
松本隆さんは、はっぴいえんど解散後に音楽プロデューサーや作詞家として活躍するわけですが、他のメンバーも日本の音楽界に大きな足跡を残します。大瀧詠一さんについては「
君は天然色」などで取り上げていますので、今回は細野晴臣さんについて少し触れてみましょう。
細野晴臣さんははっぴいえんど解散後はキャラメル・ママ(のちのティン・パン・アレー)を結成し初期のユーミンのアルバムのレコーディングに参加しています。私はユーミンに心酔していましたので、キャラメル・ママの演奏は浴びるように聞いていました。1978年には高橋幸宏、坂本龍一とイエロー・マジック・オーケストラ (Y.M.O.) を結成し、テクノポップブームを巻き起こします。「テクノポリス(TECHNOPOLIS)」や「ライディーン(RYDEEN)」は街中のいたるところで流れていました。そして歌謡曲も作曲するようになります。このブログでも「
風の谷のナウシカ」「
夢・恋・人。」を紹介しています。
今回紹介するのはテクノ歌謡の代表とされるこの曲です。
「ハイスクールララバイ」(作詞:松本隆 作曲:細野晴臣)は、1981(昭和56)年に発売されたイモ欽トリオのデビュー曲です。イモ欽トリオは『欽ドン!良い子悪い子普通の子』から誕生したユニットです。この番組はよく観ていました。萩本欽一さんはコント55号からのファンでしたが、この頃はコンビでの活動はほとんどなく司会業で活躍していました。どの番組も大人気で『視聴率100%男』なる異名を取っていました。この歌は番組の人気と相まって大ヒットしました。イモ欽トリオの名前の由来の一つは「YMO」を「イモ」と読んでのようです。
1981年はハイスクールに勤めて2年目でした。仕事にも慣れて真面目に先生業に専念していたと言いたいところですが、自分で稼げること良いことにして毎日のように呑んでいました。この歌がヒットした夏も同僚のアパートに入り浸り、しこたまビールを呑んでいました。私は良い先生ではなく悪い先生だったのです(苦笑)
イモ欽トリオは今年でデビュー40周年だそうです。ヨシオの山口良一さんは66歳、ワルオの西山浩司さんは60歳、フツオの長江健次さんは57歳になりました。欽ちゃんはというと80歳になられました。先日、自宅の階段で転倒して頭と腰を負傷したという心配なニュースがありました。まだまだお元気でいてほしいものですね。
Posted at 2021/11/27 18:00:16 | |
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