かけしたことがあります。いつまでも長生きしてほしいものですね。
Posted at 2017/11/24 18:19:23 | |
トラックバック(0) |
流行歌研究会 | 音楽/映画/テレビ