
宮城まり子さんが21日に亡くなっていたそうです。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
この訃報に接したときの感想は「まだ生きておられたのか」というものでした。93歳だったようですが、私が宮城まり子さんという存在を強く意識したのは学生時代でした。養護施設「ねむの木学園」を運営する福祉事業者としてです。また文学を志していたので作家の吉行淳之介のパートナーとしても認識していました。今から40年以上前のことです。それからは存在自体を忘れていました。1994(平成6)年に吉行淳之介が亡くなった時にテレビでお見かけしたかもしれませんが、覚えていません。
宮城まり子さんが、歌手で女優として活躍していたのは私が小学校の時でしたので。テレビで見た記憶があります。彼女の歌も聞いたことがあります。「ガード下の靴みがき」や「毒消しゃいらんかね」が代表曲といわれていますが、「手のひらを太陽に」を最初に歌ったのは宮城まり子さんなんです。そして、この歌も♪
「ドレミの唄」(訳詞:岩谷時子 作曲:リチャード・ロジャース)は、1962(昭和37)年に発売されています。宮城まり子さんは1959年(昭和34年)に『サウンド・オブ・ミュージック』をブロードウェイ公演の初日を観て感動したそうです。帰国してすぐに日本語で吹き込みました。『サウンド・オブ・ミュージック』をブロードウェイ公演を初日に観たなんてすごいです。
動画はレコードではなく『第13回NHK紅白歌合戦』の音声だと思われます。不思議に思われた方もいると思いますが、私たちが知っている歌詞と違います。
私たちが知っているのは、ペギー葉山さんの「ドレミのうた」(訳詞:ペギー葉山 作曲:リチャード・ロジャース)の歌詞です。ペギー葉山さんも『サウンド・オブ・ミュージック』のブロードウェイ公演を観て感激したそうです。そして自分で訳詞までしてしまったのです。私たち日本人に歌う喜びを教えてくれた歌ですね。
宮城まり子さんに話を戻しますが、芸能活動を引退した後の半生を福祉事業に捧げたのは素晴らしいことです。間違いなく日本に福祉を根付かせた人物の一人だと思います。
Posted at 2020/03/23 16:29:35 | |
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流行歌研究会 | 音楽/映画/テレビ